2016年11月08日

河野洋平さんを「プライムニュース」で再度拝見し、人と人を持続的に丸く収める解を気づかされるの巻

過日、私はBSフジの報道番組、「プライムニュース」を見た。
ゲストは河野洋平さんと息子の太郎さんだった。
私が洋平さんのゲスト出演番組を見るのは、今回で二回目だった。
初めて見たのもこの番組で、当時の議題は慰安婦問題だった
洋平さんは、いかなる思考で所謂「河野談話」を出したのか、論理的に、また、とても誠実に語られた。
私は、洋平さんの慰安婦問題の主張は否定的だが、他の主張、および、底流にうかがえる持論や信条は、司会の反町理キャスターに負けず劣らず「なるほど」だった。(笑)

今回の議題は自民安倍政治の是非だった
洋平さんの主張は前回にも増して「なるほど」で、その最たるは以下、自民党総裁任期延長の懐疑と新自由クラブ分裂(→解党)の自責だ。
「こんなにマトモな政治家が居たのか」。
不遜だが、私はこう感心し、挙句、洋平さんを政治家である前に、先ず人として尊敬してしまった。
最近、石原慎太郎元都知事が築地市場移転問題でメディアによく取り上げられているが、相変わらずの強弁に、過日、高嶋秀武アナは「謝れない人」と切り捨てた。
石原さんのオレ様第一主義(笑)に対する高嶋アナの物言いはこれまた「なるほど」だったが、反対に、自分、ないし、自己利益や自尊心より道理を優先し、誤解と過誤を素直に省みる洋平さんは「謝れる人」と言って良く、人として尊敬せずにはいられなかった。
[1]
(党則の改正が検討されている、自民党の)総裁任期延長には決定的な問題がある。
任期を変えること自体には問題はないが、執行は次の総裁からにすべきだ。
今の総裁から執行すること、つまり、今の総裁が、自分で自分の任期を変えること、には問題がある。
総裁は、党内で今一番力のある人のことだ。
その今一番力のある人が、自分で自分の任期を変えるのは、フェアでない。
今の総裁は今のルール、土俵で総裁になっているのだから、そのルールを今の総裁が変え、自分で自分の土俵を後ろに下げたら、フェアではない。

[2]
新自由クラブの結党を決心した時、先輩諸氏から様々なアドバイスを頂戴した。
次の三者のそれは、当時は軽視してしまったが、依然強く記憶に残っている。
石田博英さん曰く、「(君は)何かやるようだが、やるなら短期戦でやるか、長期戦でやるかを先ず決めろ。短期戦でやるなら、各自の悩みや矛盾は飲み込んで突っ走れ。長期戦なら、そういうものは全て皆の前に吐き出し、皆で議論、意思統一しろ」。
田中角栄さん(の伝聞)曰く、「新党は6、7人の小さな所帯なのだから、朝に晩に一緒に集まり、飯を食え」。
三井三池炭鉱のストの組合委員長曰く「眼の前の敵と戦うのは、持ち前の力の4割に留めろ。後の6割の力は、自分の後ろ、つまり、身内、に使え」。
当時、私はなぜ軽視したか。
短期戦、長期戦ウンヌン言っても、とりあえずはやってみなければ分からず、とにかく、当面やらなければいけないのだから、種々「飲み込んで」走る以外ない、と。
各自手分けし、一分を惜しんで東奔西走しているのだから、「朝に晩に飯を食う」なんてできっこない、と。
何せ無勢ゆえ、目の前の敵と100%で戦わなくては戦えない、と。
しかし、1、2年後には、この三者の言う通りになってしまった。
具体的には、党の政策綱領を作る中で、盟友の西岡武夫さんと護憲を貫くか否か徹底論争、意思統一せず、「とりあえずくるんで」しまった。
挙句、西岡さんと深刻な路線変更が発生し、党内が分裂してしまった。
三者のアドバイスを軽視せず、従っていれば、うまくいったと思う。

