2008年06月19日

「決断力」と「混迷の時代を往く」を再読し羽生善治さんが強い理由を考えるの巻

48f7889f.JPG6月17日午後8時10分、羽生善治さんは、第66期名人戦第六局において森内俊之名人を降し、永世(19世)名人となった。
当日、第5局に続いて朝日新聞社主催の大盤解説会へ参加していた私は、森内さんが投了した旨の知らせに歓喜すると共に、羽生さんへの敬意が深まっていくのをひしひしと感じた。

この感慨は自覚している以上に強く、私は、お開きになったにも関わらず、会場をすぐに出ることができなかった。
そして、解説を務めてくださった豊川孝弘六段へ以下を質問してしまった。

羽生さんが強い理由を一つ挙げるとすれば、何だとお考えになりますか?

豊川さんは、以下の旨答えてくださった。

努力の量だと思う。
私は、羽生さんと奨励会で同期だが、当時羽生さんのご両親は、「(息子は、将棋の勉強をしに)部屋に入ると、閉じこもってなかなか出て来ない」とおっしゃっていた。
才能がある上に努力の量がものすごい。
だから、(羽生さんは)強いのだと思う。

かつて、羽生さんは、NHKの「プロフェッショナル」に出演なさった時、こうおっしゃった。

才能とは、一瞬のひらめきやきらめきではなく、情熱や努力を継続できる力だ。

だから、私は、豊川さんの答えを聞いた瞬間、「やはり、そうか」と思った。
が、先述の感慨が強過ぎたせいか、どこか物足りない感を覚えた。
そこで、帰宅するや否や、羽生さんの著書である「決断力」と直近のインタビュー記事「混迷の時代を往く(将棋世界 2008年3月号)」を再読し始めた。
再読の結果、私は、「羽生さんが強い理由」には、豊川さんがおっしゃったことに加え、以下の五事項も含まれるのではないか、と考えた。
下手の横好きの考えゆえ信憑性は乏しいが(笑)、いずれの事項も公私共に通じるところが多く、私はフル活用する所存だ。

1>オールラウンドプレイヤーであるから
”オールラウンドプレイヤー”の対極は”得意戦法の持ち主”だ。
得意戦法を持つことは、他の全プロ棋士から高確率でマークされることと同義だ。
また、他の戦法との親和性&対応性を高確率で低くすること、並びに、視野を高確率で狭くすることとも同義である。
羽生さんが強いのは、「全ての戦法に等しく通じたオールラウンドプレイヤーだから」かもしれない。

<2>先人の現代に通じる姿勢&信念を良いとこ取りできているから
升田幸三さんからは「最善の手を見つける」執念(姿勢)を。
大山康晴さんからは「人はミスをする(→ゆえに、その時まで悪手を指さずに待つべし)」という信念を。
羽生さんが強いのは、「先人の現代に通じる姿勢&信念を良いとこ取りできているから」かもしれない。

<3>混沌を、不可欠事項とみなし、積極的に創っている&楽しんでいるから
混沌は、棋士へ、高い棋力&強い精神力を求めると共にミスを誘う。
混沌は、棋士にとって、チャンスであり、リスクでもある。
羽生さんが強いのは、「リスクでもある混沌を、チャンスとして、そして、将棋の醍醐味として、積極的に創っている&楽しんでいるから」かもしれない。

<4>全ての手に最善手を求めないようにしているから
全ての手に最善手を求めると、いい棋譜を残せる(→後世の人から褒め称えられる)確率が高まる反面、相手に手を渡し(=ミスを誘発する)たり、混沌を創り出すのが難しくなる。
混沌は、将棋にとって不可欠事項であり、無くしてしまっては、チャンスや醍醐味に加え、自身のモチベーションが激減してしまう。
羽生さんが強いのは、「あえて、全ての手に最善手を求めないようにしているから」かもしれない。

5>苦境が楽観できる思考回路を担保しているから
一見苦境に見える状況も、先入観に基く誤解だったりする。
「人は必ずミスをする」ことから、逆転の可能性は最後まで存在する。
最善手を重ねれば、チャンスは必ず訪れる。
苦境を一手の次善手内に収められれば、モチベーションは維持できる。
羽生さんが強いのは、「苦境が楽観できる思考回路を担保しているから」かもしれない。

末筆だが、羽生さんの永世名人資格獲得を心から祝うと共に、羽生さんの公私に渡る益々のご成功を心から祈念したい。(敬礼)


★再読した参考書籍

決断力 (角川oneテーマ21)
羽生 善治
角川書店
2005-07


P18
私の一手は「羽生マジック」といわれることがある。
複雑な局面で指した手が、相手や周りの人たちには信じられない手に映るようだ。
確かに、私の指した一手で不利な形勢が逆転することがある。
だが、逆転に狙いを定めた起死回生の一手ではない。
私は相手に罠をかけるような手は指さない。
マジックとか、奇を衒って何かをやっている意識はまったくない。
ただ、「勝負のツボ」に対する感覚が少しだけ他の人とは違うのだと思う。

その場面、場面で、諦めずに、ベストと信じる選択をしているつもりだ。
普通に指しているのだ。
発想自体は他の棋士と変わらないはずだ。
ただ、「これでいけるだろう」と判断する基準が、私の場合、甘いらしい。
可能性を人より広く持っているのかもしれない。

一つの局面で、どういう手をさしたいとか、どのような展開にしたいとかには個人差がある。
指し手の選択はそういうところから出るので、私の場合、変わっているといわれるのだろう。


P75
私は、どうなるかわからない混沌とした状況こそ、将棋の持っている面白さ、醍醐味の一つだと思っている。
そこには、発見があり、何かを理解することができ、何か得るものがある。
ものすごくやりがいがある。

