2013年05月24日

乙武洋匡さんがイタリアレストランへの入店を拒否されたてん末を知り、「ボタンの掛け違え」について再考するの巻

私は、この世に本当の悪人はごく僅かにしか居らず、人間同士の問題の多くは単なる「ボタンの掛け違え」だ、と思っています。
そして、私たちが往々にしてボタンを掛け違えてしまうのは、直接的には、予め相手(利害関係者)に事情や本意を伝える前に具現してしまう、即ち、実行動を起こしてしまうからだ、と思っています。
たとえば、妻が求職中の夫の代わりに仕事を再開すると、夫婦喧嘩が頻発するのは、妻が夫に我が家の台所事情を理解してもらう前に仕事を再開し、夫がひがんでしまうからであり、社長が社員に説教ばかりしていると、社内にうつ病が蔓延するのは、社長が社員に期待を理解してもらう前に一方的に説教し、社員が腐ってしまうからだ、ということです。

冒頭に述べた通り、この世に本当の悪人はごく僅かしか居らず、悪意の行動はごく僅かなはずです。
にもかかわらず、なぜ、私たちは往々にして、相手に先に実行動を起こされてしまうと、後で事情や本意が分かっても、素直に受け取れず、悪意で歪めて受け取ってしまうのでしょうか。

経験上、一番の理由は、「関係性が脆弱だから」です。
私たち人間は、関係性が脆弱な相手の実行動を否定的に評価し、何か裏があるのではないかと勘ぐる嫌いがあります。
夫が、同じ実行動でも、実母のそれを常に肯定的に受け取る一方、妻のそれを否定的に受け取りがちなのは、そういうことです。(笑)

そして、二番目の理由は、「被害妄想が搔きたてられるから」です。
私たちは、自分の意思や想定(予想)に無い他者の実行動を脅威に感じ、被害妄想に陥る嫌いがあります。
上司が、たとえ中身が正論でも、部下の突然の提案を難癖付けて却下し、彼の仕事や会社に対する忠誠心をスルーするのは、上司としての自分の存在と誇りを危うく感じるからです。

私たちは、「ボタンの掛け違え」から逃れることはできないでしょうか。
正直、完全に逃れることはできないと思います(→完全に逃れられる理論があれば、正しくノーベル平和賞モノですw)が、この二つの理由を否定せず、人間の致し方無い習性として認識すること、そして、予め相手に事情や本意を伝えてから実行動を起こすよう自ら積極的に留意、励行することで、自分が加害者に成る確率は相当減少するに違いありません。
なぜなら、オトコがオンナの胸や足につい目が行ってしまうように(笑)、人間の根源的な習性は極めて改め難いばかりか、改めると弊害が出る場合が少なくありませんし、「人を変えることはできないが、自分を変えることはできる」との言葉もあるように、人間は「相手の前に自分を変えるが勝ち」だからです。

とはいえ、私たちは本当に、先述の二つの理由を人間の致し方無い習性として認識し、かつ、予め相手に事情や本意を伝えてから実行動を起こすよう自ら積極的に留意、励行できるものでしょうか。
大丈夫です。
私たちはこれらを現に自動車の運転で実践しており、心配は無用です。
自動車で右左折や路肩停車を行なうとする際、予め自然に出しているウインカーを、普段も出せばいいだけです。
自動車の運転でウインカーを出さない主因は横柄、独善、億劫、甘えに集約され、いずれも矮小な自己中心主義です。
私は、私たち一人一人が自己中心主義をトーンダウンさせ、「心のウインカー」を標準装備化、フル活用すれば、「ボタンの掛け違え」という名の「勝者無き不毛な争い」は激減する、と確信しています。

ところで、なぜ私は、「ボタンの掛け違え」についてとうとうと持論をのたまっている、もとい、再考しているのでしょう。(笑)
それは、 乙武洋匡さんがイタリアレストランへの入店を拒否された一件とてん末を知り、本件にも悪人は居らず、「ボタンの掛け違え」を直感したからです。  続きを読む
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2013年05月22日

