2008年12月11日
「プロ魂〜王監督のメッセージ」を見て、福岡ソフトバンクホークスが王さんの後継者を輩出し損ねた理由を追加推量するの巻
福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督が今期で監督を退く旨の意思決定に私たち日本人野球ファンが寂しさを感じるのは、「王さんの後継者が日本野球界に見当たらないから」である。
王さんの後継者が日本野球界に見当たらない一因は、「ホークスがチーム(組織)として王さんの後継者を輩出し損ねたから」である。
ホークスがチームとして王さんの後継者を輩出し損ねた一因は、「ホークスが<後継者輩出システム>を策定→運用し損ねたから」である。
僭越ながら、当時(二ヶ月前)、私はこう推量し、ブログ記事を書いた。
これまた僭越だが、過日、「プロ魂〜王監督のメッセージ(NHK2008年11月29日放映)」という王さんのインタビュー&ドキュメンタリー番組を見て、以下追加推量した。
・・・ホークスが<後継者輩出システム>を策定→運用し損ねた一因は、「ホークスのマネージャーである王さんが後継者となるべき若手選手のモチベーション(=好選手になるよう心底希求しかつ自助努力を尽くす気概/やる気)を担保し損ねたから」である。
こう私が追加推量したのは、王さんの以下のコメントを聞いた時だ。
王さんの後継者が日本野球界に見当たらない一因は、「ホークスがチーム(組織)として王さんの後継者を輩出し損ねたから」である。
ホークスがチームとして王さんの後継者を輩出し損ねた一因は、「ホークスが<後継者輩出システム>を策定→運用し損ねたから」である。
僭越ながら、当時(二ヶ月前)、私はこう推量し、ブログ記事を書いた。
これまた僭越だが、過日、「プロ魂〜王監督のメッセージ(NHK2008年11月29日放映)」という王さんのインタビュー&ドキュメンタリー番組を見て、以下追加推量した。
・・・ホークスが<後継者輩出システム>を策定→運用し損ねた一因は、「ホークスのマネージャーである王さんが後継者となるべき若手選手のモチベーション(=好選手になるよう心底希求しかつ自助努力を尽くす気概/やる気)を担保し損ねたから」である。
こう私が追加推量したのは、王さんの以下のコメントを聞いた時だ。
若い人たちはね、個人のことを考えればいいんですよ。
とにかく、チームのためにどうのとか変にプレッシャーを感じるとかしなくていいので、自分のことだけを考えてくれればいいんですよ。
あとは、こっちがまとめていくからね。
ただ、今、「鉄は一番熱いうちに打て」じゃないけどね、一番面白い時期だと思うよ、本人がね。
ちょっとわかりかけたというか、ちょっと自分の力がチームに影響が与えられる、コーチからも技術的なことでストレートに言われるようになったっていうか。
今は、一番伸び盛りの時だと思うんだよね。
今は、もう思い切ってやって欲しいね。
私は、王さんを「日本野球界の宝」としてだけでなく、「世界の王」として認識している。
同時に、人間としてだけでなく、現人神(あらひとがみ)として敬愛している。
しかし、不遜かつ僭越極まりないのは承知しているが、私は、チームのマネージャーとしてのこの後進育成指針には、共感しかねる。
この後進育成指針は、換言すると、「若い内は、利他主義など持たず、利己主義に徹しなさい!」、ということだ。
たしかに、発展途上人であり、かつ、将来が見えない若手選手が、当座の投下可能コストを自分へ集中投下するのは、経済合理的にも、戦略的にも、「背水の陣」(→逃げや退路を断つ)的にも正しい。
だが、それには前提がある。
前提とは、「モチベーションの源泉(対象)を自分の中で100%見つけられること」だ。
さもなければ、投下コストを自分のために100%使い切れない。
この前提をクリアするのは、容易でない。
なぜなら、自分の中で見つけられるモチベーションの源泉は、概して、得てしまうとジ・エンド(=「一丁上がり!」)になりかねない、また、損なってしまうと自己責任認識で諦めてしまい(=「自分で責任を取るからいいでしょ!」)かねない、お金や地位の類になってしまうからだ。
私は、この前提を完全にクリアしている選手はイチローさんくらいだと思う。
なぜなら、イチローさんは、プロになって五年目以降毎年億単位で稼ぎ続けてもなお、日本で史上初の7年連続首位打者になってもなお、大リーグで8年連続三割&200本安打を達成してもなお、前人未到の四割を心底目指し続けておられるからだ。
