2009年03月08日

「性犯罪被害にあうということ(小林美佳さん/著)」を読むの巻

先月、性暴力被害ゼロネットワーク「しあわせなみだ」を主宰する中野宏美さんからご縁を授かった。
しかしながら、私は、「性暴力」に関する理解がゼロに等しく、中野さんの活動に言及できかねている。
ついては、理解を少しでも得るべく、過日、参考図書として「性犯罪被害にあうということ(小林美佳さん/著)」を読んだ。

本書を読んで(改めて)気づかされた事項は、以下の通りだ。
印象に残った箇所は、末に付しておく。
【1】人は、とりわけネガティブな状態に陥ると、根源的欲求をあらわにする。
【2】↑の一つは、他者が自分の心情を「わかってくれること」ではなく、「わかろうとしてくれること」である。
【3】↑を叶えるには、自分が心情を他者へ「伝えること」が欠かせない。
【4】性犯罪/性暴力の被害が二次に及ぶ主因は、自分と他者が【2】と【3】を理解&実行し損ねているからである。

つまるところ、人は一人では生きられない。
私たちは、性犯罪/性暴力事に関わらず、【2】と【3】の理解&実行に努めなければいけない。

驚いたことに、著者の小林さんは、性犯罪の被害者であられた。
その小林さんが本書を上梓なさったのは、【3】の体現に他ならない。

私は、有意義な知見を体を張って授けてくださった小林さんに、心から敬意と謝意を表したい。(礼)
また、小林さんとの出会いを創ってくださった中野さんには、この場を借りてお礼を言いたい。(礼)



★印象に残った箇所

P77
誰かが私を励ますつもりでかけてくれた言葉も、皮肉にばかりとらえていた。
彼らが私よりも辛く苦しんでいるなんて思えなかったから。
被害者の辛さを中和させる言葉なんて聞きたくなかったし、軽々しい言葉も聞きたくなかった。
「分からないのは解っている。
分からないなら、なぜ私に聞かない?
聞けないの?
気を遣っているふりをして、分かろうとしていないんじゃないの?」
そんなふうにしか取れなかった。
解ってほしいんじゃなくて、分かろうとしてほしかった。

P183
当事者としての苦しみと、その周りの人たちの苦しみがあって、それぞれが自分に起こったことをきちんと受け止めることが、意外と難しいのだ。
そのうえで、当事者としての気持ち、近くにいる気持ちを、きちんと相手に伝えることが大切だと思う。
私が被害者面をして過ごしたこの数年間、ものの見方が、屈折していた。
自分のことさえも。
だから、親、兄弟、友人、すべての人と上手くいかなかった。
自分のせいではないという思い、かといって、家族のせいでもない。
いまとなっては、加害者の顔もうろ覚え。
証拠もない。
もしかしたら、全部夢なのかもしれない。
事件の夢を見た私が、目覚めた恐怖で彼を呼び警察に足を運んだ。
それが「事実」なのかもしれない。
・・・だったらいいのに。
でも、私は思う。
自分が感じていることが事実なんだ。
真実は、私の近くの中にしかないのだ。
絶対的な「事実」を追求するのではなく、それぞれの中にある「事実」を伝え合うことが、支援であり、私たちが一番求めている「理解」なのではないだろうか。

P210
周囲の理解だけでも、きっと性犯罪の被害者は救われるはずだ。
少なくとも、私が求め、支えてくれたものは、制度や法律ではなく、周りの人たちだった。
理解を得るために、それぞれが伝え合わなくては。
私たちは「理解したい」という気持ちを求めている。

性犯罪被害にあうということ
小林 美佳
朝日新聞出版
2008-04-22




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この記事へのコメント
表面的にしか見ていないのでは?

http://doradora-katudou.seesaa.net/article/182994581.html
性犯罪被害者が相談した警官はレイプ犯で裏金作り担当係で御栄転。

警察が性犯罪捜査?ご冗談でしょ。

この活動は警察の予算増額のためなんじゃないかな。
いまの警察の実態からすると、そんなふうに疑いたくなる。

警察なんかに騙されるなよ。
Posted by yuu at 2011年01月30日 11:47