プロ・アマの別なく、もはや人間はコンピュータ将棋に勝ち得ない。
原因は様々考察できるが、分かり易いのは以下、人間の感情ファースト「癖」である。
【1】人間は目的(そもそも成し遂げたいこと、成さねばならぬこと)と手段(そのために今やるべきこと)を持続的に別認識するのが不得意である。
【2】人間は「引っ込みがつかない」生き物であり、「傷口」の拡大を厭わない。
つまり、人間がコンピュータ将棋に勝てないのは、「勝つこと」という、将棋を指す目的、および、指すことで果たしたい「『問題』の解決」をつい忘れてしまう、と。
そして、「小問題」とも言うべき目先の「局面」、具体的には「駒のぶつかり」に一喜一憂し、挙句、そこでのミス&被害を正確に認識&損切りできず、致命傷にしてしまう、との道理である。
同様の道理は枚挙に暇がない。
たとえば、「私」、即ち、プライベートだと、「離婚」がそうである。
「経験者は語る」ではないが(苦笑)、「幸せに生きたい」との目的のために結婚という手段、および、伴侶を選んだにもかわらず、ふと気づくと、目的、ならびに、果たしたい「問題の解決」そっちのけで、目先の小問題の犯人探しに躍起になり、相手と手段を懐疑し始める、と。
それも、自分の過失と責任を棚上げして、挙句、引っ込みがつかずキレてしまう、との道理である。
余談だが、当時、敬愛する三上司の一人から言われた、「離婚は大人の『ガキの喧嘩』である」旨の総括(?・笑)は、齢を重ねるほどうなづくばかりである。(苦笑)
「公」、即ち、ビジネスだと、「顧客の喪失」がそうである。
顧客を失うのは、基本、彼らに「見限られる」からである。
自社を彼らが見限り、他社へ鞍替えするのは、さもなくば「問題の解決」を満足に果たせないからである。
自社が対象顧客の「問題の解決」を満足に支援できなくなるのは、提供する「ヒト(コミュニケーション)」、「モノ(プロダクト・サービス)」、「ミセ(デリバリー・ブランド)」の各々の価値、および、その総和(バランス)が彼らのニーズを満たさなくなったか、もしくは、満たしてもその度合い(確率)&コスパが他社に比べて低い、との道理である。
また、これは、自社が「対象顧客の『問題の解決』の支援」であるはずの事業目的を忘れたか、もしくは、忘れていなくてもなおざりにし、彼らのニーズと満足を事前、および、事後ロクに確認しなかった、との道理である。
過日、ビジネスにおける枚挙はまた一枚増えたのである。
そう、過日開幕した平昌オリンピックで、「下町ボブスレー」がジャマイカに「見限られた」のである。 続きを読む