この前提を若手選手がクリアするのは現実無理であり、求めても酷だ。
そもそも、モチベーションの源泉を自分以外から見つけることは、積極的に否定すべきことなのか。
私がこの後進育成指針に共感しかねる最大の箇所は、ここだ。
モチベーションの源泉は、先述の通り、自分の中だとお金や地位の類になり易い。
ゆえに、他者や所属する集合体(組織/チーム)など自分以外からも見つけ、多様にすることが、確率論的に賢明であるばかりか、人間的に自然ではないか。
私は、まだ42歳のひよっこだが、少ない人生経験からそう考え、実践している。
ちなみに、モチベーションの源泉は、「自分の心身に”スイッチ”を入れせしめるモノ」とも言える。
過日、品川女子学院の漆紫穂子校長は、「カンブリア宮殿<」にご出演なさり、「”スイッチ”が入る瞬間」として以下の三つを主張なさっていた。
1.自分の目標を見つけた瞬間
2.自分の好きなこと、得意なことを見つけた瞬間
3.自分が他者の役に立っているとわかった瞬間
3のご主張は、もちろん私的には「イエス」だ。
とはいえ、以上の私の考えは、きっと支持されまい。
「世界の」&「現人神」の王さんに、ある意味楯突いているのだから。(笑)
ただ、疑ってかかることを推奨する訳ではないが(笑)、「現人神の一見ごもっともな考え」に盲従するのは危険である、と私は思っている。
もちろん、人として現人神にすがりたい気持ちもわからないではない。
が、現人神の面前とはいえ自分の思考を停止させるのは、期待した結果が得られ難いことに加え、プロセスの応用が利かない。
これは、現人神も本望ではなかろう。
余談だが、過日、ネットで調べ物をしていたら、とりわけ学生時代夢中になった三島由紀夫さんのインタビュー動画に遭遇した。
三島さんは、「人は、自分の為だけに生きることに高確率で卑しさや飽きを感じ、大義を求める」旨おっしゃっていた。
この考えを、三島さんの私見と解釈するか、不変の真理と解釈するか。
もちろん、それはあなたの自由だ。
それと、私は、三島さんも、王さんと同様敬愛している。
「現人神として」ではなかったりするが。(笑)
<参考情報>
★「プロ魂〜王監督のメッセージ」で王さんがおっしゃった他のコメント(※高谷裕亮捕手と国松彰さんのコメントも含む)
(高谷裕亮捕手に対して)「結果は自分でつかめ」と言った。
やらない人には絶対いい結果が出ないけど、やった人にはいい結果が出るチャンスがある、ということですよね。
「悔しいとか、怒るとかは(表情や態度に出して)見せないと、勝利の女神は見ててね、伝わらない」って僕は言うんですよ。
「アイツ怒っている、よしじゃあちょっと微笑んでやろうか」とかっていうようなものをね、神様をこっちへ向けるのは自分だと。
なんとなく帰ってきて淡々とやっていたら(だめで)、やっぱ一所懸命やっているヤツの味方をするんですよ、勝利の女神は。
(↑に対する高谷裕亮捕手のコメント)
まあ、ホントに野球を続けている以上絶対に忘れてはいけないとは思うんですよね。
そういうやっぱ言葉っていうのは、あれだけ経験されてきた方だったので、重みというのは感じます。
プロというのは、トコトンやらなければいけないだと、徹底しなければいけないんだ、ということですね。
もう一つは、どう取り組んだか、ということよりも、結果で判断される、ということですね。
だから選手たちには、もうとにかく、徹底して強化、自分が前進するっていうかね。
僕は、野心とか野望という言葉を使って、選手たちに話しましたが、それくらいの思いもないとね。
結局、みんな同じようなレベルの人が、一所懸命何かを得ようと思って頑張っているんですから。
普通の人と同じようなことをやっていたら、そこまで到達できないんですよ。
(↑に関連した国松彰さんのコメント)
(王さんは)「手が離れるまで物凄く見てる」って言うんですよね。
「僕は凝視している」と。
それ以上に、投げるボールを真ん中の芯まで見ようとしているんですよ、あのドングリ眼でキッと見ているって言うんですよね。
そういう発想がね。
ただ一所懸命漠然と見ているっていうだけじゃなくて、本当にしっかり目をギラギラして集中してみようということが一日二日続いていると、「ボールを芯まで見よう!」という心境に達するんでしょうね。
これは名人の域でしょうね。
それ聞いて、僕も参考にすりゃいいんですよ。
ただ、続かないですね、(自分のような)二流、三流は。
人間だからミスしますよね。
でも、基本的にはプロっていうのは、ミスしちゃいけないんですよ。
