2006年06月09日

「市場『淘汰』されるサービス業・顧客『選択』されるサービス業」(村上世彰・著)を読むの巻

数日前、M&Aコンサルティングの代表を務められる村上世彰さんが、証券取引法違反(インサイダー取引)容疑で逮捕された。
マスメディアは、連日、ライブドアの社長を務められていた堀江貴文さんと同様、彼を「金の亡者の人非人」の文脈で酷評している。

村上さんが罪を犯したのは、本人も認める事実行為である。
(※但し、現在、彼は容疑者であり、将来、無罪の判決を言い渡される可能性もある。)
が、彼の「罪を犯した」という事実行為と、彼の人格は、余程の理解や考えでも無い限り、切り離して評されるべきだ。
明らかになった行為だけで、人の人格をあたかも全て理解しているように評するのは、とても危険なことだ。

今日、私は、村上さんが通産省サービス産業企画官時代に書いた書籍、「市場『淘汰』されるサービス業・顧客『選択』されるサービス業」(ダイヤモンド社)を読んだ。
それは、官僚時代の彼の考えがわかれば、「プレーヤーになりたい!」との思いで通産省を退官した(※「週間東洋経済5月20日号」の記事に拠る)後、「何が彼を”モノ言う株主”にせしめたのか?」、はたまた、「何が彼を罪人にせしめたのか?」、それぞれ仮説を立てることができるばかりか、立てた仮説を基に自らに対する教訓を得ることができるのではないか、と考えたからだ。
村上さんがこの書籍で徹頭徹尾唱えているのは、「日本経済が再生するためにすべきことは、規制にあぐらをかいて国際競争力の醸成を怠ってきた、サービス提供者としての自覚が乏しいサービス産業に市場原理を導入し、正常に働かせること、だ。
彼は、そのことについて、冒頭の「はじめに」の中で以下のように述べている。

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P2
金融、航空といった広義のサービス産業においては、外からのプレッシャーが著しい。
サービス産業は個々の購入者の感性に依存するところが大きく、うまくそれをとらまえられれば爆発的に伸びる(要するに消費者/顧客に満足を与える)ことができる一方、国際化が進み厳しい競争の中で淘汰されることも早い。

P3
行政は、今後重視すべき対象を明確にしなければならないだろう。
産業なのか、企業なのか、サービスを享受する消費者/顧客なのかを十分に検討しなければならないのだ。
基本的には消費者/顧客が最も重視されるべきだろう。
即ち、より良いサービスを提供するプロバイダーが栄え、悪いサービスしか提供できないプロバイダーは淘汰される仕組み、マーケット機能を作り上げていかなければならないのだ。

P4
私はサービスの種々の分野で評価が活発に行われ、消費者/顧客に評価されないプロバイダーは優勝劣敗によって淘汰されていく構造を想定している。
もちろん、評価する者は恣意的になることが許されず、中立的な機関(もちろん企業でもよい)か、消費者/顧客サイドによることが望まれ、政府はせいぜい情報公開に関与する程度がよいだろう。
さらに、評価する者が評価されることも必要だ。
いずれにせよ、価格面も含めて、最もクオリティの高いサービスを提供する者が伸びていき、場合によっては淘汰も起こる、きわめてマーケット・オリエンテッドな社会になることを望んでいる。

P5
徹底した情報開示があれば、消費者/顧客が自分の感性やニーズに見合ったサービスを適切に選ぶことができ、より満足できる。
仮に満足できなくても、完全に情報が提供されていた場合は、選んだ消費者/顧客の責任であり、やむをえない。
またプロバイダーも、情報を開示した結果、消費者/顧客に逃げられたとしても、提供するサービスが劣っていたのだから仕方がない。
透明性が保たれた情報が提供され、消費者/顧客も自分でサービスを選び、企業も選ばれ、満足するという環境に一歩でも近づけたい、というのが本書における我々の主張である。

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この書籍で村上さんが提唱している解決の方向性は、評価システムの導入だ。
そして、具体的な解決策は、各サービス産業別に、ガートナームーディーズといった評価機関を設けることだ。
彼は、評価機関が、サービス提供者と消費者/顧客の間にある情報の非対称性をクリアすると同時に、消費者/顧客にサービスプロバイダーの積極選択を促す(=良好なサービス提供者のみが生き残り、その他は淘汰される)ことを期待したのだ。

