2008年12月17日
某ジャーナリスト氏の安易な同情から同情の要件を反面教師的に学ぶの巻
<同情するなら、金をくれ>。
これは、10数年前にヒットしたドラマ「家なき子」の中で、安達祐実さん演じるすずが言った台詞だが、私は、「今このテレビ番組を見ている昨今(早期)解雇された期間契約社員さんや派遣社員さんは、きっとこの気持ちに違いない」と直感した。
こう直感したのは、昨日出先でワイドショー番組を見ていた時のこと。
番組の中で、某ジャーナリスト(コメンテーター)氏が、「期間契約社員や派遣社員を会社都合で(早期)解雇して良いのであれば、誰でも企業経営できる」旨の根拠を欠く暴論を述べながら、彼らに同情し、該当企業の経営者を批判していた。
なぜ、私は先述の内容を直感したのか。
少し考えたところ、二つ見つかった。
これは、10数年前にヒットしたドラマ「家なき子」の中で、安達祐実さん演じるすずが言った台詞だが、私は、「今このテレビ番組を見ている昨今(早期)解雇された期間契約社員さんや派遣社員さんは、きっとこの気持ちに違いない」と直感した。
こう直感したのは、昨日出先でワイドショー番組を見ていた時のこと。
番組の中で、某ジャーナリスト(コメンテーター)氏が、「期間契約社員や派遣社員を会社都合で(早期)解雇して良いのであれば、誰でも企業経営できる」旨の根拠を欠く暴論を述べながら、彼らに同情し、該当企業の経営者を批判していた。
なぜ、私は先述の内容を直感したのか。
少し考えたところ、二つ見つかった。
一つ目の理由。
それは、「某ジャーナリスト氏のコメントに偽善を直感したから」、だ。
とはいえ、これは直感に過ぎず、合理的な根拠は無い。(笑)
ゆえに、彼からすると、これも暴論だ。(笑)
ただ、人は、提示された言動が偽善か否かを直感的に判別できるものだ。
たしかに、人は、しばしば偽善を元凶とするトラブルに遭う。
が、それは偽善と直感できなかった場合よりも、偽善と直感したものの何らかの理由により否と信じたかった場合が、遥かに多いものだ。
二つ目の理由。
それは、「某ジャーナリスト氏のコメントに言行不一致さを直感したから」、だ。
とはいえ、彼は、私の知らないところで、該当者を自分の第二秘書として採用したり、縁(ゆかり)ある企業経営者に該当者の積極採用を依頼するなど、今の自分にできる解決行動(=自助&最善努力)を起こし、同情の念から抱いた批判を意見へ昇華させているかもしれない。
ゆえに、彼からすると、これまた暴論だ。(笑)
ただ、人は、言行が一致しているか否かを直感的に判別できるものだ。
たしかに、人は、しばしば言行不一致の人に騙される。
が、それは、偽善と同様、言行不一致と直感できなかった場合よりも、言行不一致と直感したものの何らかの理由により否と信じたかった場合が、遥かに多いものだ。
もちろん、某ジャーナリスト氏が、立場上、仕事上、該当者に同情せざるを得なかったであろうことは、斟酌している。
だが、とりわけ彼のように世論誘導力を有する人は、安易に、即ち、偽善的に、言行不一致的に、大衆迎合的に、利己的に、同情の意を示してはならない。
該当者を一層傷つけたり、問題解決を一層困難にしてしまいかねないからだ。
これは、世論誘導力を持っていない私たち一般人も、同じだ。
安易に、即ち、偽善的に、言行不一致的に、利己的に、一時の感情的に、付和雷同的に、同情の意を示してはならない。
<同情するなら、身銭を切れ>。
正直本質から飛躍し過ぎている感はあるが(笑)、同情の要件をひと言で述べれば、こういうことだ。
私は、某ジャーナリスト氏から反面教師的に学んだこの言葉を、心に留めるのはもちろん、全うする所存だ。
ついては、この意味において、この場から彼へ謝意を表したい。(礼)
<関連記事>
渡辺明竜王の意見表明に触発されるの巻
福田康夫首相の辞任記者会見を見て批判と意見について再考するの巻
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それは、「某ジャーナリスト氏のコメントに偽善を直感したから」、だ。
とはいえ、これは直感に過ぎず、合理的な根拠は無い。(笑)
ゆえに、彼からすると、これも暴論だ。(笑)
ただ、人は、提示された言動が偽善か否かを直感的に判別できるものだ。
たしかに、人は、しばしば偽善を元凶とするトラブルに遭う。
が、それは偽善と直感できなかった場合よりも、偽善と直感したものの何らかの理由により否と信じたかった場合が、遥かに多いものだ。
二つ目の理由。
それは、「某ジャーナリスト氏のコメントに言行不一致さを直感したから」、だ。
とはいえ、彼は、私の知らないところで、該当者を自分の第二秘書として採用したり、縁(ゆかり)ある企業経営者に該当者の積極採用を依頼するなど、今の自分にできる解決行動(=自助&最善努力)を起こし、同情の念から抱いた批判を意見へ昇華させているかもしれない。
ゆえに、彼からすると、これまた暴論だ。(笑)
ただ、人は、言行が一致しているか否かを直感的に判別できるものだ。
たしかに、人は、しばしば言行不一致の人に騙される。
が、それは、偽善と同様、言行不一致と直感できなかった場合よりも、言行不一致と直感したものの何らかの理由により否と信じたかった場合が、遥かに多いものだ。
もちろん、某ジャーナリスト氏が、立場上、仕事上、該当者に同情せざるを得なかったであろうことは、斟酌している。
だが、とりわけ彼のように世論誘導力を有する人は、安易に、即ち、偽善的に、言行不一致的に、大衆迎合的に、利己的に、同情の意を示してはならない。
該当者を一層傷つけたり、問題解決を一層困難にしてしまいかねないからだ。
これは、世論誘導力を持っていない私たち一般人も、同じだ。
安易に、即ち、偽善的に、言行不一致的に、利己的に、一時の感情的に、付和雷同的に、同情の意を示してはならない。
<同情するなら、身銭を切れ>。
正直本質から飛躍し過ぎている感はあるが(笑)、同情の要件をひと言で述べれば、こういうことだ。
私は、某ジャーナリスト氏から反面教師的に学んだこの言葉を、心に留めるのはもちろん、全うする所存だ。
ついては、この意味において、この場から彼へ謝意を表したい。(礼)
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