[3
イギリスの親しい政治家にロビン・クックが居る。
彼は(所属政党が支持する)イラク戦争に反対し、外務大臣を辞めたが、離党はしなかった。
かつて太郎を連れ、イギリスの政治を視察(勉強)に行き、彼と場外で談話していた時のこと、彼は議会再開のベルが鳴ると、「俺もバックベンチャーになったから」と、急いで議場に入っていった。
外務大臣の時はフロントベンチ(議場の一列目)に座れたのだが、外務大臣を辞め、そうはいかないからだ。
私はその様を見、後で彼に、「なぜあんなに戦争に反対し、辞表まで出したのに、まだ党に残っているのか」と問うた。
彼は、「いや、戦争には反対したが、党のその他の政策はみな合意できている」と答えた。
一つのことがダメだからといって、全部がダメだということではない、ということだ。
これは、絶えず自覚すべき大事な視点であり、新自由クラブの失敗の原因だ。
シングルイッシュー(single issue)パーティでは結局ダメだ、と、
これを周りから指摘された時は、正直閉口した。
私が新自由クラブを作り、世に問うたのは、自民党の体質そのもの(がダメなんだということ)で、何か一つの個別のイッシューを問うたつもりはなかったからだが、たしかに政党たるもの、他党、政権与党の体質不全だけをイッシューにし、それを批判しているだけではもたなくて当然かもしれない、と後で思い知った。

先に私は、洋平さんの慰安婦問題の主張は否定的だと述べたが、もし、私が政治を志し、洋平さんが改めて新党を立ち上げたら、入党を志願するだろう。
なぜか。
直接の理由は、先の[3]に同意するばかりか、近年つくづくそう思う(省みる?・笑)からだ。
政党であれ何であれ、結局、人は他者と何らか徒党を組む必要があり(←個人の力量と成果は知れている)、シングルイッシューの同意、不同意だけでその意思決定をするのは、クック氏と洋平さんの言うように、マトモな大人のすることではない。
しかし、やはり一番の理由は、徒党の長が、先ず人として余りにマトモだからだ。
政治であれ何であれ、結局、仕事は人を幸せにすることが趣旨かつ存在意義であり、その為に他者と徒党を組むなら、その長は仕事人である前に、人としてマトモで、尚且つ尊敬できることがあり難い。

加えて、もし、私が洋平さんの新党に入党を許され、そして、共にあるべき日本に向かい試行錯誤できたら、洋平さんの慰安婦問題の主張を否定できなくなるだろう。
というか、洋平さんの悲願の一切を「断れなくなる」だろう。
なぜか。
一番の理由は、主張主の人としてのマトモさを同志として嫌というほど目の当たりにし、人として白旗を上げる(笑)に違いないからだ。
近年、ドナルド・トランプ氏が米大統領選で善戦(?)するように、個別および特定の主張は「なるほど」なのに、一般のそれは残念な人、即ち、「専門家や仕事人しては尊敬できても、人としては尊敬できない」人が、増えている印象がある。
「どの分野、マーケットも専門分化が進み、『専門バカ』の増殖が促されるから」。
レッドオーシャンが増え、マーケットプレイヤー、それもとりわけ新規参入者は、炎上マーケティング等、ひんしゅく覚悟の感情マーケティング&自己プレゼンが促されるから」。
これらは先の印象の近因だが、本質的な原因は、人としてマトモなことが、「今の世の中、ゼニにならないから」、つまり、「今の、世界標準とも言うべき資本主義における、短期的利益の創造の要件でないから」だ。
こんな身も蓋もない今、否、そんな今だからこそ、私は、自分を信じ、見失わず、「人としてマトモである」、更には、「マトモであり続けようと不断かつ能動的に努力している」のが肌理解できる人を、人として尊敬、降伏するのは勿論、本人の悲願を「断れない」と思う。

「あの人に言われたら断れない」。
近年、私はこうした思いにかられる機会が激減しているが、他方、社会のあらゆる分野で問題、それも瑣末なそれが激増している。
その近因の一つは、我々がこうした思いにかられる機会、および、こうした思いにかられる総人口が激減していることではないか。
洋平さんの主張の一切を聞き終え、私はふとこう直感した。
人と人を持続的に丸く収めるには、個人の利益、自尊心、権利、はたまた、その闘争を忘れさせる、人としてのマトモさが有効かつ欠かせない。



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