2008年03月22日

飯島商店の社員さんにまたもノックアウトされるの巻〜長野小旅行記(4)

3323041a.JPG長野の上田に来たら、必ず訪れなければいけない店がある。
それは、飯島商店だ。(笑)

なぜ、上田に来たら、飯島商店に訪れなければいけないのか?
それは、過去、上田に本社を構える同社の主力商品のみすず飴だけでなく、同社の社員さんのそれぞれにノックアウトされているからだ。(笑)

なので、私は、上田駅に着くと、熊人へ行く前、一人で飯島商店を訪れてしまった。(笑)
そして、昨年に引き続き、私は今年も飯島商店の社員さんにノックアウトされてしまったのだった。  続きを読む
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熊人の美味麺を友人とシェアしながら食らうの巻〜長野小旅行記(3)

319727df.JPGしなの鉄道に乗って上田駅に降り立った私は、大腸検診をしてくださったKさん、Yさん、Hさんの四人で、Yさん一押しのラーメン店「熊人(くまじん)」を訪れた。
開店一番乗りした我々は(笑)、以下のメニューをオーダーし、四人でシェアしながら食らった。(笑)  続きを読む
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しなの鉄道に乗るの巻〜長野小旅行記(2)

25ca255d.JPG大腸検診を受診した夜、私は、Yさんの送迎で戸倉上山田温泉に宿泊した。
千曲川のそばに位置するこの温泉は、私の体には予想外に親和性が高かった。
翌朝、即ち22日の朝、私はあまりに体調が良いので、千曲川の川沿いをジョギングしてしまった。(笑)

ホテルをチェックアウトした後、私は、上田駅へ向かうべく、送迎バスでしなの鉄道戸倉駅へ向かった。
しなの鉄道を利用するのは今回が初めてだったが、好印象を抱いた。

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その理由は、以下の事象が重層的に組み合わさっていたりする。(笑)
オチは無いが(笑)、共感いただけたら幸いだ。  続きを読む
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2008年03月21日

東御市民病院で大腸検診を受診するの巻〜長野小旅行記(1)

a638759e.JPG3月21と22日の二日間、私は、昨年に引き続き、今年も長野詣でを敢行した。

今回の長野詣でのメインテーマは、Yさんが主賓のとあるパーティへの参加だ。
Yさんには公私共にひとかたならぬご支援を頂戴しており、このパーティには何としても参加したいと考えていた。

メインテーマの他には、サブ(?)テーマもあったりする。
それは、大腸検診の受診だ。  続きを読む
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2008年03月20日

トヨタ自動車の渡辺捷昭社長のインタビュー記事”F1でも「カイゼン」”を読むの巻

報道記事の大半は、衆目を引いたり、広告主のご機嫌をとるべく、恣意的に編集されている。
私はオヤジであり(笑)、この現実は理解しているつもりだ。

昨日、トヨタ自動車の社長を務める渡辺捷昭さんのインタビュー記事”F1でも「カイゼン」(2008年3月17日付時事ドットコム)”を読んだ。
本記事も多かれ少なかれ恣意的に編集されているとは思うが、私は以下を直感した。
「トヨタは、当分F1で勝てない。<ベンチマーキングに基づくカイゼン>を最重要業務指針としている間は・・・」。  続きを読む
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2008年03月11日

アラン・プロストのインタビュー記事「今のF1はクルマが速ければ誰でも勝てる」から気づきを得る巻

世の中には、エンターテインメントコンテンツがあまたある。
F1(フォーミュラワン)、プロ野球、音楽、映画等々、数え上げたらきりが無い。

「エンターテイン(entertain)」は、「人を楽しませる」という意味の動詞だ。
エンターテインメントコンテンツは、生活非必需品であり、感動必需品だ。

エンターテインメントコンテンツのF1は、何が、見る者を感動させるのか?
それは、レース性とドラマ性だ。
なぜなら、生業ではなく趣味としてF1を見ている人が心底楽しめるのは、レースの結果よりも、そのプロセスであるからだ。

レース性は、死と背中あわせの勝負の産物だ。
ドラマ性は、予想外の出来事の産物だ。
レース性とドラマ性を創造するのは、主にドライバーだ。

アイルトン・セナアラン・プロストナイジェル・マンセルネルソン・ピケ
彼らは、1980〜1990年代にかけて数々のレース性とドラマ性を創造した名ドライバーだ。

彼らの人となりや運転スタイルは、全く違う。
が、共通していることがひとつある。
それは、高度かつ差別化された運転技術を素人にもわかるように見せていたことだ。

その最たるは、戦闘力の低いマシンを駆って戦闘力の高いマシンをパスorブロックすること。
私は、1992年モナコGPのアイルトン・セナとナイジェル・マンセルのバトルを過去100回は見ているが、今見ても感動してしまう。(笑)


F1 1992 モナコGP セナvsマンセル 投稿者 tibisukemomo

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このレースが終了し、16年もの歳月が流れた。
私は、その間ずっと、予約録画を駆使して(笑)、F1を見てきた。
が、正直、アイルトンが帰らぬ人となってからというもの、感動した覚えが無い。(涙)
また、年を追うごとに、予約の設定をし損ねたり、録画を真剣に見なくなっていたりもする。

なぜ、そのような変化が起こったのか?
それは、世の中でよく言われているように、「つまらなくなったから」、だ。

なぜ、F1はつまらなくなったのか?
それは、「レース性とドラマ性が感じられなくなったから」、だ。

なぜ、レース性とドラマ性が感じられなくなったのか?
それは、「レース性とドラマ性を創造するのに長けた名ドライバーが居なくなったから」、だ。

なぜ、名ドライバーが居なくなったのか?
私は、昨日標題の報道記事を読み、以下のように考えた。  続きを読む
Posted by masterhori at 22:51Comments(2)TrackBack(0)