私は、この世に本当の悪人はごく僅かにしか居らず、人間同士の問題の多くは単なる「ボタンの掛け違え」だ、と思っています。
そして、私たちが往々にしてボタンを掛け違えてしまうのは、直接的には、予め相手(利害関係者)に事情や本意を伝える前に具現してしまう、即ち、実行動を起こしてしまうからだ、と思っています。
たとえば、妻が求職中の夫の代わりに仕事を再開すると、夫婦喧嘩が頻発するのは、妻が夫に我が家の台所事情を理解してもらう前に仕事を再開し、夫がひがんでしまうからであり、社長が社員に説教ばかりしていると、社内にうつ病が蔓延するのは、社長が社員に期待を理解してもらう前に一方的に説教し、社員が腐ってしまうからだ、ということです。
冒頭に述べた通り、この世に本当の悪人はごく僅かしか居らず、悪意の行動はごく僅かなはずです。
にもかかわらず、なぜ、私たちは往々にして、相手に先に実行動を起こされてしまうと、後で事情や本意が分かっても、素直に受け取れず、悪意で歪めて受け取ってしまうのでしょうか。
経験上、一番の理由は、「関係性が脆弱だから」です。
私たち人間は、関係性が脆弱な相手の実行動を否定的に評価し、何か裏があるのではないかと勘ぐる嫌いがあります。
夫が、同じ実行動でも、実母のそれを常に肯定的に受け取る一方、妻のそれを否定的に受け取りがちなのは、そういうことです。(笑)
そして、二番目の理由は、「被害妄想が搔きたてられるから」です。
私たちは、自分の意思や想定(予想)に無い他者の実行動を脅威に感じ、被害妄想に陥る嫌いがあります。
上司が、たとえ中身が正論でも、部下の突然の提案を難癖付けて却下し、彼の仕事や会社に対する忠誠心をスルーするのは、上司としての自分の存在と誇りを危うく感じるからです。
私たちは、「ボタンの掛け違え」から逃れることはできないでしょうか。
正直、完全に逃れることはできないと思います(→完全に逃れられる理論があれば、正しくノーベル平和賞モノですw)が、この二つの理由を否定せず、人間の致し方無い習性として認識すること、そして、予め相手に事情や本意を伝えてから実行動を起こすよう自ら積極的に留意、励行することで、自分が加害者に成る確率は相当減少するに違いありません。
なぜなら、オトコがオンナの胸や足につい目が行ってしまうように(笑)、人間の根源的な習性は極めて改め難いばかりか、改めると弊害が出る場合が少なくありませんし、「人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」との言葉もあるように、人間は「相手の前に自分を変えるが勝ち」だからです。
とはいえ、私たちは本当に、先述の二つの理由を人間の致し方無い習性として認識し、かつ、予め相手に事情や本意を伝えてから実行動を起こすよう自ら積極的に留意、励行できるものでしょうか。
大丈夫です。
私たちはこれらを現に自動車の運転で実践しており、心配は無用です。
自動車で右左折や路肩停車を行なうとする際、予め自然に出しているウインカーを、普段も出せばいいだけです。
自動車の運転でウインカーを出さない主因は横柄、独善、億劫、甘えに集約され、いずれも矮小な自己中心主義です。
私は、私たち一人一人が自己中心主義をトーンダウンさせ、「心のウインカー」を標準装備化、フル活用すれば、「ボタンの掛け違え」という名の「勝者無き不毛な争い」は激減する、と確信しています。
ところで、なぜ私は、「ボタンの掛け違え」についてとうとうと持論をのたまっている、もとい、再考しているのでしょう。(笑)
それは、 乙武洋匡さんがイタリアレストランへの入店を拒否された一件とてん末を知り、本件にも悪人は居らず、「ボタンの掛け違え」を直感したからです。 続きを読む