2014年02月28日

久々に顔を怪我し、なぜお客さまが馴染みの店やスタッフを作るのか改めて理解するの巻

始まりは一昨日の夜のこと。
私は、久々に顔に怪我をした。
考えごとをしながら歩いていた所、不意に右眉尻辺りを、開いていたドアの縁に当ててしまった。
歩行中の出来事ゆえ、絶対的な衝撃度は知れていた(と思う)。
しかし、打ち所が悪かったのか、右頬が予想外の血で染まった。
打ち所は大きさが約2センチ、深さが約2ミリ程度に裂傷しており、周辺を含めズキズキ痛んだ。
心配性の妻は、「(怪我をしっかり治さないと後々)眉がエグザイル(笑)になっちゃうよ!」と、医師の診察と縫合を勧めた。
ただ、私は、原因が原因な上、ケンカの後遺症に見えなくもないので、妻の愛情たっぷりのマキロンとバンドエイドで始末した。(笑)

翌朝、起床すると、バンドエイドは真っ赤になっていた。
打ち所は依然痛かったが、特段腫れていなければ、顔色も悪くなく、悪化の跡はうかがえなかった。
私は一安心した。
そして、真新しいバンドエイドに交換した後、予定通り外出し、先ず馴染みのスーパーに立ち寄った。

本題はここからだ。(笑)
私は、商品をカゴに入れ、レジに向かった。
馴染みのスタッフのHさんを見つけ、迷わずHさんのレジに並んだ。
そして、自分の番を迎えた時のこと。
私は、いつもの様に「こんにちは。お願いします」と言い、商品カゴをHさんの前に差し出した。
すると、Hさんは、私の顔を見るなり、「いやあ、どうしたんですか?怪我なさったんですか?」と、驚きと心配の面持ちで声がけくださった。
以下は、その後の会話だ。  続きを読む
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2014年02月20日

ショートで16位に終わった浅田真央選手の、フリーでの善戦と集大成の延期を祈念するの巻

女子フィギアスケートの浅田真央選手が、ソチオリンピック個人ショートプログラムで、まさかの16位に終わった。
私がフィギアスケート観戦をたしなむようになったのは、妻と結婚する少し前の、荒川静香選手がトリノで金メダルを獲得した時分からで、「にわか」フィギアスケートファンに分類されるだろうが(笑)、浅田選手のフリープログラムでの善戦と集大成の延期を祈念し、この結果に対する所感と思考の核を取り急ぎ記したい。

先ず、非難や後出しジャンケン呼ばわりを覚悟して言うが、私は、浅田選手がソチオリンピックでメダルを獲得するのは厳しいと思っていた。
というのも、浅田選手は、前回のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得した後、自身の代名詞、或いは、自我の最たると言うべきトリプルアクセルを封印してフォーム大改造に取り組み始めてからというもの、基本的にずっと安定感と精彩を欠いていたからだ。
本件は、私に限らず、フィギアスケート観戦を趣味にしている人なら、相応に同感いただけよう。
ただ、私は、「にわか」ファンではあるが、更に、本件の根本原因を「勝負と自我のジレンマ」と推断していた。

本事項は、「『勝負に勝つこと』と『フィギアスケートを好きで居続けること』のジレンマ」とか、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いがつけられないで居ること」と言い換えた方がわかり易いかもしれない。
要するに、何事も勝負を分かつのは凡そ加点よりも減点、つまり、ミスであり、勝つには合理と確率を最優先し、ミス無くプレイするのが賢明に違いないが、浅田選手の様なトップレベルプレイヤーからすると、元々プレイそのものが誰かから強いられて始めたことではなく、自分から好きで始めたことであり、かつ、技術と実力をハイレベルに会得してしまっている為、合理と確率を最優先してプレイすることがあざとく、詰まらなく、自己実現から遠のく様に見えてしまい、自我との折り合いがいよいよつけられない、ということだ。
浅田選手が高得点かつ高難度のジャンプに固執し、演技構成から外さず、対する金妍兒(キム・ヨナ)選手は固執せず、演技構成に含めないが、それは本事項に起因していよう。

本事項は、フィギアスケートに限らず、いずれの世界のトップレベルプレイヤーも陥りがちだ。
例えば、イチローが近年ヒットに恵まれない主因も、独特のハイレベル・バットコントロール技術に固執し、打ちにいかなくてもいい、否、打ちにいくべきではない球を益々打ちにいっているからだ。
ちなみに、イチローは、少し前インタビュー番組(「プロフェッショナル」)で、「自分が今野球をプレイしている動機は、野球が楽しくて楽しくて仕方なかった幼い時分のそれとは別物で、今の自分は、幼い子どもに『楽しいよ!』と野球を素直に勧めることができない」と吐露していたが、これは今の浅田選手も同感だろう。

イチローと浅田選手の苦闘から改めて気づかされることの一つは、動機の純粋性は両刃である、ということだ。
要するに、特定の物事を始め、そして、続ける(専心する)動機の根本は、「好きだから!」や「自分らしいから!」といった純粋なモノで良いし、また、純粋であって然るべきだが、それだけでは長く勝ち続けられない、ということだ。
動機の純粋性は、純度が高ければ高いほど、技術の向上や勝利の経験、つまり、初期の成功体験を強く後押しするが、同時に先述の「勝負と自我のジレンマ」を招き易く、却って新技術の開発や勝利の持続的な経験、つまり、長期的な成功体験を妨げる可能性がある。
イチローと浅田選手の動機は高純度に違いない。
「成功体験はアダになり易い」と言うが、両者は今、不意かつ不本意なアダに対峙しているのかもしれない。

トップレベルプレイヤーが「勝負と自我のジレンマ」に打ち克つのに、何か術は無いものか。
私は、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いがつけられないで居る」という原点に立ち返り、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いをつけること」こそ王道と確信している。

では、具体的にどうしたら、「勝負に勝つ為のプレイ」と「自分らしい、自分であるが為のプレイ」の折り合いをつけられるものか。
浅田選手にはとりわけ良い好例、ヒントがある。
私は過日偶然、荒川静香選手がトリノで金メダルを獲得したドキュメント番組(「NHKアーカイブス『荒川静香 金メダルへの道』」)を見たのだが、何と荒川選手はこのジレンマを、イナバウアーを復活させることでブレークスルーしていたのだ。  続きを読む
Posted by masterhori at 19:59Comments(0)TrackBack(0)

2014年02月02日

妻への説教が輪廻していたことを知り、嬉しく、また、妻を誇らしく思うの巻

事の発端は、一昨日の夜のこと。
妻が遅い帰宅をした。
私は、事前にメールで知らされており、遅くなること自体は案じなかったが、遅くなった理由を少し案じた。

お疲れ様です。
帰宅が2315位になりそうです。
後輩が仕事の悩みで泣いてしまい、なだめておりました。

妻は、代理店に勤務するアラフォー(笑)の副部長だ。
年齢的にも、ポジション的にも、後進のケアが欠かせず、時に彼らの悩みを公私の別なく受けとめる必要もあろう。
しかし、涙を付されて「公」の悩みを受けとめるとは、どうしたものか。

涙は私情の表れの最たるで、オフィスではこらえるのが基本だ。
さもなくば、自他共々収集がつかなくなる。
このことは、妻も当然理解しているはずで、今回はその理解を超える何かに遭遇したのだろう。

翌日、私は妻に事情を訊いた。
妻は以下答えた。  続きを読む
Posted by masterhori at 07:50Comments(0)TrackBack(0)