2018年11月01日

井の頭自然文化園の「ヤマネコ祭特別企画講演」を拝聴し、自分のイイカゲンさを改めて省みるの巻

DSCF4149私と妻は「『イリオモテヤマネコ検定』中級者である。(笑)
共に一昨年上級を受検し、見事不合格と相成ったが(苦笑)、いまだ遭えぬヤマネコへの恋慕(笑)は募るばかりである。(笑)
ということで、不肖私、所用で不参加の妻の分共々(笑)井の頭自然文化園の「ヤマネコ祭」に参加し、「特別企画講演」を拝聴した。



演者は、この井の頭自然文化園で現にツシマヤマネコを飼育なさっている唐沢瑞樹さんと、近隣(=武蔵境)の日本獣医生命科学大学で獣医学を教授し、ヤマネコの人工繁殖に取り組んでおられる堀達也さんである。
共に、イリオモテヤマネコと併せ、環境庁レッドリストに絶滅危惧IA分類されているツシマヤマネコの保全取り組みの具体と進捗を概括くださったのだが、唐沢さんは現役飼育者ならではの現場所感、ならびに、韓国(アムールヤマネコ)と台湾(タイワンヤマネコ)の動物園の「野生復帰」取り組みがメインで、堀教授は科学的取り組みの最有力とされる「人工授精」がメインだった。

そもそも私は、ネコ大好き人間の妻(笑)と、数年来の夏季西表島詣での影響でヤマネコに好意を抱くに至った、言わば、ネコ&ヤマネコ素人である。(笑)
両演者の話を完全に理解&共感できた訳ではないが、以下の旨、個別質問を経、人間一般に通じると思しきを咀嚼した。
大満足である。



【Q1】(韓国の)「野生復帰」の取り組みは、三匹中二匹が残念な結果(一匹は死因不明、もう一匹は餓死)に終わり、なかなか難しいようだが、第一次産業が衰退し生き難くなった今を何とか生き抜いている残り一匹と、残念な最期を遂げた先の二匹を分かつものは何か?

DSCF4012DSCF4018  続きを読む

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2018年10月10日

お初の刃研ぎ職人から「包丁の切れ味の多様性」、挙句、「方法論や思考の真の多様性」の気づきを授かるの巻

妻と、毎年恒例の(笑)かっぱ橋道具祭りへ行き、毎年恒例の包丁研ぎをした。
いつもの刃物店は今受付できないとのことで、良さそげな店を新規開拓(笑)した。

妻の見つけたその店は、かの新潟、燕市が本社だった。
担当者も、「お祭りなので本社から応援に来た」と、どちらかと言うとぶっきら棒な、職人然とした方だったが、研いでくださっている最中、妻の日頃の質問にも迷惑がらず、真摯にこたえてくださった。
回答の中には感覚主義の、理解困難な内容(←表現)も少なくなかったが、妻のココロを尊重する姿勢が傍目から見て取れた。
成る程、昔気質の職人も、近年かくも顧客インターフェースを大事にするものかと、天晴に感じた。

彼から授かった気づきはもう一つあった。
彼の研ぎ上げた包丁を夜早速使ったのだが、これをして「切れ味」と言うのだろうか、当然「よく切れる」訳だが、「よく切れる」感がいつもの店で研いでもらった時とかなり違うのである。
いつもの店のそれが、「スパツ、スパツ」と、兎に角「軽く」よく切れるそれに尽きるのに対し、彼の手によるそれは、「スッ、スッ」と、第一感「適度に重く」、そして「しっとり、しっかり」よく切れるそれなのである。  続きを読む

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2018年07月09日

「動いている球を打った」フィル・ミケルソンの謝罪に肯定的になるの巻

「止まっている球を打つ」。
ゴルフのプロセスであり、ルールである。
そして、ゴルフをやらない言い訳のトップ3でもある。(笑)
「(棋士の)私は、絶えず動いている相手と戦い、勝っている。何が面白くて、止まっている球を打つものか」。
かつて米長邦雄がこの旨のたまい、数多の誘いを断っていた話は有名である(が、後に大のゴルフ好きに成ったのも有名な話である。笑)。

