2013年05月08日

元上司と呑み、感動、思考するの巻

過日、今の私を作ってくれた元上司の二人と三年ぶりに呑んだ。
いくつか深く感動、思考することがあったので、忘れない内に(笑)備忘録しておきたい。
(※スピードと率直さを重視し、敬語や敬称の類は省略。乱文はご勘弁。)

元上司の一人(※以下「Aさん」と表記)は、リタイヤして約10年になる。
そのせいか、俗世間のストレスが殆ど無い様で、肌ツヤが非常に良く、大変元気に窺えた。
二次会のカラオケでAさんが最も多く、最も声高らかに歌ったのは、その証左かもしれない。(笑)

Aさんの選曲は、吉田拓郎やアリスなど、70、80年代のフォークとニューミュージックが中心だった。
私は、これまでもAさんとはカラオケで何度も共にしているが、今回の選曲は初見が大半だった。
Aさんは今、BSで再放送中の「おしん」にハマっているという。
Aさんにとって70、80年代は、20、30才代の、最もハードに働いていた時代だ。
Aさんは今、70才を目前に青春を取り戻し、謳歌しているのかもしれない。

今、Aさんの様な、昭和20年前後生まれの元企業戦士をターゲットにした「懐かしマーケティング」が様々な分野で盛んだが、それは、彼らが企業戦士を全うする余り、青春を諦めたことが大きく関与しているのかもしれない。
今、元企業戦士は、仕事と子育てから完全に離脱し、諦めた青春を「大人買い」しているのかもしれない。

もう一人(※以下「Bさん」と表記)は現役で、シニアマネジメントのポジションに就いている。
出社時は8時から20時までビッチリ仕事漬けの上、Aさんとは異なり(笑)、相変わらず家庭より仕事に未練のある、仕事を離れても仕事のことを考えてしまう性分ゆえ、ストレス全開なのだという。
そのせいか、カラオケではAさんに負けないくらい熱唱した。(笑)
Bさんの選曲は、三田明や北島三郎をはじめとする60年代、70年代歌謡曲が中心で、中村雅俊の「恋人も濡れる街角」の様な定番(笑)は僅少だった。
Aさんは、Bさんの芸風の変化を「ここの所の子会社社長経験の影響」と断定した。(笑)
やはり、人は環境で変わる。

帰路、Bさんは、私に二人きりで話す場をくれた。
いつものこととはいえ、私は嬉しかったが、Bさんも嬉しかったに違いない。
いかに仕事でポジションが高くなろうと、いかに名刺のストック数が増えようと、本当に「話せる人」はそうそう増えない。

実際、Bさんは私に話があった。
間も無くして、Bさんは、共通の知人であるCさんの他界のてん末を話し始めた。

Bさんは、Cさんを私人として深く敬愛していた。
Bさんは、Cさんを「話せる人」と考え、また、Cさんも自分のことを「話せる人」と考えている、と思っていた。
たしかに、Cさんは、Bさんと私的にも親交があった。
Bさんが地方で子会社の社長を務めていた時分、Cさんが旅行で訪れたのも、Bさんを私人として敬愛し、相応に「話せる人」と考えていたからに違いない。
しかし、結果的には、CさんがBさんを「話せる人」と考えていたのは、BさんがCさんに対して考えていたのと次元が違っていた。

Bさんは、Cさんのお子さんの一件を知っていた。
Bさんは、Cさんの奥さんとも面識があり、Cさんが奥さんと精神的に断絶していたのも知っていた。
その上で、Bさんは、Cさんのお子さんの一件を肯定的に理解していた。
勿論、合理的に考えれば、元凶はCさんだが、Cさんの当時の偉業を鑑みるに、本件は多分に致し方なく、責めるべきものではない、と思っていた。
しかし、Cさんは、Bさんにこれらを一切話さなかったばかりか、その辛苦をおくびにも出さなかった。
Bさんは、自分がCさんにとって「話せる人」に成り切れなかったことが、堪らなく辛かった。

私も、Cさんのお子さんの一件を知っており、Bさんと同様、肯定的に理解していた。
私は、月並みな言葉ではあったが、ただ本心からBさんにこう言った。
「良い悪いは別にして、Cさんがそうしたのは無理も無いし、分かりますよ。また、Cさんが(Bさんを私人として敬愛していながら)それを最期まで話せなかった気持ちも分かりますし、話してもらえなかったBさんの気持ちも分かりますよ」。
Bさんは、私のこの言葉に破顔し、「そうか」と応えた。
そして、「この一年、お前にこの話をしたかったんだ」と続けた。
私は、自分がBさんにとって依然「話せる人」に成れていたことも嬉しかったが、それ以上に、Bさんが私に対して「話せる人」と考えていたのと、私がBさんに対して「話せる人」と考えていたのと依然次元が違っていなかったことが、堪らなく嬉しかった。

意外だったのは、Cさんが、組織のリーダーとして偉業には恵まれたものの、「話せる右腕」には恵まれなかったことだ。
リーダーが組織的に偉業を為すには、メンバーの主体性と最善努力が欠かせず、然るに、リーダーは、メンバーにそれを促すプロセスを経て、とりわけ中核メンバー、即ち「右腕」と、敬愛に基づく同志、私人関係を構築する。
ゆえに、私は、あのCさんのこと、少なからず「話せる右腕」に恵まれたと推量していたが、結果的にはそれも違っていた。
Bさんは、「人(他者)の内的心情を正確に理解するには、『人を慮る知性』が要る」との持論を披露した。
これは甚だ尤もで、たしかに、人は相手の「人を慮る知性」の度合いに応じてしか、自分の内的心情を話さない
Cさんの組織上又は歴史上の右腕の「人を慮る知性」は、Cさんのそれに及ばず、Cさんの内的心情を正確に理解するには足りなかった。

生憎Cさんは、公私共々「話せる人」に恵まれなかったが、そもそも他者の「人を慮る知性」と「話せる人」の存在は、自助努力を超えているに違いない
人は、「話せるたった一人の人」にさえ恵まれれば、幸せなのかもしれない


絶海にあらず〈上〉 (中公文庫)
北方 謙三
中央公論新社
2008-06




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