2006年10月07日

プロセスの実行を継続し切るのが難しい理由を考えるの巻

質問。
あなたは、自らの意志でやると決めたことの内、長く「やり続けていること」、もしくは、「やり続けたこと」が何かあるだろうか?

ちなみに、私は、かれこれ25年続けていることがある。
それは、起床してすぐに行う小運動だ。(笑)
小運動の内容は以下の通りだ。

1.屈伸や肩回しといったラジオ体操系の運動
2.腹筋運動(100回)
3.背筋運動(10回)
4.清原和博さん式(※ケビン山崎さん直伝)ヒンズースクワット(30回)
5.指立て伏せ(15回)

これらは、スポーツをやっている友人から教わったものや、本やメディアで取り上げられていたものだ。
25年前に始めた時と比べると、年々少しづつ変化してきている。

小運動の所用時間は、10分程度だ。
また、この小運動を行うのに必要な場所は、畳一畳程度だ。
だから、出張等の外泊は、この小運動を行う上で、何の障害にもならない。
これまでパスをしたのは、病床に臥した時だけだ。

なぜ、私は小運動を行うようになったのか。
それは、松田優作さんのような、細身で強い男になりたかったからだ。(笑)
中学生の時にテレビで観た「蘇える金狼」の松田優作さんは、本当にカッコ良かった。

蘇える金狼 デジタル・リマスター版 [DVD]
松田優作
角川エンタテインメント
2009-10-23


私は、この馬鹿げた願望(目標)をどうにも捨てられず、「ギターに夢中の自分でも、何か手軽かつ低コストでできることはないか?」と考え、結果、小運動をやり始めた。

なぜ、私は今でも小運動を続けているのか。
それは、今をもってしても、やはり松田優作さんのような、細身で強い男になりたいからだ。(爆)
再放送で観る遺作の中の松田優作さんは、今尚カッコ良い。
私は、この願望(目標)を、「永久(とわ)のもの」と認識している。(爆)

小運動の願望(目標)達成度は、いかがなものか。
マズマズだ。(笑)
機会(?)が無いため、「強い男になる」という願望の達成度は不明だ。(笑)
が、体型は20代前半と同じであり、「細身の男になる」という願望の達成度は100%だ。(笑)
私は、現状の願望達成度に満足している。(笑)

本題に入りたい。

たとえどんなことであれ、自分でやると決めたことを長期間「やり続けている」、もしくは、目標(目的)が達成されるまで「やり切った」という人は、そう多くない。
というのも、自分の意思で決めていても、プロセス(手段)の実行を継続し切るのは難しいからだ。

過日、私は、その理由について、YさんとTさんと、メールを介してディスカスした。
(※YさんTさんへ送ったお返事メールは、参考情報として、それぞれ末に転載。)
たしかに、私は、ここで、「あらゆる企業活動は、経営者が自らの意思で決断したことをやり切れば、必ず成功する」、と述べている
しかしながら、私は、これまで、この考えに則って行動する際に留意しておくべき事項、即ち、先の理由を自答していなかった。
これが尾を引いてか、私は、YさんとTさんに対して有意義なコメントをした感が無かった。(汗)
そこで、私は、25年に渡って小運動をやり続けられた理由を自問自答しながら、先の理由はもちろん、その解決の方向性をも合理的に自答、案出し、次回YさんとTさんとお目にかかった際、改めてコメントしたい考えた。

なぜ、自分の意思で決めていても、プロセス(手段)の実行を継続し切るのは難しいのか?

この問いの答えとして、私は、以下6つを自答した。

1.設定した目標が、心底達成したいと思うものではなかったから。

2.目標が、設定した時点では心底達成したいと思えたものの、プロセスの実行の継続中に、心底達成したいと思えなくなったから(or心底達成したいと思える他の目標を見つけたから)。

3、設定した目標は心底達成したいと思うものの、プロセスの品質が不適当なために、実行の継続中に達成期待が抱けなくなったから。

4.プロセスの「品質」は適当であるものの、「目標達成確率」が低いために、実行の継続中に達成期待が抱けなくなったから。

5.設定した目標は心底達成したいと思えるものであり、さらに、プロセスの品質及び目標達成確率も良いものの、プロセスの内容が心底納得できていないために、実行の継続中に嫌気が差したから(or品質と目標達成確率が良く、かつ、心底納得できる内容の他のプロセスを見つけたから)。

