2007年09月18日

リゴレットキッチンのレセプションパーティ&ダズルのバーへ行くの巻

632b2fc6.JPG今年の4月、リゴレットワインアンドバーのレセプションパーティへ訪れた時のこと
同店を運営する株式会社HUGEの取締役を務める神山さんが、次のようにおっしゃった。
「秋に、コリドー街へ出店します。その際は、またお招きしますので、是非いらしてください!」。

神山さんがおっしゃていた新店の名前は、「リゴレットキッチン(RIGOLETTO KITCHEN)」。
私は、約二週間前に同店のレセプションパーティの招待”板”(笑)を頂戴し、その名前を知った。

冒頭に添付した画像は、招待”板”の実物だ。
このような素敵な招待状を頂戴した以上、私は、今日同店のパーティへ駆けつける以外あり得なかった。(笑)  続きを読む
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2007年09月11日

群馬県嬬恋村で催された”キャベチュー(キャベツ畑の中心で愛を叫ぶ)”から亭主が妻へ自分の愛情を言葉にして伝えることの意義を再認識するの巻

よく、「日本人の亭主は、妻へ自分の愛情を言葉にして伝えない」、と言われる。
だから、「キャベツ畑の中心で愛を叫ぶ」と銘打たれたイベントが、群馬県の嬬恋村(つまごいむら)で催されていたりする。
(※昨日、知人から、本イベントがフジテレビの「とくダネ」で報じられていた旨を聞きました。)

このイベントは、「キャベツ畑で、亭主が妻へ向かって愛している旨を叫ぶ」、というものだ。
内容はシンプルだが、叫ばれた妻さんはもちろん、観覧者へ大きなインパクトを与えたに違いない。

妻へ自分の愛情を言葉にして伝える。
この行為&意義を否定する亭主は、あまり居ない。
だが、この行為を実践していつ亭主も、あまり居ない。

なぜ、世の亭主の大半は、妻へ自分の愛情を言葉にして伝えないのだろうか?
これまでの人生経験から(笑)、私は、アトランダムに以下を思いついた。  続きを読む
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2007年09月06日

豚組のとんかつを賞味して思い込みを一掃する意義に気づかされるの巻

566df00d.JPG「○○は、こういうものだ。」
これは、思い込み、だ。
人は、必ず思い込みを持っている。

思い込みは、経験則だ。
不明瞭な状況下で短時間の内に決断を迫られた時、頼りになったりする。

しかしながら、思い込みは、概してリスクだ。
新しい考え、価値、方法を無意識かつ非合理的に却下してしまい、高確率で変革&成長の芽を摘んでしまう。

「百聞は一見に如かず」という言葉がある。
これは、英語だと、「Seeing is believing.」となる。
「人は、誰しも思い込みにとらわれており、体験することで、新しい考え、価値、方法の何たるかを初めて&忽ち理解できる。」
私は、この言葉がこう唱えているように思えてならない。

理解したものを、速やかに行動へ移すか、それとも、一旦どこかの棚へ置いておくか。
それは”その”時の判断だ。
が、理解しなければ、この判断さえあり得ない。
思い込みを一掃し、新しい考え、価値、方法を体験することは、とても大事なことだ。

私は、今日、このことに強く気づかされた。
しかも、とんかつを賞味して。(笑)  続きを読む
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2007年09月05日

シロクマさんが書いた〔「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す〕という記事に触発されるの巻

異質な他者が持つ有益な情報&知見をシェアできること。
私は、このことを「インターネットがもたらした最大の効用」と認識し、いくつかのwebを定期的に閲覧している。

そのひとつに、「シロクマの屑籠」というブログがある。
このブログは物事の本質を洞察した記事が多く、私はよく触発されている。

たった今、私は、〔「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す〕という記事を精読した。
この記事は、いつもにも増して触発に富む内容だった。
甚だ僭越だが、著作者のシロクマさんへ敬意を表しながら、この記事に関する所見を述べたいと思う。

私は、シロクマさんがこの記事を通じておっしゃりたいことを以下のように理解した。
(※誤解していたら、すみません。)  続きを読む
Posted by masterhori at 15:09Comments(0)TrackBack(0)