2008年03月11日

アラン・プロストのインタビュー記事「今のF1はクルマが速ければ誰でも勝てる」から気づきを得る巻

世の中には、エンターテインメントコンテンツがあまたある。
F1(フォーミュラワン)、プロ野球、音楽、映画等々、数え上げたらきりが無い。

「エンターテイン(entertain)」は、「人を楽しませる」という意味の動詞だ。
エンターテインメントコンテンツは、生活非必需品であり、感動必需品だ。

エンターテインメントコンテンツのF1は、何が、見る者を感動させるのか?
それは、レース性とドラマ性だ。
なぜなら、生業ではなく趣味としてF1を見ている人が心底楽しめるのは、レースの結果よりも、そのプロセスであるからだ。

レース性は、死と背中あわせの勝負の産物だ。
ドラマ性は、予想外の出来事の産物だ。
レース性とドラマ性を創造するのは、主にドライバーだ。

アイルトン・セナアラン・プロストナイジェル・マンセルネルソン・ピケ
彼らは、1980〜1990年代にかけて数々のレース性とドラマ性を創造した名ドライバーだ。

彼らの人となりや運転スタイルは、全く違う。
が、共通していることがひとつある。
それは、高度かつ差別化された運転技術を素人にもわかるように見せていたことだ。

その最たるは、戦闘力の低いマシンを駆って戦闘力の高いマシンをパスorブロックすること。
私は、1992年モナコGPのアイルトン・セナとナイジェル・マンセルのバトルを過去100回は見ているが、今見ても感動してしまう。(笑)


F1 1992 モナコGP セナvsマンセル 投稿者 tibisukemomo

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このレースが終了し、16年もの歳月が流れた。
私は、その間ずっと、予約録画を駆使して(笑)、F1を見てきた。
が、正直、アイルトンが帰らぬ人となってからというもの、感動した覚えが無い。(涙)
また、年を追うごとに、予約の設定をし損ねたり、録画を真剣に見なくなっていたりもする。

なぜ、そのような変化が起こったのか?
それは、世の中でよく言われているように、「つまらなくなったから」、だ。

なぜ、F1はつまらなくなったのか?
それは、「レース性とドラマ性が感じられなくなったから」、だ。

なぜ、レース性とドラマ性が感じられなくなったのか?
それは、「レース性とドラマ性を創造するのに長けた名ドライバーが居なくなったから」、だ。

なぜ、名ドライバーが居なくなったのか?
私は、昨日標題の報道記事を読み、以下のように考えた。
(とりわけ名門)チームが、<そもそもF1はエンターテインメントコンテンツであること>と<ファンが感動するのはレースの結果よりもプロセスであること>を忘れ、確率論に基づく勝率の担保を一義に考え、結果、名ドライバーを育成することよりも、<名ドライバーを必要としない高度電子制御システム満載のマシンを製作すること>と<リタイアリスクが不可避なバトルをせずに高位置をゲットorキープできるピット戦略を策定&実行すること>に執心してきたから。

また、これは、以下のように抽象化できる。

企業は、自社の商品がどのような社会的意義を有し、かつ、対象とするお客さまからどのような価値を求められているかを持続的に認識すると共に、それらと整合する事業戦略を持続的に策定&実行しなければならない。
さもなければ、高確率でお客さまの離反を招く。


これは、ごく当たり前のことではある。
が、当事者になってみると、気づきにくいものだったりする。

アランは、現役時代、プロフェッサー(教授)と言われた。
プロフェッサーから授かった有意義な気づきを、私は十二分に活かしたい。


プロスト「今のF1はクルマが速ければ誰でも勝てる」<2008年3月4日付オートスポーツWEB>(※要ID登録)

今季から電子制御ドライバーエイドが禁止された新世代のF1について、元世界チャンピオンのアラン・プロストは、それでもまだ彼の時代とは比較にならないほど簡単な乗り物だと語っている。
「最近のF1には、好きになれないものがたくさんある」と、彼はイギリスのデイリー・メール紙とBBCのインサイド・スポーツの共同インタビューに答えて述べた。
「金とか政治とかテクノロジーの話が多すぎるんだ。そういうものがなければ、F1はずっといいものになりうるのにね」
プロストによれば、彼が特に幻滅したのは、最近のF1カーが誰でも簡単に運転できるように見え、月並みなドライバーでもすぐにF1に乗れることだという。
「私の時代には、ドライバーはもっと重要な存在だった。クルマを乗りこなす手助けをしてくれるようなテクノロジーが発達していなかったからだ。今のドライバーたちは1周目から最後の周まで、ただできるだけ速く走ればいいと思っている。クルマは速くなったが、ドライバーは頭を使っていないし、高度な戦術や戦略もない。そして、ドライバーとエンジニアの共同作業も少なくなった。私が好きなF1とは別ものだ」
「昔からクルマとチームはドライバーよりも重要だったが、私がレースをしていた時代には、少なくともひとつ確かなことがあった。速いドライバーは誰と誰なのかがハッキリしていたんだ。今はそれが明確ではない。グリッドの上から3分の2にいるドライバーを適当に選んで、速いクルマに乗せれば、それで勝ててしまうんだ。昔はそうではなかった」
(※以下は本文をお読みください)



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この記事へのコメント
5
ご無沙汰です〜。
F1に関してボクもプロフェッサー&堀さんと、全く同じ様に思います。
細かい事を言えば、レース性&ドラマ性にドライバーが関連している事は間違いないですが、多くの場合、マシンや戦略で決まってしまうようになりました。
何よりもF1をつまらなくしているのは、金と政治です。
もはやスポーツの域を超えてしまった感が否めないF1。
昨シーズン、F1に嫌気が差していた時期もありました。
(ステップニーゲートにおける、FIAの対応等)
誰が乗っても結果が同じとは言いませんが、スーティルにマクラーレンをドライブさせたら、恐らく昨シーズンのハミルトンみたいな活躍をしたと思います。

企業(チーム)が、勝つための努力をするのに、社員(ドライバー)の力が必要不可欠という事を、再認識&再確認する記事でした。

∠(`・ω・´)敬礼!。
Posted by やたすけ at 2008年03月12日 10:06
やたすけさん

負傷なさった指がかなり良くなったようですね。
コメントを頂戴でき、安堵しています。

本記事について、F1通のやたすけさんから共感を頂戴でき、光栄かつ嬉しいです。
ビジネスマンたるもの、自らが創造&提供している商品がニーズ系のモノ(=生活するのに無くてはならないモノ)なのか、ウォンツ系のモノ(=生活する上で無くても困らないが、あると心が喜ぶモノ)なのか、そして、お客さまが商品にとりわけ何を期待しているのか、いつも正しく認識していたいものですね!
Posted by at 2008年03月12日 11:01