2011年07月17日

高田ケラー有子さんの講演会に参加し、気づきと喜びを授かるの巻

過日、私は、高田ケラー有子さんの講演会(「デンマーク教育現場レポート」)に参加しました。
高田さんは、デンマーク在住の造形作家で、著書と村上龍さんのメールマガジン(「平らな国デンマーク/子育ての現場から」)により、デンマークの文化と事情を女性、芸術家、妻、母の立場から鋭く比較レポートくださっています。
私は、高田さんのレポートの数年来の愛読者でしたが、今回高田さんに眼前で直接レポートいただき、気づきと喜びを多々授かりました。

私が高田さんから授かった一番の気づき。
それは、「個人と社会の幸福を高次に実現するには、人(他者)を嫌いにならない思考習性と文化を育むのが有効かつ賢明だ」ということです。
個人が幸福を実現するには、主に二つアプローチがあります。
一つは、「自分らしく生きて(=自分の考えや意思で物事を決断、実行する)、人生の絶対的な満足度を上げること」です。
それと、もう一つは、「他者よりも高スペックに生きて(=他者よりも比較的高い社会的、経済的地位を得る)、人生の相対的な満足度を上げること」です。

デンマークの幸福度が高いのは、直接的には、個人と社会の双方が前者のアプローチを支持、励行しているからです。
例えば、日本の小中学校に該当する国民学校では、入学自体が強いられていなかったり(←教育義務はあるが、就学義務は無い)、相対評価ではなく絶対評価が採用されていたり、三者面談(教師/親/子ども)の覚書(=課題克服のアクションプランなどが含まれている)のサインが親ではなく子供に求められていたり、9年生の最高学年の上に希望者向けに10年生が設けられている(←「納得感や自信が不十分なまま卒業、進学するのはナンセンス」という考え)のです。

ここからは私の推量、思考ですが、こうした教育は、同時に、「人はそれぞれ」を旨とする人を嫌いにならない思考習性と文化を(一層)育んでいるはずです。
さらに、幸福を実現するための後者のアプローチ、即ち、「他者よりも高スペックに生きて、人生の相対的な満足度を上げること」をナンセンス化しているはずです。

そして、これらは、次の二つのインパクトをもたらしているはずです。
一つは、個人が自分の人生の絶対的な満足度を上げることにのみ(一層)励むようになる、ということです。
それと、もう一つは、後者のアプローチの本質である「他者を卑下し、嫌いになることで、自分を肯定し、自惚れる」という思考習性が育まれなくなる。
結果、後者のアプローチの主行動である「見栄を張る」、「他者を妬む」、「他者を差別する」、「他者と過剰に競争する」といった「高コストかつ貰いと持続性に乏しい行動」のインセンティブ(誘引)が社会から消滅する、ということです。

デンマークの幸福度が高いのは、本質的には、これらの二つのインパクトの相乗効果です。
つまり、実現コストが個人、社会共に最低で(←個人が自分の人生の絶対的な満足度を上げる行動に要するコストと、社会がその行動を奨励、担保するコストだけで済む)、持続性は最高だからであり、後者のインパクトをして「人(他者)を嫌いにならない思考習性と文化」を(一層)育んでいるところは、目から鱗的に有効かつ賢明です。
個人、社会共に、高いコストを投じて「人を嫌いになる思考習性と文化」を育んでいる私たち日本人は、このデンマークの幸福実現システムを大いにまねぶべきです。

加えて、私が高田さんから授かった一番の喜び。
それは、私を信頼し、最後の最後までオープンマインドで居続けてくださったことです。

高田さんは、講演中に限らず、講演終了後の質疑応答でも、「『もうやめて!』オーラ」(笑)をつゆも漂わせず、私の質問にじっくり耳を傾け、笑顔で、私の目を温かく見つめながら答えてくださいました。
女王陛下がお住まいのデンマーク宮殿が塀も門も無いのは、他者を積極的に信頼し、他者に心を開いていることのデンマーク流態度表明とのこと(★1)ですが、高田さんがそれを自ら初見の私に実践くださり、私は感心感動しました。
私は、「自分が人生を楽しみたいからこそ、人(他者)を楽しませる」という、個人と社会に「楽しさの連鎖」をもたらす"ヒュッゲ(hygge)“の精神(★2)共々、大いにまねびたいと思います。

