2013年08月23日

「半沢直樹」を第五話まで一気見し、「『半沢直樹というオナニー』が市民権を得た」と思えてならないの巻

私が初めて好きになった芸能人は、キャンディーズと山口百恵さんです。(笑)
どちらを先に好きになったかは定かでありませんが、キャンディーズの一番思い出深いシーンが1976年放送開始の「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」でのコントで、百恵さんのそれが1975年放送開始の「赤い疑惑」での船上死(※厳密には意識不明化ですが。笑)であるのを勘案するに、タッチの差で百恵さんを先に好きになった可能性が高いです。(笑)







赤い疑惑 DVD BOX
山口百恵
ポニーキャニオン
2004-12-01


「赤い疑惑」に出演していた当時、百恵さんは高校生で、見ていた私は小学生でした。
このドラマは決して子ども向けの内容ではなく、また、放送時間帯も夜間でしたが、チャンネル権者(笑)である年長家族から「子どもは見るな」とか「もう寝なさい」と視聴を妨害されることはありませんでした。
なぜでしょう。
一因は、私の百恵さんの好物ぶり(笑)が家族内で周知されていたからでしょう。
しかし、それより(笑)主因は、彼ら自身がこのドラマにハマっていたからでしょう。(笑)
当時、百恵さんは正に時代の寵児で、篠山紀信さんに「時代と寝た女」と称されました。
ビデオ録画が家庭に普及していないこの時分、「時代」の主要構成員である彼らからすると、子どもの「傍から視聴」を妨害するより、自分の「集中視聴」(笑)に全力投入するのが遥かに賢明だったに違いありません。

なぜ、百恵さんは、否、「山口百恵」というエンタメコンテンツは、時代と寝ることができたのでしょう。
私は、以前、百恵さんと同世代の、公私に渡る友人のTさんにこの旨質問したことがあり、以下の旨の回答を授かりました。
「先ず、アイドルとしては非常識に、セックスを連想させる歌を次々リリースし、当時の自分の様な(笑)、セックスやその情報に飢えている若者の股間(笑)とハートを鷲掴みにした。
そして、その確固たる若者マーケットでの実績を踏み台にして、これまたアイドルとしては非常識に、ステレオタイプな日本女性と真逆の、主体的かつ挑発的な女性を歌った歌を次々リリースし、前代未聞のツッパリ系(媚びない)アイドルへ、果ては国民的大歌手へ大きくステップアップしていった」。

たしかに、百恵さんがデビュー5枚目のシングルで歌った「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ(『ひと夏の経験』)」というフレーズは、当時、小学生の私からすると意味不明でしたが(笑)、とりわけTさんの様な高校生に加え、大学生や若い社会人と言った健康的な若者(笑)からすると、日頃の正に欲求不満(笑)の癒しになったに違いありません。
また、百恵さんが成熟期に歌った「馬鹿にしないでよ/そっちのせいよ(『プレイバックPart2』)」や「はっきりカタをつけてよ/やってやれないわ(『絶体絶命』)」や「あなたの○○○が欲しいのです(『美・サイレント』)」というフレーズは、当時、高度経済成長の陰で不本意に三つ指をつかされていた女性や非既得権者からすると、同じく日頃の欲求不満の癒しになったに違いありません。
「『山口百恵というオナニー(=自慰&欲求不満解消事)』が市民権を得た」。
私は、「山口百恵」というエンタメコンテンツが時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えます。










山口百恵 コンプリート百恵伝説
山口 百恵
(株)ソニー・ミュージックダイレクト
2008-12-11


このお盆、私は、ある高視聴率ドラマを初回から最新回(第五話)まで一気見し、通底する思いを抱きました。
ある高視聴率ドラマとは、そう、「半沢直樹」です。
「『半沢直樹というオナニー』が市民権を得た」。
私は、「半沢直樹」がキオスクでコラボパンが売り出されるまで(笑)時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えてなりません。  続きを読む
Posted by masterhori at 08:40Comments(0)TrackBack(0)

2013年08月17日

近所の大学病院で大腸内視鏡検査を受け、思いがけず「善意の不作為者」に遭遇するの巻

組織の改革には抵抗が付き物ですが、抵抗勢力で本当に厄介なのは実は「善意の不作為者」です。
勿論、「悪意の不作為者」は、抵抗声力(笑)が非常に大きく、当初は彼らよりとりわけ物理的な意味で大変厄介です。
けれども、「悪意の不作為者」は、「悪意」の源(笑)である「改革により喪失するであろう自己利益」が「改革により獲得するであろう自己利益」よりトータルで小さいことに納得すれば、抵抗声力を同調声力(笑)に転換してくれるばかりか、改革のリーダーにさえ成ってくれます。
それに対し、「善意の不作為者」は、抵抗声力は小さいのですが、組織の長が合理的なインセンティブ(行動誘因)を設けるなど何がどうしても、終始何もしません。
しかも、通例、「悪意」の源に無頓着な上、改革の必要性や趣旨は肯定するからして、本当に厄介なのです。

なぜ、「善意の不作為者」は、自分が所属する組織の改革の必要性や趣旨を肯定するも、自分は一切動かないのでしょう。
私は、主因を専ら「成功体験の圧倒的欠如」、即ち、「分かっちゃいるけど、これまで物事を成功させた例(ためし)が無く、動けない」ということだと考えてきましたが、最近は他にもあるように考えています。
具体的には、「自分事の極小化」、即ち、「分かっちゃいるけど、新規の思考、行動、責任が億劫で、極力他人事化する」ということです。
「たしかに、思考停止と現状維持には独特の幸福感があり、彼らは、それに病み付きになっている。
一見同調勢力に見えるからして、誤解に注意し、改革の担い手として後回しにすべき」。
これが、問題のある組織で「善意の不作為者」に遭遇した時の、私の直近の基本スタンス(笑)です。

では、いかにして、「善意の不作為者」を見分ければ良いのでしょう。
これは、詰まる所「直観に委ねるのがベスト」と信じて止まないのですが(笑)、交わしたコミュニケーションの態度から推量するのも有効です。
たとえば、新たな問題が発覚した際、内容や視点に関心は示すものの、解決への関与は尻込みする。
かくなる態度の持ち主は、高確率で「善意の不作為者」です。

過日、私は、思いがけず「善意の不作為者」に遭遇し、直近の基本スタンスを遵守しました。(笑)
それは、半年ほど放置していた1300ng/mlとの大腸ガン検査(便潜血検査)の陽性反応を、重い腰を上げ(笑)、近所の大学病院で大腸内視鏡検査を受けて検証した時のことです。
詳細は文末を参照いただきたいのですが、要約すると、私は、事の成り行きで(笑)病院の既存の業務プロセスに問題(改善可能箇所)を見つけてしまい、解決案を付して看護師に指摘した所、彼女が、その内容や視点に関心は示すものの、「気づき難い尤もな考えなので、是非投書箱に投書して欲しい」と解決の関与を思い切り尻込みした為、一目散に退散した(笑)次第です。  続きを読む
Posted by masterhori at 07:05Comments(0)TrackBack(0)