6.設定した目標は心底達成したいと思えるものであり、さらに、プロセスの品質及び目標達成確率も良いものの、成功体験が乏しいために(or失敗体験が多いために)、実行継続中に達成期待が抱けなくなったから。

これらが答えとして妥当であるか否かは、現在のところ、「神のみぞ知る」だ。(笑)
よって、私は、引き続き、これらを基に、解決の方向性として以下6つを案出した。

1.心底達成したいものを目標(目的)として設定する。

2.品質が適当なプロセス(手段)を案出又は選択する。

3.目標達成確率の高いプロセスを案出又は選択する。

4.案出又は選択したプロセスの内容を心底理解、納得する。

5.大小問わず、成功体験を重ねる(成功感覚を体得&陶冶する)。

6.達成期待を担保する。(→解決策の例:進捗に対する有意義なコメントや励ましを友人や上司から得る。)

これらは、いずれも大事なものばかりだ。
が、私は、これまでの経験から、とりわけ大事なのは1、4、6のように思う。

1がダメならば、プロセスの実行を継続すること自体が目標(目的)になってしまう。
そして、早晩「何のためにやっているかわからない感」や「飽きた感」が生じ、結局頓挫する。

4がダメならば、納得できないことを強いられることになってしまう。
そして、早晩「やらされている感」が生じ、結局頓挫する。

6がダメならば、プロセスの実行がコストにしか見えなくなってしまう。
そして、早晩「報われない感」や「馬鹿らしい感」が生じ、結局頓挫する。

YさんとTさんは、私が出したこれらの答えや案に対して、「へぇ〜」ボタンをいくらかでも押してくださるだろうか。(汗)
次回、Yさん、Tさんとお会いするのが楽しみでもあり、怖くもあったりする。(笑)





<ご参考>

Yさんから頂戴したメールに対するお返事メールその1■

> 前にお会いしたときの実行の話なのですが、
> 実行し続けることはなかなか難しい。
> これは性質なのかもしれませんけれども。
> 実行し続けることと、展望を持つことと、
> それが失敗だったかどうか、
> みたいなところが難しいように思いました。

不肖私の駄話をまだ覚えていただいているとは、
嬉しい限りです。(礼)

以下、私見です。
ご参考になれば幸いです。

---

実行を継続し切るのは、決して簡単なことではありません。

というか、実行を継続し切れる方が僅少であるからこそ、
そうした方が、「成功者」として称えられるように思います。

だから、自分が実行を継続し切れないからと言って、
特段自分を卑下することは無いと私は思います。

まず、以上のことをご理解いただけると幸いです。

なぜ、実行を継続し切ることは難しいのでしょうか。
私は、その原因のひとつを以下のものと考えています。

「実行を継続し切るに足る、適切な目標を設定していないから。」

私は、天才と呼ぶに値する方、
即ち、優れた素養と資質をお持ちな方が、
ごく僅かではあるものの、
この世の中に確実に居ることを否定しません。

が、そういった方が、必ずしも、成功者、即ち、
物事(=自ら設定した適当なプロセス)やり切る(=実行を継続し切る)
ことによって予め設定した目標を達成できた人、にはなり得ないのを、
これまで私は見てきました。

私は、優れた素養&資質があることは、
実行を継続し切る要件ではない、と思っています。

私は、実行を継続し切る要件は、
実行を継続し切るに足る理由を自らへ持続的に提示できること、
と思っています。

なぜ、実行を継続し切るに足る理由を自らへ持続的に提示することが、
簡単ではないのでしょうか。

それは、大半の場合、実行を継続し切るに足る目標が「不適当」だから、
換言すれば、「自分が心底達成したいと思っていないもの」だから、
だと私は思っています。

子供が、大人が驚愕するほど、
怪獣の情報が掲載されている書籍を
毎日毎日、朝から晩まで読み、
怪獣の名前や特徴を完全暗記しているのはなぜでしょうか。

それは、彼が自らへ「自分はクラスで必ず一番の怪獣博士になる!」
という適切な目標を設定しているからです。

彼は、自分が心底納得&希求できる目標設定しているから、
「怪獣の書籍を、毎日毎日、朝から晩まで読む」
という目標達成のプロセスをさぼらない、
即ち、プロセスの実行を継続し切るのです。

彼が、上記プロセスの実行を継続し切るのは。
特段、優れた素養や資質を持っているからではありません。

(自らが設定したプロセスの)実行を継続し切ることができず、
ついくじけてしまう時、是非↓を思い起こしてみてください。
「自分は、適切な目標を設定しているか?」と。

ご成功を祈念しております!