この書籍で惜しむらくは、解決策である評価機関のビジネスモデルの考察が浅いことだ。
しかしながら、この書籍で村上さんが唱えている日本経済再生のビジョン、及び、サービス産業の国際競争力向上に関する解決の方向性(切り口)は、いずれも誤りではない、と私は考える。

村上さんは、この本を上辞した後、通産省を退官し、M&Aコンサルティングを設立している。
何が彼を”モノ言う株主”にせしめたのか?
私は以下の四つを彼のインセンティブ(誘引)となった考えとして仮説した。

1.評価機関を設立し、消費者/顧客の購入意思決定によって「サービス提供者の選択&淘汰」、及び、「サービス産業の国際競争力の向上」を果たすのは、多くの人の啓蒙と巻き込みが必要であり、3と比べると、時間とコストが多くかかる可能性が高い。

2.評価機関の事業継続性は、ガートナーやムーディーズに匹敵する企業が現れないことが示すように、必ずしも高くない。

3.怠慢経営が執行されているサービス提供者の株主となり、経営改善を直接要求することによって「該当企業のサービス提供品質の向上」、及び、「サービス産業の国際競争力の向上」を果たすのは、歯に衣着せず正論が言い切れる自身(村上さん)の能力が十二分に活かされることと相まって、1と比べると、時間とコストが少なくて済む可能性が高い。

4.ファンド会社の事業継続性は、官僚時代に培った人脈や信用が十二分に活かされれば、2よりも高い。

私がこれらを仮説したのは、この書籍を読み、村上さんを、相当な市場原理主義者であり、かつ、「合理」&「正論」主義者である、と理解したからだ。
これらの仮説がそれなりに正しい場合、彼が実行した、M&Aコンサルティングというファンド会社を設立する、という解決策は、先と同様誤りではない、と私は考える。

では、何が村上さんを罪人にせしめたのか?
正直なところ、この書籍を読んだ限りでは、わからなかった。(汗)
ただ、罪を犯したのが真に「たまたまorうっかり・・・しちゃった」というのなら、彼を罪人にせしめた真因は、驕りであるような気がする。

村上さんは、逮捕当日の記者会見において、「(村上ファンドは)儲け過ぎた」と述べている。
私は、この言葉の中に、「競合企業よりも多く儲けた」という意味と、「自分が想定していたよりも多く儲けた」という意味の二つが込められている、と思う。
また、これはあくまで直感に基く想像の粋を出ないが、僅か7年間で約2,000億円もの利益を創出したことから、きっと後者の意味の割合はそれなりに多かったのではないか、と思う。
彼にとって、元々、「株主としてモノを言う」のは、自身が描いたビジョンを達成する、事業継続性の高い「手段」であった。
が、想定していた以上に利益を創出していく中で、いつしか、それ自体が「目的」にすり替わってしまったのではないだろうか。
だから、目的の達成度合いが高くなるにつれて驕りが芽生え、罪を犯してしまったのではないだろうか。

さらに、村上さんを罪人にせしめた副次的な因子は、M&Aコンサルティングという会社の内部統制力不足であるような気がする。
代表者の彼が先述のように変容してきた際、会社はそれを正す必要があったはずだ。
それが叶わなかったのは、つまるところ、彼が、自分に対して”モノ言う社員(取締役)”を擁しなかったからではないだろうか。
だから、彼は加速度的に変容し、罪を犯してしまったのではないだろうか。

このように考えてみると、村上さんが罪を犯したのは、自業自得なのかもしれない。

もとより人間は不完全な生き物だ。
しかも、私は、村上さんと同様、企業経営者であり、基本的に孤独だ。
ある意味、いつ自業自得的に過ちを犯してもおかしくない。
ついては、今後私は、彼の過ちから以下の五つを教訓として行動する所存だ。

1.手段が目的化していないか、絶えず自問自答すべし(=クレドの【8】(「私たちは、目的と手段を明確に分離して行動します。」の励行を強めるべし)。
2.自分が驕っていないか、絶えず自問自答すべし。
3.自分に対し躊躇せずに苦言を呈してくれる親友を大事にすべし。
4.クライアントの守秘義務事項を除き、親友に自分の考えや行動を伝えるべし。
5.親友を一人でも多く作れるよう、絶えず人格と能力を磨くべし。

末筆だが、これらの教訓を与えてくださった村上さんに感謝を申し上げたい。(礼)





<ご参考>
「“プライド高き道化師”は問う」(日経ビジネス2006年6月12日号)



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