そう思って取り組んでいかなければ(いけない)。
「人間だからミスはするもんだよ」と思いながらやる人は絶対ミスするんですよ。
またそれも多いんですよ。
で、同じようなミスもするんですよ。
だから、やっぱり、「オレは人間だ」なんて思っちゃいけないんですよ、プロは。
「100回やっても100回、1,000回やっても1,000回やってもオレはちゃんとできる!」っていう強い気持ちを持って臨んで初めてプロなんでね。
「(ミスをして)それは仕方ない」というのは周りの人が言うことであって、自分がそう言っちゃダメなんですね。
「自分は絶対ミスしない!」、ミスしたら自分の頭を自分の手で引っぱたく位の気持ちを持って取り組まないと、プロとしての仕事はでき難いでしょうね。
やっぱり、その、誰でも人間悔いたくないじゃないですか。
後悔したくないじゃないですか。
だから、やっぱり、後悔しないためには、それだけどんだけ準備できたかということですよね、どんだけ貪欲になれたかですよ、自分が。
それと、「自分をどこまで高められるか」ということにチャレンジしたかどうかですよね。
(8月の練習時のスピーチ)
自分の目標をしっかり持って練習し、明日明後日の試合に臨むように。
目標が無いと、この暑さの中で練習するのはしんどくてしようがない。
だけど目標を持てば、しんどさも軽減される。
全てね、気力が充実しているかどうかっていうことにかかってくると思うんです。
いくらいい技術を持っている人でも、気力が充実していなかったら、絶対いい結果出せないと思うんですよ。
ダメなものを認めちゃうとか、そういう流れを認めちゃうっていうことは、絶対自分はできなかったですから。
だから、そのことが、僕の向上心だったり、原動力だったりしたんじゃないですかね。
★三島由紀夫さんのインタビュー(「死について」)コメント
戦争が済んだ時20歳だったので、10代のあたくしどもは、いつ死ぬか、いつどうやって死ぬかということしか頭にない、そういう中で20代まで行ったんでありますが、それを考えますと、今の青年には、それはスリルを求めることもありましょう、或いはいつ死ぬかという境遇も無いでは無いでしょうが、死が生の前提になっているという緊張した状態には無い。
そういうことで仕事をやっています時に、なんか生(せい)の倦怠と言いますか、ただ人間が自分の為に生きようということだけには卑しいものを感じてくるのは当然だと思うんであります。
それで、人間の生とは不思議なもので、自分のた為だけに生きて、自分の為だけに死ぬというほど、人間は強くないです。
というのは、人間は、なんか理想なり、なんかの為ということを考えているので、生きるのも、自分の為だけに生きることにはすぐ飽きてしまう。
すると、死ぬのも、なんかの為ということが必ず出てくる。
それが、昔言われた大義というものです。
そして、大義の為に死ぬということが、最も華々しい、或いは英雄的な、或いは立派な死に方として考えられていた。
しかし、今は大義が無い。
これは、民主主義の政治形態というのは大義など要らない政治形態ですから当然なんですが、それでも、心の中に自分を超える価値が認められなければ、生きてることすら無意味になるというような心理状態が無いわけではない。
今回自分にかえって考えてみますと、死を、いつか来るんだと、それも決してそう遠くない将来に来るんだっていう風に考えていた時の心理状態は、今に比べて幸福だったんです。
それは実に不思議なことですが、記憶の中で美しく見えるだけでなく、人間そういう時に妙に幸福になる。
そして、今われわれが求めている幸福というものは、生きる幸福であり、そして、生きるということは、或いは家庭の幸福であり、或いはレジャーの幸福であり、楽しみでありましょうが、しかし、あんな自分が死ぬと決まっている人間の幸福っていうものは、今ちょっと無いんじゃないか。
「そういうことを考えて、死というものをお前は恐れないのか?」(と訊かれたとする)。
そりゃ、私は、病気になれば、死を恐れます。
それから、ガンになるのも一番嫌で、考えるだけで恐ろしい。
それだけに、なんか、もっと名誉のある、もっと何かの為になる死に方をしたいと思いながらも、結局「はがくれ」の著者のように生まれてきた時代が悪くて、一生そういうことを思い暮らしながら、畳の上で死ぬことになるだろうと思います。
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