2009年04月17日

過去支援した企業の経営者からメールを頂戴するの巻

幸運にも、私は、若い時分から、企業の経営に携ることができた。
いつも、いかなる立場になっても、現場に身を置いてきた。
たくさん失敗し、少しだけ成功した。
現況の良否に関わらず、“その”企業が抱える問題点と解決の方向性を迅速かつ正確に見抜くことができるようになった。

なぜか。
不遜だが、企業の問題点と解決の方向性は、つまるところ知れているからだ。
つまるところ、問題点とは社員がお客さま満足の向上を積極的に志向しなくなった根源的理由であり、解決の方向性とは社員にお客さま満足の向上を積極的に志向せしめるインセンティブ(誘引)の置き所であり、いずれも目標/責任/権限/評価に集約される。

だいぶ前に見た映画に、「存在の耐えられない軽さ」という作品がある。
映画の趣旨や内容とは異なるが、私はそう感じることがままある。

存在の耐えられない軽さ [DVD]
ダニエル・デイ・ルイス
ワーナー・ホーム・ビデオ
2011-11-02


いつか。
最たるは、自分の提言が支援企業の経営者に受け入れてもらえず、危惧した未来が現実化した時だ。
この時、私は、自分の存在意義を心底懐疑する。
死を考えたことも、少なくない。

なぜか。
ひとつは、コスト倒れにさせてしまった支援企業に申し訳が立たないからだ。
もうひとつは、受け入れてもらえるよう提言できなかった自分の生存理由が見つからないからだ。

今日、私は、過去支援した企業の経営者(※以下「Aさん」と表記)からメールを頂戴した。
苦戦状況の中ハートフルなメールをくださったAさんのお心遣いはとても嬉しかったが、当時私が危惧したことがほぼ全て現実化している旨の一節に思わず泣けた。
私は、Aさんはもちろんだが、Aさん以外の経営メンバーと社員さん、そして、株主を代表とする全サポーターに合わせる顔が無い。
なぜ、私は当時提言を受け入れてもらえなかったのか。
誤解を恐れずに言えば、Aさん及び他の経営メンバーの目線を持たなかったから、いや、持とうとしなかったからだ。
お互い同世代であることをいいことに、彼らも自分と同等の経験値と緊張感を有していると都合良く解釈し、彼らの目線を持とうとしなかったからだ。
彼らと社員さんの速やかな成功を希求し過ぎるあまり、左脳に拠る「理解」に走り、右脳に拠る「共感」を軽視したからだ。

Aさんが経営する企業に対し、今私に直接できることは無い。
私は、同社の企業の反転を祈念すると共に、Aさんのお心遣いに報いるべく二の轍を踏まない所存だ。

末筆だが、Aさんの公私に渡るご成功を改めて祈念したい。(敬礼)



▼その他記事検索
カスタム検索

トップページご挨拶会社概要(筆者と会社)年別投稿記事/2009年

この記事へのトラックバックURL