2006年10月01日

「牛丼祭」で吉野家の牛丼を食べて嬉しさと安堵を抱くの巻

ff28f8ed.JPG吉野家は、今日から10月5日までの5日間、「牛丼祭」と銘打って、また<吉野家の牛丼>を限定販売する。
今日、私は、公約(?・笑)通り、<吉野家の牛丼>を食べた。
私は、「復活祭」の時に抱いた複雑な感情ではなく、嬉しさと安堵を抱いて、店を後にした。
なぜ、私は、嬉しさと安堵を抱いて、店を後にすることができたのか。
それは、今日食べた<吉野家の牛丼>から、”かつての味”が感じられたから、だ。

今日の催事は、前回のように、「復活祭」とは銘打たれていない。
が、”かつての味”が感じられた、というのは、自らの舌が<吉野家の牛丼>を認識したことはもちろん、自らの脳が<吉野家の牛丼>の復活を是認したことに他ならない。
このことは、吉牛ファンの私にとって、嬉しさと安堵を抱くに足る出来事だった。

ちなみに、嬉しさを抱いたのは、もうひとつの出来事も大いに影響している。
もうひとつの出来事とは、自分が牛丼客のラス2(=最後から数えて二番目)となったことだ。

私が牛丼を注文した後、まもなくして、他のお客さまも牛丼を注文した。
すると、店長さんらしき人が、厨房の最前中央に出てきて、「これで本日の牛丼販売を終了する」旨を店内のお客さまに宣言し、他の店員さんが、窓、壁、什器に「本日売切」と書かれた紙(※冒頭の画像)を貼り始めた。
私は、彼らのこうした一連の行動から、自分が「牛丼祭」初日の牛丼にギリギリありつけたのを思い知らされた。
注文した大盛牛丼が「復活祭」の時よりも早く配膳されたことも手伝って、私は、ラス2の牛丼を、美味しく、かつ、嬉しく食べた。
私は、吉野家が策定した、商品の稀少性を訴求する社外マーケティングにまんまとやられてしまった。(笑)

それはそうと、私は、吉野家が、「復活祭」の成果をどのように評価したのか、そして、そこで露見された問題点や課題に対してどのような解決策を案出し、それをどのように実行したのか、もちろん知らない。
しかしながら、同社は、<吉野家の牛丼>の主たる競合優位である、「早い」「旨い」「安い(※【価値>価格】にある価格と解釈)」のいずれをも確実に高めた。
私は、二週間にも満たない期間でそんな偉業を達成した吉野家に敬意を表すると共に、「キャタリストも、吉野家に負けない解決行動力を持たねば!」、と強く思った。



▼その他記事検索
カスタム検索

トップページご挨拶会社概要(筆者と会社)年別投稿記事/2006年

この記事へのトラックバックURL