ただ、「止まっている球を打つ」のは、思うより簡単でない。
というか、相当難しく、また、深い(普遍的である)。
米長がゴルフにハマったのも、存外に人脈が広がるからではなく、余りの難しさと深さにそのプライドが肯定的に打ちのめされたからだろう。
「なぜ、『こんなに』相手も目標も止まっていてクリアなのに、ちゃんと打てない、飛ばせないのか」。
「なぜ、『こんな』止まっている球が、練習ではそこそこ打てる(ようになった)のに、本番では(依然)ちゃんと打てない、飛ばせないのか」、と。
「止まっている球を打つ」のは、それを飯の種とするプロからすると、当たり前のプロセスに過ぎないのかもしれないが、飯の種としない私のようなアマからすると、禅問答、或いは、絶対の神の啓示である(と、球を打ち終える度つい思う。笑)。

だからだろう。
先月、フィル・ミケルソンが「止まっていない(打ち終え、依然動いている)球」を打ち、後に謝罪したのである。
それも、全世界の衆目を集める四大メジャートーナメントの全米オープン、ラス前の三日目、のことである。

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2018年04月02日

「高嶋ひでたけのあさラジ!」の最終回を聴き、長寿商品の条件と既存顧客の義務を考えさせられるの巻

3月30日の朝、予定通り「高嶋ひでたけのあさラジ!」が終了した。


パーソナリティを全うした高嶋秀武アナは、中年以降、正に朝のラジオの絶対的「エース」ならぬ「顔」と成り、凡そ四半世紀に渡り朝を彩ってくれた。
高嶋は依然アナウンサーとして脂が乗っているが、御年75歳でもあり、「朝の顔」を演じるのも、また、所謂「帯番組」を担うのも、残念だがこれきりだろう。

私が高嶋を見知ったのは、小学生時分、「大入りダイヤルまだ宵の口」である。
しかし、記憶は殆どなく、「オールナイトニッポン」と違ってリスナーでもなかった。
記憶がない以上不正確ではあるが(笑)、幼い私にとって高嶋は「寅さん」だったのだろう。
高嶋の、作家の原稿を棒読みしない、絶えず普遍かつ自分の言葉へ置き換える、当意即妙かつ粋な喋りと間(ま)は、渥美清の寅次郎に似て、不条理と絶望を思い知ってこそ堪能できるというものである。


「あさラジ」のリスナーに高齢者が多かったのは、彼らの多くが早起きなこと、また、高嶋が「懐メロ」アナだったことが大きいに違いないが、高嶋の喋りに自分の人生を重ねるには相応の年輪が必要だったことも確かである。

30日の番組で印象に残った最たるは、いよいよリスナー、それも長期高嶋信者、の「初めての」便りで溢れたことである。
私は便りを送れなかったが、もし送れていれば、私のそれも彼らのそれと同じ思いであった。
皆、「あさラジ」の終了を悔やみ、今生の別れになるであろう高嶋に感謝するばかりである。

同時に、考えさせられた最たるは、長寿商品の条件、および、利用商品の長寿を望む顧客の義務、である。  続きを読む

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2018年02月13日

「下町ボブスレー」がジャマイカに「見限られた」因果を読み解くと共に、人間の感情ファースト「癖」をなおざりにするビジネスリスクを再考するの巻

プロ・アマの別なく、もはや人間はコンピュータ将棋に勝ち得ない。
原因は様々考察できるが、分かり易いのは以下、人間の感情ファースト「癖」である。

【1】人間は目的(そもそも成し遂げたいこと、成さねばならぬこと)と手段(そのために今やるべきこと)を持続的に別認識するのが不得意である。
【2】人間は「引っ込みがつかない」生き物であり、「傷口」の拡大を厭わない。

つまり、人間がコンピュータ将棋に勝てないのは、「勝つこと」という、将棋を指す目的、および、指すことで果たしたい「『問題』の解決」をつい忘れてしまう、と。
そして、「小問題」とも言うべき目先の「局面」、具体的には「駒のぶつかり」に一喜一憂し、挙句、そこでのミス&被害を正確に認識&損切りできず、致命傷にしてしまう、との道理である。