「原作屋稼業/お前はもう死んでいる?(著:武論尊さん)」を読み、プロフェッショナルにとっての「生き恥」の意義と不可避さを再認識するの巻

私は、20代半ば、転勤(子会社出向)で岡山に2年ほど住んでいたことがあります。
数多ある思い出の一つは、「お前は、綺麗に仕事をしようとし過ぎる。もっと泥を飲まなくてはいけない」と現地の上司(役員)に叱咤されたことです。

当時、私は余りにも若く、正直、彼の言わんとしていることがよく分かりませんでした。
たしかに、私は、当時も(から?w)合理的で、非効率な仕事の進め方が大嫌いでした。
だから、彼が唱え、推進していた営業方法が、非効率極まりない前近代的なそれにしか見えませんでした。
私は、自分が唱えるそれの方が確率的に、費用(投資)対効果的に優れていると確信していたことも手伝い、強く反発しました。
そして、彼は、私のその態度の余りの露わさに見かね、先のように私を叱咤したのです。

私は、彼がこう叱咤したのは、詰る所、親会社の社員、それも、自分の子どもの様な若い社員へのひがみだ、と思いました。
私が当時勤めていた会社と業界は完全なピラミッド社会であり、一定の年齢を過ぎて、子会社の社員の職位と待遇が親会社の社員のそれを超えることはありませんでした。
そこで、私は浅はかなことに、こう思ったのです。
「役員にまで上がった彼のこと、時代が変われば仕事の進め方も変わることも頭では分かっているものの、新しいそれを、しかも、自分の子ども位の若造の唱えるそれを肯定、受容することは、これまで培った自分の誇りやアイデンティティを毀損しかねず、結果、このように職位を利用し、精神論で否定、却下するほか無いのだ」、と。

今思い返すに、私は本当に浅はかでした。
「今の若い内にこそ、『生き恥』に強くなれ」。
私は、彼が先の叱咤で私に一番言いたかったのは、こうだったと思えてなりません。

後で分かったことですが、彼は、異なる上司のもとで働いていた私の仕事ぶりや人となりを聞きつけ、そして、社長に「堀が欲しい、欲しい」と散々直訴して、私を自分のもとに引っ張ったのです。
なぜ、彼はそこまでして、私を自分のもとに置きたかったのか。
あくまで推量ですが、私の中に、合理主義者特有のひ弱さや脆さを直感したからではないでしょうか。
彼は、人づてに聞いた仕事ぶりや人となりから私を「プロサラリーマン予備軍」や「プロ親会社社員予備軍」として有望に思ったものの、それを直感し、前途を危惧したのではないでしょうか。

では、なぜ、彼はそこまでして自分のもとに置いた私を、先のように叱咤したのか。
プロフェッショナル足らん者、実力と成果が「生き恥」と引き換えざるを得ない刹那とフェーズがあるのを、これまでの長い人生経験で思い知っていたからではないでしょうか。
そして、出向期間中という限られた日々の中で、私に敢えて非効率な仕事を課し「生き恥」を必要以上にかかせ、プロフェッショナル予備軍としての強靭な資質と覚悟を醸成したかったのではないでしょうか。
なぜなら、大の大人が、それも相応の社会的立場を得た大人が、放置しようとすればいくらでも放置できる、また、潰そうと思えばいくらでも潰せる若者を、命より次に大事な時間と労力を使って叱咤、教育するのは、”その”若者に目をかける余り、即ち、”その”若者の輝ける未来を嘱望する余り、持てるポテンシャルがふいになるのが放っておけないから、だからです。

ところで、なぜ、私はこのような昔話を述懐、考察しているのか。(笑)
それは、私が、「北斗の拳」が大好きで(笑)、昨日その原作者である武論尊さんの自伝的小説「原作屋稼業/お前はもう死んでいる?」を読み、以下の箇所に、プロフェッショナルにとっての「生き恥」の意義と不可避さを再認識させられたからです。  続きを読む
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2013年05月20日

他界したサラリーマン時代の同僚に「人生は終活だ」と明確に気づかされるの巻

過日、サラリーマン時代の同僚が脳腫瘍で他界しました。
年初、彼から以下、「終活」の文言入りの年賀メールがあり、覚悟はしていましたが、余りの早世に言葉を失いました。

