(前文省略)
だが、全てを失った日本が得たものは、希望だ。
大地震と津波は、私たちの仲間と資源を根こそぎ奪っていった。
だが、富に心を奪われていた我々のなかに希望の種を植え付けた。
だから私は信じていく。
※↓から転載
http://www.timeout.jp/ja/tokyo/feature/2581/
不遜ですが、私も、村上さんと同様、今回の大震災で日本に希望の種が植え付けられた印象を持っていました。
今ようやく昨晩からのツイートを落ち着いて見ているのですが、同感です。「災い転じて福となす」になりますように!RT @hitoshi: この地震がきっかけになって、失いかけていた日本人であることの誇りを、多くの人が取り戻しつつあるように見えて、それがなんか泣けてくる。
http://twitter.com/kimiohori/status/46514260062388224
重被災者の貴兄 http://bit.ly/e91k9u から「感謝」&「思いやり」&「リーダーシップ」&「希望」を学ばせて頂いています!深謝&ご無事で! RT @keso10:みんなありがとー。そして今もっと過酷な環境で避難生活されている被災者さん希望を持ちましょう
http://twitter.com/kimiohori/status/47171422627438592
しかし、いかなる種であれ、種がしかと開花するには、水や肥料が欠かせません。
私は、植え付けられた希望の種が日本でしかと開花するには、水や肥料に相当する何かを、私たち一人一人が創り、持ち寄ることが欠かせない、と思っていました。
日本に植え付けられた希望の種をしかと開花させるために、私たちは何を創り、何を持ち寄ればいいのでしょう。
昨日、私は、その一つが、「思いやりの心」であるのを確信しました。
「希望の種をしかと開花させる」ということは、見方を換えて言えば、「発芽した希望の芽を最後まで枯らさない」ということです。
発芽した希望の芽を最後まで枯らさないようにするには、独力対処不能な困難に遭っているさまを、私たち一人一人がしかと見、可能な対処を行うことが有効です。
私たち一人一人が生来の「思いやりの心」を自分なりに具現化すれば、それがセーフティネットとなり、希望の芽は凡そ枯れずに済むでしょう。
また、私たち一人一人が「思いやりの心」を自分なりに具現化することが普通になれば、発芽する希望の芽自体も増えるでしょう。
植え付けられている希望の種の多くは、道半ばで一人枯れ果ててしまうことを怖れ、発芽そのものを自制しています。
一人枯れ果ててしまう怖れが払拭されれば、発芽を自制する理由は凡そありません。
昨日私がこのように確信したのは、自宅ガスコンロの着火用単一電池がついに臨終し、いかに入手すべきか不安を抱いていた折、幸運にも以下のリツイートに巡り合い、スズキノブヨシさん(@szkx/株式会社トランジスタハウス代表取締役)にお裾分けいただいたことが切っ掛けです。 続きを読む