2018年02月13日

「下町ボブスレー」がジャマイカに「見限られた」因果を読み解くと共に、人間の感情ファースト「癖」をなおざりにするビジネスリスクを再考するの巻

プロ・アマの別なく、もはや人間はコンピュータ将棋に勝ち得ない。
原因は様々考察できるが、分かり易いのは以下、人間の感情ファースト「癖」である。

【1】人間は目的(そもそも成し遂げたいこと、成さねばならぬこと)と手段(そのために今やるべきこと)を持続的に別認識するのが不得意である。
【2】人間は「引っ込みがつかない」生き物であり、「傷口」の拡大を厭わない。

つまり、人間がコンピュータ将棋に勝てないのは、「勝つこと」という、将棋を指す目的、および、指すことで果たしたい「『問題』の解決」をつい忘れてしまう、と。
そして、「小問題」とも言うべき目先の「局面」、具体的には「駒のぶつかり」に一喜一憂し、挙句、そこでのミス&被害を正確に認識&損切りできず、致命傷にしてしまう、との道理である。

同様の道理は枚挙に暇がない。

たとえば、「私」、即ち、プライベートだと、「離婚」がそうである。
「経験者は語る」ではないが(苦笑)、「幸せに生きたい」との目的のために結婚という手段、および、伴侶を選んだにもかわらず、ふと気づくと、目的、ならびに、果たしたい「問題の解決」そっちのけで、目先の小問題の犯人探しに躍起になり、相手と手段を懐疑し始める、と。
それも、自分の過失と責任を棚上げして、挙句、引っ込みがつかずキレてしまう、との道理である。
余談だが、当時、敬愛する三上司の一人から言われた、「離婚は大人の『ガキの喧嘩』である」旨の総括(?・笑)は、齢を重ねるほどうなづくばかりである。(苦笑)

「公」、即ち、ビジネスだと、「顧客の喪失」がそうである。
顧客を失うのは、基本、彼らに「見限られる」からである。
自社を彼らが見限り、他社へ鞍替えするのは、さもなくば「問題の解決」を満足に果たせないからである。
自社が対象顧客の「問題の解決」を満足に支援できなくなるのは、提供する「ヒト(コミュニケーション)」、「モノ(プロダクト・サービス)」、「ミセ(デリバリー・ブランド)」の各々の価値、および、その総和(バランス)が彼らのニーズを満たさなくなったか、もしくは、満たしてもその度合い(確率)&コスパが他社に比べて低い、との道理である。
また、これは、自社が「対象顧客の『問題の解決』の支援」であるはずの事業目的を忘れたか、もしくは、忘れていなくてもなおざりにし、彼らのニーズと満足を事前、および、事後ロクに確認しなかった、との道理である。

過日、ビジネスにおける枚挙はまた一枚増えたのである。
そう、過日開幕した平昌オリンピックで、「下町ボブスレー」がジャマイカに「見限られた」のである。
「下町ボブスレー使用せず ジャマイカを法的措置へ」
https://newspicks.com/news/2801177



本プロジェクトの本質は、「持てる人」が「持たざる人」に「施し」、その過程と結果をイイとこ取り、否(苦笑)、利害関係者間で全体最適的に応分する「BOPマーケティング」&「下町&日本(製造業)PR」であり、ひと言、「『良い話』マーケティング」である。



法的措置の予告」は、ジャマイカの「問題の解決」のタテマエ、および、プロジェクトの道理の崩壊を公にした悪手である。
これでは、下町ボブスレー、ひいては、日本の製造業が、「予想外に低位、低顧客満足(=非顧客ファースト)で『見限られた』」旨全世界にアナウンスし、「傷口」を一層拡大しているのと同義である。
プロジェクトメンバー、および、関係者各位の心情は拝察するが、かくもプロジェクトの本質とオトナの内情を露骨にするべきではなかった。

プロジェクトメンバーはいかにすべきだったのか。
先ず、何とか「引っ込み」をつけ、顧客であるジャマイカの、相当の決心かつ翻意不能と思しき「鞍替え」の主張を受容する。
そして、少なくとも彼らが競技を終えるまでは彼らの善戦を祈念し、かつ、でき得る追加支援を再宣言すべきであった。
細かく、生臭い話は、オリンピック閉会後に先送りすべきであった。
プロジェクトの一番の目的は、ジャマイカの「問題の解決」の実現、即ち、ジャマイカボブスレーチームの善戦であり、かつ、あって然るべきであったのだから。
プロジェクトメンバーが恨むべきはジャマイカではなく、人間の感情ファースト「癖」をなおざりにした自分自身である。



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