同様の道理は枚挙に暇がない。

たとえば、「私」、即ち、プライベートだと、「離婚」がそうである。
「経験者は語る」ではないが(苦笑)、「幸せに生きたい」との目的のために結婚という手段、および、伴侶を選んだにもかわらず、ふと気づくと、目的、ならびに、果たしたい「問題の解決」そっちのけで、目先の小問題の犯人探しに躍起になり、相手と手段を懐疑し始める、と。
それも、自分の過失と責任を棚上げして、挙句、引っ込みがつかずキレてしまう、との道理である。
余談だが、当時、敬愛する三上司の一人から言われた、「離婚は大人の『ガキの喧嘩』である」旨の総括(?・笑)は、齢を重ねるほどうなづくばかりである。(苦笑)

「公」、即ち、ビジネスだと、「顧客の喪失」がそうである。
顧客を失うのは、基本、彼らに「見限られる」からである。
自社を彼らが見限り、他社へ鞍替えするのは、さもなくば「問題の解決」を満足に果たせないからである。
自社が対象顧客の「問題の解決」を満足に支援できなくなるのは、提供する「ヒト(コミュニケーション)」、「モノ(プロダクト・サービス)」、「ミセ(デリバリー・ブランド)」の各々の価値、および、その総和(バランス)が彼らのニーズを満たさなくなったか、もしくは、満たしてもその度合い(確率)&コスパが他社に比べて低い、との道理である。
また、これは、自社が「対象顧客の『問題の解決』の支援」であるはずの事業目的を忘れたか、もしくは、忘れていなくてもなおざりにし、彼らのニーズと満足を事前、および、事後ロクに確認しなかった、との道理である。

過日、ビジネスにおける枚挙はまた一枚増えたのである。
そう、過日開幕した平昌オリンピックで、「下町ボブスレー」がジャマイカに「見限られた」のである。  続きを読む

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2017年12月19日

羽生善治の第30期竜王戦勝利&「永世七冠」達成の理由を妄想するの巻

私は「羽生ヲタ」である。
依然、日本将棋連盟は大嫌いだが、羽生善治は大好きである。
余りに好き過ぎ、尊敬し過ぎて、総理大臣になっていただきたいとさえ思っているのである。(笑)

その羽生が、このたび第30期竜王戦で渡辺明竜王を下した。
羽生が初めてタイトルを取ったのはこの「竜王」で、19の時である。
それから約30年経ち、羽生はこのたび15年ぶり、7度目の「竜王」になった。
そうである。
遂に、最後の「永世」タイトルである「永世竜王」の有資格者、「永世」全7大タイトル有資格者である「永世七冠」、になったのである。

本件は「羽生ヲタ」、かつ、対象は違えど同世代のビジネスプレイヤーの私にとって感無量だが、同時に、様々考えさせられる。
ついては、昨年の三浦弘行九段の一件以来、将棋、および、その関連の論考を控えてきたが、下手の横好きを棚に上げ(笑)、以下の二事項のみ改めて論考、もとい、妄想(笑)してみたい。

【Q1】
なぜ羽生は、「竜王」に返り咲けたのか?
なぜ、この第30期竜王戦を勝利できたのか?


【Q2】
なぜ羽生は、「永世七冠」になれたのか?
なぜ羽生だけが、全てのタイトル、全ての対局形態、で持続的に強いのか?

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2017年11月03日

ロードバイクで荒サイを走り、「あおり」問題の根本解決を考えるの巻

「泣く子と地頭には勝てない」という言葉があるが、自転車乗りからすると「泣く子と雨には勝てない」である。(笑)
過日、ようやく雨が止み、私はロードバイク荒川サイクリングロードを走った。
老化を防止すべく、もとい(笑)、運動不足を解消すべく、いつもの50キロをいつも通り2時間かけて走ったのだが、一つ嬉しいことがあった。

「トレインを組みませんか?」と、未知のロードバイク乗りからお声がけいただいたのである。
それも、「私より遥かに高経験値に見て取れ、かつ、実際強い(=速い)人から」、「初めて」お声がけいただいたのである。
「トレイン」の意味はググっていただくとして、要するに私は、一ロードバイク乗りとして認められ、「一緒に走りませんか?」と誘われたのである。