---



■Yさんから頂戴したメールに対するお返事メールその2■


> 適切な設定がされていない、というのは
> あたりのような気がしました。
>
> 設定自体を変更しようと思っていたのですが、

設定したプロセスの実行の継続性を担保するために、
設定した目標(=プロセスの実行を継続し切る理由)
を変更することは、必ずしも誤りではありませんが、
本来はあり得ません。

なぜならば、「設定したプロセスの実行を継続し切る」、
というのは、あくまでも目標を達成するための手段であり、
「手段の達成度を高めたいから目標を変える」、
というのは、本末転倒になってしまうからです。

ここで、不適切な例示をします。(笑)

ある所に、「彼からもっと愛されたくて、
彼好みの細身の体になるべく、毎朝腹筋運動を100回やる」、
と決心した女性が居ました。(笑)

この場合、彼女にとって、
目標は「彼からもっと愛されること」であり、
プロセスは「ウエストを60センチにするべく、
毎朝腹筋運動を100回やること」です。

プロセスの開始から一ヶ月経った時、
彼女は、このプロセスをやらなくなりました。

そこで、彼女は、次のように考えました。

毎朝腹筋運動を100回やることは相当辛いので、
「彼からもっと愛されること」という目標では
このプロセスを自分に課し続けられない気がする。
ついては、目標を、「銀座へ出向いた折には、
必ず男性から声がけされること」に再設定してみよう!

彼女は、翌日を皮切りに、どんな時でも6時に起床し、
腹筋運動を100回やるようになりました。

半年後、彼女は、ウエスト60センチを達成すると共に、
銀座へ買い物に出かけた際、彼よりも高年収の男性と出会い、
彼をフリました、とさ。(笑)

どうです、Yさん。
本末転倒の意味、ご理解いただけましたか?(笑)

ここで話をまとめます。

達成を心底希求する目標(目的)を設定しなければ、
いかに優れた内容と品質を有するプロセスを設定しても、
そのプロセスの実行を継続し切ることはできません。

また、いかに達成を心底希求する目標(目的)を設定しても、
実行の継続性を担保するに足る内容と品質のプロセスを設定しなければ、
プロセスの実行を継続し切ることはやはりできません。

ゆえに、設定したプロセスの実行を継続し切れない時は、
自分が心底希求するものか否か目標を再確認→再設定or廃案すると共に、
内容と品質が実行の継続性を担保するに足るか否かプロセス自体も
再確認→再設定or廃案する必要がある、と言えます。

Yさんのご成功を祈念しております。(礼)



★Tさんから頂戴したメールに対するお返事メールその1★


> 色々な考え方や個人のスタンスはあるかと思いますが、
> 結果に焦点を当てると、「継続は力なり」ということなのでしょう。
>
> タイムリーな記事をみましたので以下に引用しておきますね
> ご覧になっているかもしれませんが。。。
>
> *************************
>  何かを達成するためには、継続しなければ大きな力となり得ません。
> 有名なエジソンの言葉は、このことを如実に言い表しているのですが、
> 週末に羽生善治さんの著作である『決断力』(角川書店刊)をパラパラと
> めくっていたら、同じことが書いてありました。
>
> (以下引用)
> 第五章 才能とは、継続できる情熱である
> (前略)
> 何かに挑戦したら確実に報われるのであれば、誰でも必ず挑戦するだろう。
> 報われないかもしれないところで、同じ情熱、気力、モチベーションをもって
> 継続してやるのは非常に大変なことであり、私は、それこそが才能だと思って
> いる。
> (中略)
> 一つのことに打ち込んで続けるには、好きだということが根幹だが、そういう
> 努力をしている人の側にいると、自然にいい影響が受けられるだろう。さらに、
> ペースを落としてでも続けることだ。無理やり詰め込んだり、「絶対にやらな
> きゃ」というのではなく、一回、一回の集中力や速度、費やす時間などを落と
> しても、毎日、少しずつ続けることが大切だ。無理をして途中でやめてしまう
> くらいなら、「牛歩の歩み」にギアチェンジしたほうがいいと思っている。
> 「天才とは一パーセントの閃きと九十九パーセントの努力である」という
> エジソンの言葉は、どの世界にも共通する真理をついた言葉である
> (後略)
>
> *****************************
>
> 好きなことをしているだけなら、継続も集中も当たり前ですよね。

