私は本年、51才になる。
24才で一度死にかけたものの、挙句、その約倍、半世紀以上生きながらえてきたのかと思うと、何とも感慨深い。
そんなオヤジ、もとい、ジジイ(笑)の私が新年、51才を目前に改めて自戒することがある。
それは、「誤解を残したまま縁者と別れない」、ということである。
これ位の年になると、人と一度別れると、二度と会えないケースが少なくない。
その人が、折角巡り会えた縁者で、さらに、誤解を残したままだと、正に取り返しがつかず、切なさや自責の念に苛まれること必至である。
私がこのことを初めて身をもって知ったのは、母を亡くした時である。
私は、母との折り合いは悪くなかった(と自分では思っている)が、家でほぼ寝たきりになってからというもの、起業直後の繁忙さにかまけ、また、「そうは言っても逝くのはまだ先だろう」と高をくくり、母の意向の多くを「たわごと」や「甘え」と断じ、素直に受けとめなかった。
その最たるは、結果的に最後の入院になった日の朝、母が家を出る時に投げかけた「じゃ、行ってくるね」の言葉に、愛想良く応えなかったことである。
「腹を痛めて子を産み、苦労して育てた挙句がこれか」。
母は、病院へ向かう車中、さらには、記憶を走馬灯のように蘇らせていた臨終、さぞ無念に苛まれていたに違いない。
本件は、私の一生の不覚、かつ、背負うべき十字架である。
この十字架以外にも、私の背中は十字架でいっぱいである。
昨年新たにかなりの重さの十字架を背負い、覆い尽くされたと言って良い。(苦笑)
誤解を残したまま別れたサラリーマン時代のある上司が、膵臓がんで早世したのである。 続きを読む