たしかに、当日の荒サイは名物の強風で、ロードバイク乗りが交互に風よけし合って走るのは尤もだった。
しかし、先述の通り、お声がけの主は、私と違って強虫である。
私は、この初体験に吃驚するも即感激したが、同時、「なぜ彼はひと目弱虫の私と走りたいと思ったのか」自問した。



誤りと自惚れ(笑)を怖れず妄想したところ、彼の心中は以下で・・・

「アイツ(=私)以外、一緒に走れる(=練習できる)ロードバイク乗りが見当たらない」。

「アイツは弱虫だが、マナーは悪くない。弱虫なりに頑張ってもいるようだし、自分(の練習)の助けにこそなれ、邪魔にはならないだろう」。

・・・私は以下(改めて)気づかされた。  続きを読む

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2017年09月28日

デービッド・アトキンソンさんの新著(「世界一訪れたい日本のつくりかた」)を読み、レッツノートユーザーイベントでの不遜な物申しを開き直る(笑)の巻

先週、私は長年の愛機、レッツノートの非公開ユーザーイベントに参加した。
本イベントに参加するのは今回で二度目だが、今回はレッツノートの競合優位の一つの、即日修理を旨とする「秋葉原LUMIX & Let's note修理工房」の中の人が登場なさるとのことなので、不肖のレッツらー(=レッツノート愛用者)として理解を深めたかったのである。

感心し、かつ、レッツノートへの愛と信頼が高まったことがある。
それは、レッツノートのモニター画面が思いの外割れ難く、丈夫なのを肌理解してのことである。
中の人のプレゼンに「画面の公開『破壊』&『即修理』」というのがあったのだが、私は参加者全員の前で画面を敢えて割る幸運(?・笑)に恵まれた。
結局、割れた(=内部断線した)のだが、指でかなり強く押そうと、ボールペンを挟んで画面を閉じようと、なかなかどうして割れず、最終手段的に彼らの修理用のドライバーを挟んで畳んで閉じ、ようやく「ピキッ」っと割れたのであった。

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なぜ、かくもレッツノートの画面は割れ難いのか。
このことには修理工房の中の人も、パナソニック(※以下「パナ」と表記)本社の中の人も驚くばかりで、真相は不明だが、どうやら表面の弾性が絶妙で、一般ユーズの不正圧力を絶妙にいなすようにうかがえた。
私にとってノートパソコンは「出先での頼れる相棒」であり、あり得るヒューマンミスにかくも事前対応しているレッツノートは「レッツノートさまさま」である。

本イベントでは、サポートの現場長の方と直接話をする機会にも恵まれた。
私は、レッツらーとしては甚だヘタレではあるが、先の感心もあり、これからも当分レッツらーでありたく、不遜かつ五月蠅がられる(笑)のを承知のうえ、その方にいくつか物申した。

その一つは、かつて電話サポートで経験したことだが、「それは[マイクロソフト]にお問い合わせください」の類は、問い合わせの回答のオチとしてはアンチ・ユーザー目線&ニーズで、改善が望ましい、ということである。
このオチでは、問題に困り果てて問い合わせをしてきたユーザーが救われないから、もっと言えば、ユーザーのニーズが満たされないから、である。

たしかに、製造主のパナが本来サポートすべきは、レッツノートというモノ、即ち「ハード」である。
「ハード」以外の問題、および、元凶は、それをリリースしている企業のサポート領域であり、パナの回答のオチは必ずしも不正(確)ではない。
しかし、問い合わせをしてきたユーザーの「ニーズ」は何か。
そもそもなぜユーザーは、「敢えて」問い合わせをするのか。
詰まる所、「問題の解決」である。
よって、このオチはとりわけ非シニアユーザーからすると「投げっぱなしのジャーマン」にうかがえて然るべきで、レッツノートという「ハード」に付随すべき「サービス」としては空疎かつ無責任に感じるものである。

