2007年09月05日

シロクマさんが書いた〔「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す〕という記事に触発されるの巻

異質な他者が持つ有益な情報&知見をシェアできること。
私は、このことを「インターネットがもたらした最大の効用」と認識し、いくつかのwebを定期的に閲覧している。

そのひとつに、「シロクマの屑籠」というブログがある。
このブログは物事の本質を洞察した記事が多く、私はよく触発されている。

たった今、私は、〔「想像力の欠如した」路上パフォーマーが、秋葉原の歩行者天国を危機に晒す〕という記事を精読した。
この記事は、いつもにも増して触発に富む内容だった。
甚だ僭越だが、著作者のシロクマさんへ敬意を表しながら、この記事に関する所見を述べたいと思う。

私は、シロクマさんがこの記事を通じておっしゃりたいことを以下のように理解した。
(※誤解していたら、すみません。)
1.日本人は、建前を固辞する一方、「趣旨を大きく損なわない」&「他者へ多大な(明白な)損害を与えない」範囲で建前から逸脱することを”グレーゾーン”とみなし、寛容に対応する習性を持っている。

2.↑の習性は、秋葉原のオタク文化など、新しい文化&価値観の「育ての親」として有意義に機能している。

3.秋葉原のオタク文化は、外国人観光客から評価されるほど興隆したが、昨今パフォーマンスが過激になり、”グレーゾーン”とみなすには難しい様相を呈している。

4.この様相がヒートアップしていったなら、公権力の代表である警察は、建前の遵守という本来の立場に戻らざるを得ないのはもちろん、これまで”グレーゾーン”とみなしてきた秋葉原のオタク文化を排除せざるを得ないだろう。

5.ゆえに、現在秋葉原のオタク文化を体現している人は、4を想像し、自らの行為を”グレーゾーン”に留めなくてはいけない。

私は、シロクマさんのこのお考えに強い共感を覚えた。
なぜなら、この考えは、秋葉原のオタク文化を維持するためだけでなく、「生き易い」社会を作るために欠かせないものだから、だ。

私は、昨今、社会が「生き難い」ものになっているように感じている。
ここで言う「生き難い」社会とは、「”グレーゾーン”が無い」社会、換言すれば、「個人に対し寛容でない」社会のことだ。
もう少し言葉を足すならば、個人の考えや事情が斟酌(好意的に解釈)されず、結果個人が、新しい価値を創出しあぐねたり、本当は支払わなくて済むコストを支払わされる社会のことだ。

昨年、法改正によって駐車違反の取締りが民間へ委託され、強化された。
これまでは路上駐車をしても事実上一定時間猶予されていたが、昨年から違反切符を即刻切られることになった
これも、社会が「生き難い」ものになっている例示と言えよう。

誤解して欲しくないのだが、私は、「路上駐車くらい、大目に見てもいいのではないか?」、と言いたいわけではない。
私が言いたいのは、「交通の妨げになる確率が極めて低く、かつ、運転者&同乗者に緊急性を伴う理由がある路上駐車も、その他多くの路上駐車と同様、即刻違反切符を切られてしまう交通ルールは、かえって社会を生き難いものにしないか?」、ということだ。

だが、きっと、この交通ルールは、社会を「生き易い」ものにする現時点での最適解なのだろう。
年々仁義無き路上駐車が増え、結果、多くの人が傷つき、命を失っている。
社会が路上駐車を”グレーゾーン”とみなすには、被るコスト&リスクが大きくなり過ぎた。

なぜ、このようなことになってしまったのか?
シロクマさん的に言えば、「路上駐車運転手の想像力が欠如していたから」(笑)であり、私も同感だ。
私は、なぜ彼らが仁義無き路上駐車を行った&繰り返したのか、以下のように推量した。

<1>そもそも路上駐車を、他者に高確率で迷惑をかける(=社会的コスト&リスクを増やす)、やってはいけない行為である、と認識していなかったから。

<2>自分が路上駐車した車両が他者へ与える迷惑(=社会へ与えるコスト&リスク)の内容&量を、自分勝手に過小評価したから。

<3>「他にも路上駐車をやっている人が多数居て、大半が咎められていないのだから、自分も咎められないだろう」、と自分勝手に想像したから。

<4>これまで路上駐車をしてきて違反切符を切られなかったのは、”グレーゾーン”として大目に見てもらえていた(=寛容に対応されていた)からに過ぎず、際限無くやっていい行為では決して無い、と認識しなかったから。

私は、本件については完全素人のため、この推量の正否を判断することはできない。
が、この推量のフレームワークは、秋葉原のオタク文化はもちろん、他の消滅の危機に晒されている&既に消滅させられたものにも少なからず当てはまっているように思う。

社会は、個人の集合体だ。
「生き易い」社会を作るのも、「生き難い」社会を作るのも、それは、社会の構成員である個人の考え&行動次第だ。

私は、”グレーゾーン”こそ「生き易い」社会を作る貴重な因子である、と心底思っている。
また、これ以上グレーゾーンが消滅させられるのは忍びない、とも。
だから、私は、先述のフレームワークを反面教師にすると共に、自分の考えと行動を変革&改善していく所存だ。



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