この春から、○○(※愛娘の名前)は、△△大学法学部政治学科に通学します。
卒業までは生きたいと思っていますが、そろそろ終活をはじめることになりそうです。
なお、私自身の葬式はしませんので、ご理解ください。

ただ、私は、彼が終活を全うしたと確信しています。
たしかに、彼は最期、退院して自宅に戻ると、二度と意識を戻しませんでした。
しかし、彼は、昨春の年賀メールで私に以下吐露しており、思う存分家族と感謝を分かち合い、準備万端整えて旅立ったに違いないからです。

じつは昨夏、2度の手術で3ヵ月間の入院・休業をしました。
今は家族と過ごせる時間を大切にし、生かされている命に感謝しています。

私は、彼に以下の四事項を気づかされました。  続きを読む
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2013年05月08日

元上司と呑み、感動、思考するの巻

過日、今の私を作ってくれた元上司の二人と三年ぶりに呑んだ。
いくつか深く感動、思考することがあったので、忘れない内に(笑)備忘録しておきたい。
(※スピードと率直さを重視し、敬語や敬称の類は省略。乱文はご勘弁。)

元上司の一人(※以下「Aさん」と表記)は、リタイヤして約10年になる。
そのせいか、俗世間のストレスが殆ど無い様で、肌ツヤが非常に良く、大変元気に窺えた。
二次会のカラオケでAさんが最も多く、最も声高らかに歌ったのは、その証左かもしれない。(笑)

Aさんの選曲は、吉田拓郎やアリスなど、70、80年代のフォークとニューミュージックが中心だった。
私は、これまでもAさんとはカラオケで何度も共にしているが、今回の選曲は初見が大半だった。
Aさんは今、BSで再放送中の「おしん」にハマっているという。
Aさんにとって70、80年代は、20、30才代の、最もハードに働いていた時代だ。
Aさんは今、70才を目前に青春を取り戻し、謳歌しているのかもしれない。

今、Aさんの様な、昭和20年前後生まれの元企業戦士をターゲットにした「懐かしマーケティング」が様々な分野で盛んだが、それは、彼らが企業戦士を全うする余り、青春を諦めたことが大きく関与しているのかもしれない。
今、元企業戦士は、仕事と子育てから完全に離脱し、諦めた青春を「大人買い」しているのかもしれない。

もう一人(※以下「Bさん」と表記)は現役で、シニアマネジメントのポジションに就いている。
出社時は8時から20時までビッチリ仕事漬けの上、Aさんとは異なり(笑)、相変わらず家庭より仕事に未練のある、仕事を離れても仕事のことを考えてしまう性分ゆえ、ストレス全開なのだという。
そのせいか、カラオケではAさんに負けないくらい熱唱した。(笑)  続きを読む
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2013年05月07日

第38回小学生将棋名人戦を見て、貰い泣きをするの巻

私は、三年ぶりに小学生将棋名人戦(第38回)を見ました。
前回(第35回)と同様、偶然見たのですが、今回は思いがけず貰い泣きしてしまいました。(笑)

私が貰い泣きしたのは、伊藤裕紀さん(四日市市立三重西小学校六年生)と岡本詢也さん(加古川市立東神吉小学校五年生)の準決勝戦です。
先手の伊藤さんは、早々に猛攻撃し、あと一手で勝つ局面まで辿り着きました。
しかし、秒読み(時間)に追われ、正着を見落としてしまいました。
すぐさま、後手の岡本さんは、堅い守りで伊藤さんの攻めを切らせました。
そして、一転、被猛攻撃で蓄えた豊富な持ち駒で、伊藤さんの王様を一気に寄せ切ってしまいました。
対局終了後、解説の森内俊之名人は、勝敗を決した件の局面について両対局者にコメントしました。
伊藤さんは、自分の勝ちとその正着を指摘されると、頭を抱えて泣き出してしまいました。  続きを読む
Posted by masterhori at 06:18Comments(0)TrackBack(0)