所見と引用をありがとうございます。(礼)
ちなみに、私は、この書籍を昨年読んでおり、
ブログ記事も書いていたりします。(↓)
 http://blog.livedoor.jp/masterhori/archives/50015399.html

その上で、誠に恐縮ですが、Tさんの文末のお言葉である、
「好きなことをしているだけなら〜」に異論を唱えさせていただきます。(笑)

というのも、「そんじょそこらの」好きなことであれば、
継続と集中はまず無理で、「当たり前」というには程遠いから、です。

このことについては、Tさんも、これまでの人生において、
多分ご経験されているのではないでしょうか。(笑)
(※ご気分を害されましたら、謝ります。)


> やはり、目標に向かって、他のことを犠牲にして
> 継続していくことが大変なことで、
> それができることも才能なのですね。

またまた恐縮ですが、
このお言葉に対しても異論というか、
羽生さんがお考えになる「才能論」について、
私なりの解釈で以下代弁させていただきます。

---

ある物事を好きであり続けられるよう持続的に積極努力できる能力、
及び、自らが心底達成したいと思える目標を設定すると共に
達成したいと思い続けられるよう持続的に積極努力できる能力、
達成するために自らが有するリソース(時間、お金、能力、体力など)を
最も効果的に配分できる能力、といった三つの能力を統合した能力こそ
真の才能と呼ぶべきものである。

----

> ということは、適切な目標設定さえすれば継続できるということなら
> 努力で才能を身につけられるということになるのでしょうか?

おっしゃっている才能が、上述の羽生さんが考えるそれではなく、
何らかの物事を達成する際に求められる専門的なそれであれば、
私の考えは、「イエス」です。

私は、何かの物事を達成する際求められる専門的な才能は、
羽生さんが考える才能があれば、陶冶が可能である、と考えます。

ただ、羽生さんが考える才能を、「凡人が持ち得ないもの」、
と定義するならば、凡人が、Tさんがおっしゃっている才能、
即ち、専門的な才能を身につけるには、限りがある、つまり、
「ノー」なのかもかもしれません。



■★Tさんから頂戴したメールに対するお返事メールその2★


> 話を蒸し返すようで悪いのですが、
> 堀さん(羽生さん)が言っている継続する力というのは
> 「ある目標を成し遂げる」ことにはその通りかもしれません。
>
> それとは別に、目標・結果でなはく、そのこと自体が好き、
> 例えば趣味の世界に没頭しているケース等の場合には
> 当てはまらないケースもあると思います。
>
> 読書に当てはめれば、
> 何かを得るために本を読む人もいれば(極端な例を言えば、
> 面白くないけど学ばなければいけない参考書とか)、
> 単に活字中毒(笑)の人もいます、ということでしょうか。

たしかに活字中毒の方って、結構居られますよね〜。
あいにく、私はその性質の人間ではありません、
が、「活字をむさぼり読む」という、自らの意思で決めた
特定のプロセスの実行を継続し切っておられることは、
とても素晴らしいと思っています。

私は、人間の行動は、以下の二つに大分できる、と考えています。

ひとつは、意識した行動です。
もうひとつは、無意識での行動です。

前者の例えとして、「薬を服用する」という行動があります。
これは、「病状を緩和すること」という目標(目的)を達成するために、
<意識して>、薬をゲットし、苦くても飲む、
というプロセス(手段)の実行を意味します。

後者の例えとして、「頭をかく」という行動があります。
これは、「頭皮のかゆみを緩和すること」という目標を達成するために、
<無意識の内に>、指を使って、かゆみを発症している
フケ等の有害異物を除去する、というプロセスの実行を意味します。

これらの二つの行動を通じて言えるのは、
「人は、意識しているか否かは別として、
何らか特定の目標(目的)を持ち、
その目標を達成するに足るプロセス(手段)を実行している」、
ということです。

これは、換言すれば、
「人は、何らか特定の目標を持たずに、
プロセスを実行することはない」、ということです。

冒頭に述べたように、私は、活字中毒ではなく、
また、知人にそうした人が居ないので、
活字中毒の方の本意を十分理解していません。

が、この考えに基けば、活字中毒の方々は、
本人が意識しているか否かは別として、
「テレビのクイズ番組に出て優勝すること」とか、
「活字中毒である自分をいつまでも好きでいること」など、
それぞれ何らかの目標を持っていて、その上で、
「活字をむさぼり読む」という、自らの意思で決めたプロセス
の実行を継続し切っているのではないかと思っています。



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