2009年06月13日

一穂堂の上得意であられる鈴木さんに感動するの巻

23fd7783.jpg過日、真鍋政季さん一穂堂なるギャラリーへお招きいただいた時のこと。
私は、当ギャラリーの上得意であられる鈴木さんからご縁と知見を授かった。
キッカケは、某京職人さんの竹製のお椀を鈴木さんが解説くださったことだった。

私は、鈴木さんの解説に感動した。
へぇボタン」が鳴り止まない内容だったことに加え、大変素敵な笑顔で、熱心かつ心底楽しそうに話してくださったからだ。

私は、鈴木さんのお心遣いに感動した。
初見の私に件のお椀の価値を詳解くださったばかりか、私が亡き母がお茶の師範だったことを話すと、「相当の名品が遺っているはずだから、できるだけ触って、使ってあげてください!使い方次第で、まだまだ育ちますから!」と教示くださったからだ。

私は、感動のあまり、鈴木さんへ「鈴木さんがこんなにも逸品の価値を評価、共感しようとお努めになるエンジンは、一体何でしょうか?」と質問した。
不遜にも、「鈴木さんのような笑顔を会得したい!」と思ったからだ。
鈴木さんは、不躾な質問にも関わらず、解説の時と変わらぬ大変素敵な笑顔で「死生観かもしれない」と答えてくださった。
鈴木さんは、五歳の時に原爆を経験し、五体満足で生きていられることに「生かされている感」と「ありがたさ」をお覚えになったという。
そして、生家が事業に失敗したり、若くしてご主人が亡くなるなど不運に遭うも、いつもこの気持ちを胸に、全ての人とモノに感謝しながら、仕事と子育てに励まれたのだった。

私は、鈴木さんの生き様と知見に感動した。
鈴木さんが件のお椀の価値をあますところなく評価なさったこと。
鈴木さんが初見の私に評価した価値を熱心かつ楽しく解説してくださったこと。
鈴木さんが私に大変素敵な笑顔を見せてくださったこと。
これらはいずれも、自分以外の全ての他者に対する謝意と利他心の顕れ(あらわれ)だったからだ。

鈴木さんは一定の社会的成功をお収めになっているようにうかがえた。
昨今、社会的成功を収めた人の中には、それを独力で収めたように錯覚するばかりか、他者を過小評価したり、他者の存在そのものを否定する人が少なくない。
そんな中、鈴木さんは、不断に「生かされている感」を抱き、他者の存在に感謝し、他者の思考/行動/成果物の評価と共感に努めておられる。
笑顔は、生き様と知見の鑑である。
鈴木さんの笑顔が大変素敵なのは、至極自然なのだ。

私は、約二十年後、今の鈴木さんと同い年になる。
私は、これからの二十年、鈴木さんから授かった知見を自分のものにし、鈴木さんのような素敵な笑顔を会得したい。

鈴木さん、その節は本当にありがとうございました。(敬礼)



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