それは、私自身がこれまで面白いと感じ続けてきたところであり、これからもその気持ちを大事にしてそういう面白さを発見し続けたい。
もちろん、将棋は勝負の世界だ。
いい結果も出さなければならない。
今は、その二つをうまく並行してやっていきたい気持ちでいる。


P109
私は、一手の差であればまだ追いつける、それが勝負の範囲と考えている。
一手の違いといっても一手の悪手の差ではない。
一手の次善手で追いつける差だ。

つまり、相手が最善手ではなく、判断ミスで次善手をさした場合に初めて追いつくわずかな差の範囲である。
相手の悪手によってようやく追いつけるような将棋は、そうとう差が離れている。
プロの場合は、次善手ぐらいの差でも、実はたいへんな距離なのだ。

逆にいうと、二手で挽回できないミスをしたら、その勝負は諦めるしかない。
特に、序盤の二手の差は致命傷だ。
追いつくことはできない。
一手違いで追いつけるならまだやる気が起きるが、どうやっても逆転できないとなると、さすがにやる気は起きない。
「投了しようかな」と思ってしまう。
マラソンで先頭の選手の背中が見えていれば逆転の気力を維持することができるだろうが、一キロも離されて姿が見えないと気力が萎えてしまうのと同じだ。


P113
私は常に、その局面の最善手を指していれば、必ずチャンスは巡ってくると思って指している。


P137
「オールラウンドプレイヤーでありたい」
私が棋士として大事にしていることだ。

一つの形にとらわれず、いろいろな形ができる、そんな棋士であり続けたいと思っている。
どんな相手にもどんな場面にも対応し、七番勝負なら、七番とも違った戦法で指したいと考えている。

そのためにも、「自分の得意な形に逃げない」ということを心がけている。
自分の得意な形に持っていくと楽だし、私にも楽をしたいという気持ちはある。
しかし、それを続けてばかりいると飽きがきて、世界が狭くなってしまう。
息苦しくなって、アイデアも限られてしまうのだ。



P144
「盤上最善の手を指し続けて勝つ」を旗印にしていた升田先生に対し、大山将棋の根本は、「人間は必ず誤る」の信念であった。
自分が悪手を指さなければ負けない。
目指したのは負けない将棋だ。
お二人は通算で百六十七局戦って、升田先生の70勝96敗1持将棋である。
ご自身が創意工夫した手を大山先生は盤面を網の目のように使って封じ込めてしまう。
「何でこんなに粘るのだろう」と思って頭にちがのぼってミスをする。
感受性が非常に鋭い人だったので、ものすごい苛立ちと忸怩たる思いを抱いていたのではないか。


P187
勝負の過程は棋譜として残る。
それは、いかに戦ったかであり、いかに、の中身は創造性である。
当時(※満19歳)は、多少勝負の麺ではリスクを負っても、後世にまで伝えられ、評価されるようなオリジナルな棋譜を残すことに挑みたいと考えた。
その挑戦が私の将棋を変えると考えたのだ。

そのために、私は、一手一手に常に最善の選択をしようと、必死に頭をしぼった。
野球のピッチャーでいえば、対戦する打者をすべて三振に打ち取って完全試合を目指すという気持ちだ。
たとえば、持ち時間が六時間や八時間の将棋で、それぞれの局面で最善手を見つけることが大事なのだと、勝負としては損を覚悟で、二時間、三時間と長考し、とことん読み切ろうとした。

今でもオリジナルな将棋を指したいという気持ちに変わりはない。
しかし、三十歳を過ぎてからは、「いい棋譜を残そう」「後世の人に評価してもらおう」という気持ちはなくなった。
(中略)
一手一手に最善手を求めていると、相手に「どうぞお好きになさってください」と選択をゆだねることができなくなる。
また、混沌として先が見えない状況も作り出せない。
「いい棋譜を残そう」という考えを捨てたら、複雑な場面がまったく気にならなくなった。

混沌とした状況なら混沌とした状況で、「これはこれで構わない」と自然体で指せるようになったのである。
ピッチャーが二、三点に抑えていれば試合はつくれる。
対戦していて、「これは面白い将棋だ」と感じることが多くなったのだ。





P56
私自身がどうこうというのではなく、将棋は"最後までわからない"ということが大きいのではないかと思います。
終わりに向かって可能性が小さくなるゲームでは逆転は少ないでしょうけど、将棋は、常に可能性は低くならない。

その意味で、将棋には"最後までわからない"という要素がふんだんに含まれています。
だから、私がやっているからということではなく、将棋はそういうゲームなんだ、ということだと思います。
たとえば囲碁は、終わりに向かって可能性が低くなります。
だから最後のヨセの一目というところで逆転することは、プロではまずありません。
でも将棋はそうではない。
その競技が持っている性質のようなもの、それに尽きるような気がします。

P57
(問:情報の山にうずもれないために気をつけていることは?)
先入観を持たない、ということです。
この局面はこちらがいいとか、この作戦はダメだとか、そういう先入観を持たない。
でも、先入観を持たないで見るのは、なかなか難しいんですよ。
先入観をもって見る方が簡単だし、楽だし、しかも効率がいいんです。
でも、先入観をもたないということは、一番大事なことだと思っています。
ひとつの局面を見るときに、たくさん情報があるとか、たくさん経験があるとか、考えた蓄積があるとか、そういうこととは別に、まっさらな視点で見る。
それは逆に、年齢を重ねれば重ねるほど難しくなります。邪魔するものがいっぱい出てきますから。



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羽生善治 チェスの情報チェック!【人気急上昇情報はこちらで♪】at 2008年06月20日 10:41