末筆ですが、気づきと喜びに富む講演会を行ってくださった高田さんに、この場を借りて改めて感謝申し上げます。(礼)



1:デンマークの学校や宮殿に塀や門が無い件に関する高田さんのお話

息子の学校には、塀もなければ、門もありません。
さらに言うと、女王陛下がお住まいになっている宮殿にも塀がありません。
中央の広場には、いつでも誰でも出入りすることができます。
車まで通れるんですよ、吃驚してしまいます。
それも、国民性の反映の一つだと思うんですけれども、コミュニケーションの障害となるようなものは取り払うというか、中に居る者が外に向けて心を開いておくように、誰でもが入って来易い環境というものが作られています。
もちろん、安全面での心配も全く無いとは言い切れませんけれど、いい意味で人を信頼しているという最大の理由がうかがえます。
どこからでも誰でも入れるようになっていますけれども、「関係の無い人がわざざわ入ってくる必要がどこにあるんだ?」というのがデンマーク人の考え方です。
以前、主人に一度「大丈夫なの?」と訊いたことがありますけど、「市民が守っているから大丈夫。周りにいっぱいデンマーク人が暮らしているんだから、絶対大丈夫」と返され、ほおなるほど思いましたけど、そういう感覚が(デンマーク人には)あります。


2:「ヒュッゲの精神」に関する高田さんのお話

「ヒュッゲ」という言葉は、デンマーク語で「快適に過ごす」、「ゆったりと過ごす」、「楽しく過ごす」といった意味合いに、暖炉とかろうそくの灯火のような温かみのようなものが加わった感じの言葉で、日本語で最適な表現、的確な表現はありません。
食事を終えてソファに座ってゆっくりお茶を楽しむ時間もヒュッゲなら、親しい友人や家族と集まって賑やかに楽しむのもヒュッゲです。
自分自身がヒュッゲのひと時を過ごしたいために、人も一緒に巻き込む。
ヒュッゲは、自分一人ではなくて、家族や友人が共に居ることが、この言葉の重要な要素でもあります。
自分が楽しみたいからこそ、楽しい企画を立てる。
人を楽しませるためには、まず自分が楽しまないことには、本当の意味で人を楽しませることなんてできないですよね。
その辺がデンマーク人は本当に上手だな、と思います。
それは学校でも同じことで、クラスみんなが楽しく過ごせるように、担任は色々な企画を考えます。
たとえば、この日は寝袋で読書をする日で、子どもたちは、読みたい本と寝袋と山盛りのおやつを持参して、一日中寝袋にくるまって好きな本を読みます。
休み無く授業を続けるのではなく、何とも怠惰な一日なんですけれども、淡々と授業を続けるばかりではなく、年に一度はこういう日を設けています。
(中略)
こうして大人が一緒になって楽しむからこそ、子どもは安心して楽しいひと時を過ごすことができるんだろう、と思います。
そして、いっぱい楽しい思いをして育った子どもは、大人になって、その楽しさをまた子どもに伝えていく。
楽しさの連鎖効果がある、と私は見ています。







▼その他記事検索
カスタム検索

トップページご挨拶会社概要(筆者と会社)年別投稿記事/2011年

この記事へのトラックバックURL

この記事へのトラックバック
笑顔の展覧会を一昨日より開催しております。 入退場自由で皆様にはふらっと立ち寄って頂いております。ありがと...
参加者の皆様のメッセージ 笑顔の展覧会〜世界からの2000人のメ...【笑顔の展覧会 世界からの2000人のメッセージ】at 2011年07月24日 23:03