私が初めて好きになった芸能人は、キャンディーズと山口百恵さんです。(笑)
どちらを先に好きになったかは定かでありませんが、キャンディーズの一番思い出深いシーンが1976年放送開始の「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」でのコントで、百恵さんのそれが1975年放送開始の「赤い疑惑」での船上死(※厳密には意識不明化ですが。笑)であるのを勘案するに、タッチの差で百恵さんを先に好きになった可能性が高いです。(笑)
「赤い疑惑」に出演していた当時、百恵さんは高校生で、見ていた私は小学生でした。
このドラマは決して子ども向けの内容ではなく、また、放送時間帯も夜間でしたが、チャンネル権者(笑)である年長家族から「子どもは見るな」とか「もう寝なさい」と視聴を妨害されることはありませんでした。
なぜでしょう。
一因は、私の百恵さんの好物ぶり(笑)が家族内で周知されていたからでしょう。
しかし、それより(笑)主因は、彼ら自身がこのドラマにハマっていたからでしょう。(笑)
当時、百恵さんは正に時代の寵児で、篠山紀信さんに「時代と寝た女」と称されました。
ビデオ録画が家庭に普及していないこの時分、「時代」の主要構成員である彼らからすると、子どもの「傍から視聴」を妨害するより、自分の「集中視聴」(笑)に全力投入するのが遥かに賢明だったに違いありません。
なぜ、百恵さんは、否、「山口百恵」というエンタメコンテンツは、時代と寝ることができたのでしょう。
私は、以前、百恵さんと同世代の、公私に渡る友人のTさんにこの旨質問したことがあり、以下の旨の回答を授かりました。
「先ず、アイドルとしては非常識に、セックスを連想させる歌を次々リリースし、当時の自分の様な(笑)、セックスやその情報に飢えている若者の股間(笑)とハートを鷲掴みにした。
そして、その確固たる若者マーケットでの実績を踏み台にして、これまたアイドルとしては非常識に、ステレオタイプな日本女性と真逆の、主体的かつ挑発的な女性を歌った歌を次々リリースし、前代未聞のツッパリ系(媚びない)アイドルへ、果ては国民的大歌手へ大きくステップアップしていった」。
たしかに、百恵さんがデビュー5枚目のシングルで歌った「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ(『ひと夏の経験』)」というフレーズは、当時、小学生の私からすると意味不明でしたが(笑)、とりわけTさんの様な高校生に加え、大学生や若い社会人と言った健康的な若者(笑)からすると、日頃の正に欲求不満(笑)の癒しになったに違いありません。
また、百恵さんが成熟期に歌った「馬鹿にしないでよ/そっちのせいよ(『プレイバックPart2』)」や「はっきりカタをつけてよ/やってやれないわ(『絶体絶命』)」や「あなたの○○○が欲しいのです(『美・サイレント』)」というフレーズは、当時、高度経済成長の陰で不本意に三つ指をつかされていた女性や非既得権者からすると、同じく日頃の欲求不満の癒しになったに違いありません。
「『山口百恵というオナニー(=自慰&欲求不満解消事)』が市民権を得た」。
私は、「山口百恵」というエンタメコンテンツが時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えます。
このお盆、私は、ある高視聴率ドラマを初回から最新回(第五話)まで一気見し、通底する思いを抱きました。
ある高視聴率ドラマとは、そう、「半沢直樹」です。
「『半沢直樹というオナニー』が市民権を得た」。
私は、「半沢直樹」がキオスクでコラボパンが売り出されるまで(笑)時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えてなりません。 続きを読む