2009年04月30日

「私は『毛主席の小戦士』だった―ある中国人哲学者の告白(著:石平)」を読むの巻

「大地の子」のDVDを見終えた私は、親友のIさんが参考文献として推奨してくれた「私は『毛主席の小戦士』だった―ある中国人哲学者の告白(著:石平)」を読んだ。
私は、「大地の子」の背景と趣旨の理解を深めると共に、以下の事項を再認識した。
【1】情報発信者は、全体最適を志向しなければいけない。
個別最適的な情報発信は、人の知性と良識を愚弄し、全体最適を大きく損なう。

【2】情報受信者は、受信した情報の正否と取捨選択を判断しなければいけない。
盲従は、自分だけでなく、社会の持続的な成長&成功を大きく妨げる。

【3】受信した情報の正否と取捨選択の判断は、覚醒している思考で実行しなければいけない。
停止している思考での実行は、盲従の場合と同様、自分だけでなく、社会の持続的な成長&成功を大きく妨げる。

本書の著者である石平さんは、現在は日本に帰化なさっているものの、生まれは中国。
幼い時分より政権政党である中国共産党から洗脳教育を受け、言論統制も手伝い、身も心も「毛主席の小戦士」となる。
が、毛沢東時代に政治的迫害を受けた人の子弟が集う北京大学に入学し、真実を知る。
民主化運動に情熱を傾け、大学助手となってからは啓蒙活動に励むものの、上から厳重注意され、挫折。
そんな折、日本へ留学する話が舞い込み、日本がアジアで唯一近代化できた理由と日本の民主主義国家のありようを直に学ぶべく、留学を決意。
留学先の神戸で天安門事件を知り、中国共産党と中華人民共和国に絶望。
その後、虚偽の反日宣伝が行われている実態にショックを受けるも、背景に、中国共産党が、反日感情を煽動し、中国の国民を自党の盲従的擁護者に変えようとしているのを知る。
中国の民主主義国家建設の夢がまたも共産党の党利党略と情報操作により潰えてしまうことを憂い、本書を上梓なさったという。

私は、石さんが本書を上梓した理由に強く共感した。
親類縁者と決別することや「売国奴」呼ばわりされることをものともせず、思考を絶えず覚醒させ、母国の過去と現在を自分の言葉で総括しているさまに、心が強く動かされた。

推量だが、石さんの思考を覚醒し続けてきたエンジンは、主に二つある、
ひとつは、中国が真に民主化を果たし、全国民が、ひいては、親類縁者がより幸せになることを願う気持ち。
そして、もうひとつは、アジアにおける民主化の先駆けであり、祖の中国以上に儒教の精神を感じる日本から受ける触発(インスピレーション)だ。

この推量が正しければ、思考停止の大敵は、向上心と比較対象の乏しさだ。
日本は、中国とは異なり、比較対象には困らない。
私たち日本人が思考停止するのは、過度の現状肯定と怠惰のせいかもしれない。



★本文抜粋

P12
毛沢東時代の「共産主義教育」の教義となったこのような言説は、真実のかけらもない100%のウソ偽りであることは言うまでもない。
事実はむしろその反対であって、いわば「99%以上の労働者・人民が食うや食わずの極貧の生活を強いられているような残酷無道な暗黒世界」とは、そのまま毛沢東時代の中国人民の置かれた現実そのものであった。
毛沢東共産党はまさに、世界中のもっとも美しい言葉を全部並べて、この世界中でもっとも残酷無道な国を「粉飾」していたのである。
しかし、洗脳教育とは、まことに恐ろしいものだ。
外の世界からの情報が完全に遮断され、共産党の教義に対するいかなる異議異存も断固として封殺され、教科書・新聞・ラジオなどのすべてのメディアが、毎日のように同じウソを、なんの臆面もなく断言的に流す。
そうなると、身の回りの現実がどうであれ、人々は結局、無条件にそれを信じ込むのである。
たとえ一部の人が、内心では多少の疑念を抱いたとしても、それを口にすることは絶対できない。
反対意見を述べる者は当然処刑されるが、疑念一つを口にしただけでも、刑務所行きか、強制労働施設行きかのどちらかであった。

P16
結果的にいえば、要するに政治権力と国家、教科書とラジオ、学校の先生と親戚の叔母、私たち子供の周りを取り巻くすべての組織と人は、「共謀」して一つのウソの世界を織り上げ、それを私たちに植え付けて信じさせてきた、ということになるのである。
こんなふうにされると、自分たち子供は当然、それらのウソを唯一の真実だと信じ込むしかない。
否、むしろ大人よりも数倍以上も真面目かつ純粋に、心底からそれを信じていくのである。
いってみれば、私たちの世代の中国の少年たちは、まさに大人の作り出した欺瞞と虚偽の世界に育ち、ウソの教義によって、幼い心を毒されながら大きくなってきたのである。

P36
後の天安門民主化運動は、まさにこのような連帯感を基盤にしていたのだが、その時の自分たちにとって、この仲間同士の絆・連帯感こそは、発狂状態に陥る寸前、唯一の心の支えであり、未来への希望が芽生える、最後の拠り所であった。
そこから、自分たちはやがて、精神的崩壊から立ち上がることができたのである。
いったん立ち上がると、自分たちは一回り成熟していた。
すでに崩壊した自分自身の精神的世界を、自分自身の手で再建しようとした。
その時、自分たちはまさに今までの苦しい世界をバネにして、「懐疑の精神」というものを身につけていた。
教科書に対しても、『人民日報』に対しても、党と政府の公式発表や指導者たちの談話に対しても、この中国で流布されているすべての言説に対して、まず一度懐疑の目で見て、自分たちの理性に基づいて、それを徹底的に検証していくという精神である。
懐疑と理性による検証を経ていないものは、決して信用しない、という断固たる決意である。

P86
まさに、自らの統治基盤を固めるために、自らの一党独裁的政治体制を維持していくために、共産党政権は総力を動員して、あの手この手を使って、日本を「悪魔の侵略民族」に仕立ててきたのだ。
若者たちの敵愾心を、共産党自身にではなく、まさに日本という「外敵」に向かわせていくために、日本に対する憎しみの感情を計画的かつ継続的に煽り立ててきたのだ。
その恐ろしいほどの教育・煽動運動の長期的遂行によって、中国の国民、若者たちを洗脳して共産党の盲従的擁護者に変えていくのだ。
「反日」とは結局、中国共産党の党利党略から仕掛けられた世紀のペテンである、ということなのだ。





<参考記事>
「大地の子(原作:山崎豊子/主演:上川隆也)」のDVDを見て、「絶望しないこと」の意義を思い知るの巻


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