2010年06月24日

シンポジウム「ネットとマスメディア」での土屋敏男さんと亀松太郎さんのコメントに考えさせられるの巻

先週の土曜(6月19日)、私は、マスコミ倫理懇談会全国協議会が主催の「ネットとマスメディア」なるシンポジウムに参加しました。
あいにくシンポジウムそのものは期待外れだった(涙)のですが、登壇なさったお二方から考えさせられるコメントを授かったので、意訳の上備忘録させていただきます。(笑)
【お一人目】土屋敏男さん/日本テレビ放送網編成局エグゼクティブ・ディレクター

2005年に第2日本テレビを立ち上げるトリガーになったのは、当時ライブドアの社長だったホリエモンの言葉だ。
彼は、当時、「テレビとネットの融合」を唱え、「たとえば、ドラマを見ている視聴者が、出演者のカバンが気になったら、それがその場ですぐに買えるようになる」とか言っていた。
私は、彼のこの言葉を聞き、「何〜〜〜!」と思った。
視聴者が出演者のカバンに目が行く」ということは、「そのドラマはドラマとしてはつまらない」ということだ。
彼が唱えていることは、「新しいビジネスモデル」ではあるかもしれまないが、「新しいコンテンツ」ではない。

私は、当時、放送局の経営者や社員が堀江貴文さんを嫌ったのは、「買収やリストラといった経営手法に対する心理的抵抗や畏怖の表れ」とばかり思っていましたが、土屋さんのこのコメントから、少なくとももう一つあることに気づかされました。
それは、「放送人視点がなおざりにされたことに対する憤慨の表れ」です。

例えば、自動車メーカーの経営者や社員は、基本、「自動車メーカー人視点」を持っており、「より高性能で、より楽しい自動車を創ることが自分たちの一番の使命であり、かつ、お客さまと会社の双方の繁栄を最も促す」と考えています(少なくとも私と周囲の人間は当時そう考えていました)。
同様に、放送局の経営者や社員も、「放送人視点」を持っており、「より新しく、より楽しいコンテンツを創ることが自分たちの一番の使命であり、かつ、視聴者、広告主、会社の三者の繁栄を最も促す」と考えているのではないでしょうか。
だから、彼らは、堀江さんが「より新しく、より楽しいコンテンツを創ること」については特段触れず、コンテンツの流通方法についてのみ新しい策を例示し、それでもって視聴者、広告主、会社の三者の繁栄が可能と唱え(ている様に感じ)る行為を「自分の放送人視点をなおざりにする行為」と受け取り、堀江さんに憤慨し、堀江さんを嫌いになったのではないでしょうか。

断っておきますが、ここで私が言いたいのは、堀江さんと彼らのどちらの考えが正しくて、どちらが間違っていたか、ということではありません。
そもそも、ビジネスや人生には正解はありませんし、仮にいくら正解を選択→実行しようとも、利害関係者に嫌われたら、そのプロジェクトはジ・エンドです。

私は、土屋さんのこのコメントから、相手視点をなおざりにするのはもちろん、なおざりにしているように受け取られかねないメッセージングの危うさを再認識しました。
土屋さん、考えさせられるコメントをありがとうございました。(礼)


【お二人目】亀松太郎さん/ドワンゴニコニコ事業本部企画開発部第4セクションマネージャー

(1995年に新卒で入社した)新聞社を3年で辞めた理由の一つは、倫理の教科書を作っているようでつまらなかったから。

新聞は、テレビと並んで、マスメディアの親分とも言うべき存在です。
新聞社毎に主張の違いは多少ありますが、大多数の購読者と大手の広告主を保有することが経営上免れないため、記事の趣旨は、彼らに支持され易い「あるべき論」や「予定調和」が主とならざるを得ません。
亀松さんが、記事を執筆する行為を「倫理の教科書を作っている」ように感じたのは、新聞のこうしたビジネスモデルや性質に拠るものと思われます。

断っておきますが、ここで私が言いたいのは、新聞のこうしたビジネスモデルや性質が良いとか悪いとか、ということではありません。
そもそも、商品のビジネスモデルや性質といったものにも正解や不正解はありませんし、仮に正解を現時点で選択→実行していても、お客さまのニーズや外部環境が変われば、改めなければいけません。

私は、亀松さんのこのコメントから、「あるべき論」や「予定調和」の強制がいかに人のやる気を殺ぎ、幻滅を与えるかを再認識しました。
亀松さん、考えさせられるコメントをありがとうございました。(礼)



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