2010年01月20日

「一生涯記憶に残る」小林繁さんのご冥福を心から祈念するの巻

「記録より記憶に残る」という言葉があります。
最近では「喝!」で有名な(笑)「安打製造機」の張本勲さんは「この言葉は野球選手に相応しくない」旨おっしゃっていますが、不遜ながら私はそう思いません。
なぜなら、記憶に残っていくプロセスの中で、私たち一般人は、高確率で、その選手の人生が疑似体験でき、かつ、その選手特有の優れた思考&行動習性が授かれるからです。

ここで述べているように、私の思考&行動習性の基本は「“やる気”を持つこと」です。
私は、何事も、相応のロジック(合理性)があれば、あとは“やる気”でいかにでもなる、と思っています。(笑)

私がこの思考&行動習性を持つに至った最初のキッカケは、中学生時分、小林繁さんプロフェッショナルとしての生き様を拝見したことです。
私は、「江川事件」での小林さんの自重溢れる言動、及び、事件後の小林さんの大活躍に感動し、「人は、自分が心底やりたいと思うことがあれば、いかなる理不尽や困難にも負けないばかりか、ポテンシャルをフル活用して、成果へ通じる道を見つけられる」ことを知りました。
この意味において、今の私があるのは、小林さんのお陰です。
小林さんは、私にとって、「記録」よりも(以上に)、「記憶」に残るプロフェッショナルです。
私は、小林さんが帽子を飛ばしながら全力でボールを投げるさまを、一生涯忘れません。
私は、この場を借りて、小林さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。(敬礼)





★報道記事/「反骨のダンディー 小林繁さん熱投の軌跡」

「空白の一日」で巨人から阪神へ

1970〜80年代に巨人、阪神でエース格の投手として活躍した現日本ハム1軍投手コーチの小林繁さんが17日、57歳で急逝した。重心が低い独特の右サイドスローのフォームと、気迫あふれる投球でファンを魅了した「背番号19」が、突然、この世を去った。

小林さんは、全大丸から72年オフに巨人に入団。スリムな体から投げ込むキレの良い変化球が川上哲治監督(当時)の目を引き、74年には8勝を挙げて頭角を現した。

長嶋茂雄監督の就任2年目となる76年には、チーム最多の18勝(8敗)を挙げて、リーグ優勝に貢献。胴上げ投手にもなった。77年にも18勝7セーブ(8敗)と活躍し、最初の沢村賞を獲得した。

小林さんの野球人生に大きな転機が訪れたのは、79年1月31日。いわゆる「空白の一日」騒動で、江川卓投手の交渉権を得た阪神は、トレードの交換相手として小林さんを指名し、小林さんは春季キャンプに出発直前に、羽田空港から球団に連れ戻され、トレード通告を受けた。小林さんは「野球が好きだから阪神に行く」と話し、「同情はされたくない」と言い切った。潔い姿は野球ファンの大きな共感を呼び、人気は高まった。

移籍1年目の79年シーズンは自己最多となる22勝(9敗)を挙げて、初の最多勝利投手となるとともに2度目の沢村賞を獲得。特に因縁の巨人に対しては無傷の8勝と圧倒的な強さを見せた。当時、同僚だった阪神・真弓明信監督は「(巨人戦は)ムキになっていた。後ろから見ていても『絶対勝つ』という気で投げていると感じた」と振り返る。

その後も毎年2けた勝利を続けたが、13勝14敗1セーブに終わった83年10月、突如として現役引退を表明。「気力がなくなった。引き際を大切にしたい」と31歳の若さでユニホームを脱いだ。通算成績139勝95敗17セーブ、実働11年の短さだったが、記録以上にファンの記憶に残った。

引退後は野球評論家を経て、97〜2001年には近鉄(現オリックス)で投手コーチを務めて01年のリーグ優勝に貢献。梨田昌孝監督(現日本ハム監督)、当時の打撃コーチ・真弓監督とともに「男前三人衆」としても話題になった。01年に近鉄のユニホームを脱いだ後は、事業に失敗して自己破産も経験したが、昨年、盟友の梨田監督のもと日本ハムの2軍投手コーチに就任。今季は1軍投手コーチとなったばかりだった。また07年には日本酒のテレビCMで江川さんと共演し、話題を呼んだ。【田中義郎】

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◇空白の一日

1977年の新人選択(ドラフト)会議でクラウンライターから1位指名を受け、入団を拒否して米国留学していた元法大の江川卓投手と、獲得を熱望していた巨人とが、78年ドラフト前日の11月21日に契約した。巨人は野球協約の解釈として、クラウンライターから球団を引き継いだ西武の交渉権は20日に喪失し、21日は江川投手を拘束できない「空白の一日」であると主張した。この契約をセ・リーグが無効としたため、巨人はドラフト会議をボイコット。江川は4球団から指名され、阪神が交渉権を得た。事態は紛糾したが、当時の金子鋭コミッショナーがキャンプインまでのトレードによる解決策を「強い要望」として出し、79年1月31日に阪神が江川投手と契約、直後に巨人・小林繁投手とトレードされた。

◇こばやし・しげる

1952年11月14日、鳥取県生まれ。由良育英高(現・鳥取中央育英高)から社会人野球の全大丸を経て72年に巨人入団。76年から2年連続で18勝を挙げるなど活躍した。79年に阪神に移籍し、その年に自己最多の22勝。83年に現役引退。97〜01年に近鉄(現オリックス)で投手コーチ、07年に韓国プロ野球SKで2軍投手コーチを務め、09年から日本ハムのコーチとなっていた。

※2010年1月17日付毎日jpから転載
http://mainichi.jp/enta/sports/graph/2010/0117/?link_id=RED05




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