2010年05月08日

勝間和代さんをかくも一方的に批判しまくるコストは本当に見合う、報われるのかを考えるの巻

ここ数日、勝間和代さんがネット上で叩かれまくっています。
司会を務めるテレビ番組(「デキビジ」)でのゲスト(西村博之さん)との議論が議論の体をなさなかったためで、勝間さんに対するネガティブコメントがブログやtwitterに溢れています。

議論の内容を見ると、たしかに、司会としての勝間さんの議論の進行には、以下のような叩かれても致し方ない不適切な行動が散見できます。
<1>話題を無脈略的にコロコロ変える。
<2>議論が噛み合わないと、「だめだこりゃ」なるコメントを発する。
<3>議論がひとしきり終わると、「今日は一番(対談が)やりにくかった」旨コメントする。
これらは、議論の進行を妨げ、ゲストと視聴者を落胆させるに十分です。

とはいえ、私たちは、勝間さんをかくも叩きまくる必要があるのでしょうか。
私たちは、勝間さんをかくも叩きまくって何になるのでしょうか。

断っておきますが、私は「勝間さんを擁護しよう!」と言っているのではありません。
私が言いたいのは、不適切な行動をしてしまった勝間さんに対し、勝間さんが抗弁や反撃ができないこと(=私たちが不敗かつ安全な立場に居ること)をいいことに、不適切な行動の内容に留まらず、それを招いたと推量される資質や習性を私たちが代わる代わる執拗に批判することが、どれほど私たち自身に肯定的な影響を与えるのか、つまり勝間さん的に言えば、「かくも一方的に批判しまくるコストは本当に見合う、報われるのか?」ということです。
私は、「他者に対し行うべきは、批判ではなく意見である」、と考えています。
また、批判の意義は必ずしも否定しませんが、一方的かつ過度な批判は批判する方もされる方もコスト倒れになる、と考えています。
なぜなら、批判の論旨には限りがあり、一方的かつ過度な批判は、たとえ表現を変えたところで、批判にならない(→批判する方にとってはストレス解消や自慰行為に、批判される方にとっては人格攻撃に変容する)からです。
よって、私は、「勝間さんをかくも一方的に批判しまくるコストは、見合わない、報われない」、と考えます。

誤解を恐れずに言えば、私たちが勝間さんをかくも批判するのは、勝間さんが現在享受しているビジネスでの成功が、勝間さんの日頃の言説、議論の中の言動、議論の中からうかがえたビジネス能と合致せず、不条理かつ妬ましく感じられるからです。
一対一の戦いでお互いの手の内まで明らかになっている将棋の勝敗を決めるのは実力ですが、一対他の戦いでお互いの手の内が明らかになっていないビジネスの成功を決めるのは実力とは限りません。
ビジネスの成功者に過度に実力を問うのは、しかも不条理や嫉妬心から問うのは、ナンセンスかつ不賢明です。



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この記事へのコメント
今、我が子の幼稚園では掲示板が
炎上とまでは行かないモノの、
正直、荒れています。

事の発端は新規採用の担任が
新学期開始から1週間で退職したこと。

しかも二人ほぼ同時に・・・。

匿名であるのをよいことに、
私が思う最大のNGワード
『保育料を払ってるんですから』
まで飛び出してしまいました。

先々週くらいから事の収拾に当たっています。
まったくつまらないエネルギーを
私も先生たちも使っています。

日本人って変わっちゃいましたね。
Posted by 不入斗 at 2010年05月09日 07:18