私が本イベントでパナの中の人に物申したのは、今回で二度目である。
いい加減出入り禁止になるかも、と当日は後悔したのだが(笑)、後日開き直ることにした。
これで出禁になるなら上等だ、と。(笑)
なぜか。
小西美術工藝社の社長で、日本の観光マーケティングの一家言者でもあるデービッド・アトキンソンさんの新著(「世界一訪れたい日本のつくりかた」)を読み、私の主張も満更的外れではない、と勇気づけられた、もとい(笑)、確信できた、からである。  続きを読む

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2017年04月14日

浅田真央選手の引退記者会見を見、媒介者の要件を再考するの巻

フィギアスケート通の妻の一番弟子として(笑)、昨日共に、浅田真央選手の引退記者会見を「ながら」タイムシフト視聴(笑)した。
記者会見の類を通しで聞くのは久しぶりだったが、浅田選手への記者の問いが余りに酷く、浅田選手はもとより、有終の美をうまく飾れず往生していた司会者に同情し、かつ、一ファンとして残念な思いになった。


会場は400名超の記者で大入り満杯になったとのことだが、私たちバカ夫婦(笑)より実際にフィギアスケートの試合を観、フィギアを嗜む記者は数える位だったのではないか。 
なぜか。
一時間に渡る問いに、フィギアのテクニカル(技術/専門性)と愛が、全くと言って良いほど感じられなかったからである。  続きを読む

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2017年03月13日

ネイザン・イーストのファンイベントに参加し、「ファンを大事にする」コトの何たるかと人的多様性に寛容になるヒントを気づかされるの巻

分かっているようでいて、分かっていないことの一つは、「ファンを大事にする」という言葉、および、コトである。
「ファンを大事にしよう!」
「ファンを大事にすること!」
いずれも尤もであり、こう言われて違和感を覚える人は殆ど居ないだろう。
しかし、「じゃあ、実際どうアプローチしたら、ファンを大事にできるの?」とか、「そもそも、『ファンを大事にする』ってどういうことよ?」と不意に訊かれ、明確に即答できる人も殆ど居ないだろう。

なぜ私はこんなことをのたまっているかというと、かくいう自分がそうであったからである。
先月、私は、ネイザン・イースト(Nathan East)のファンイベントに一ファンとして参加し、ネイザンに「大事にされ」、分かったのである。

本論に行く前に、知らない人へネイザン・イーストをひと言紹介しよう。
ネイザンは世界的名ベーシストである。
「弘法筆を選ばず」であるように、「名プレイヤー曲を選ばず」(?・笑)である。
このイベントは、自名義の新譜「Reverence」のリリースに因るものだが、ネイザンがプレイするジャンルはジャズ、ロック、ポップスを問わず、広範極まりない。
他名義の、所謂「スタジオミュージシャン」でのそれはとくに。

Reverence
ネイザン・イースト
ヤマハミュージックコミュニケーションズ
2017-01-11


実際、私が彼のプレイを初めて自覚したのは杏里のヒット曲の「気ままにREFLECTION」であり、かつてスティーヴ・ルカサーがギターでそうであったように、ヒット曲に石を投げてみると、そのベースはネイザンのプレイであることが少なくない。





ちなみに、「気ままにREFLECTION」のヒットは、サビの、杏里が「気・ま・まに・リフレクショーン」と歌い上げる部分で、ネイザンがリズミカルかつインパクト溢れるベースラインを演じ、リスナーの脳内ヘビロテ(笑)を実現したからだと、私は信じて止まない。(笑)
そもそも、ベースは読んで字の如く、楽曲の根音とリズムを担う地味な存在だが、ドラム共々無くてはならない「縁の下の力持ち」であり、ことネイザンにおいては、「ヒットの力持ち」(?・笑)と言っても過言ではない。

本論に戻る。
「ファンを大事にする」とはどういうことか。
また、「ファンを大事にする」には実際どうアプローチすべきか。
以上、分かった「気がした」(笑)のは、第一部のライブリハーサルが終わり、第二部のトークセッションが始まった時である。
カメラ小僧、もとい、カメラジジイ(笑)の私が、年甲斐もなくファンスマイル全開で(笑)最前列へ駆け寄り、インタビュアとの対談を撮影し始めると、何とネイザンはすぐさま笑顔で応えてくれたのである。
それも、二度も、である。

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