2009年11月19日

「起業の条件」(著/折口雅博さん)を読むの巻

私は、過日300億円を超える負債を抱えて自己破産なさったグッドウィル(※現ラディアホールディングス)折口雅博さんの処女書籍「起業の条件」を読みました。

本書は、2005年に上梓された「プロ経営者の条件」と内容が一部重複するものの、折口さんがジュリアナ東京で舐めた辛酸をグッドウィルの株式店頭公開で晴らす直前に書いたためでしょう、経営の要諦が余すところなく且つ鬼気迫る勢いで綴られていました。
経営の要諦を会得するのは非常に難しく、達成している経営者は殆ど居ません。
私は、折口さんが30代半ばにして経営の要諦をかくも十二分に会得なさったことに感服すると共に、グッドウィルが設立後瞬く間に「大きくなった」のを必然の帰結と解釈しました。
同時に、私は、要諦を余すところなく会得してもなお自己破産の憂き目に遭う「経営を続ける難しさ」を思い知りました。
ついては、その理由を述べたいと思います。
折口さんがかくも多額な負債を抱えて自己破産なさったのは、元をたどれば、グッドウィルの持ち株比率を高める、グッドウィルの買収防衛策を実施したからです。

★折口経営につきまとう不透明/2007年6月18日日経ビジネス
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20070613/127314/
★旧グッドウィル折口氏、「札びらの復讐」の代償/2009年9月10日日経ビジネス
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090909/204321/

私は、この意思決定が折口さんの致命傷になった、と考えました。
なぜなら、折口さんは、本書の中で「守りに入らない」旨の経営方針を以下掲げているからです。

勝ち残るためには、最低限、次の三つの条件が必要だ。
第一に「ハングリー精神」である。
(略)
皮肉なことに、守りに入った段階で、売上は伸びなくなるどころか、落ち込んでいく
(P40/詳細は文末の引用をご覧願います)

私は、経営の要諦のひとつを「掲げる経営方針と実施する経営施策が一致すること」と考えます。
掲げる経営方針と実施する経営施策の間にかい離があっては、お客さま、取引先企業、社員から信頼を得(続け)られないからです。

折口さんは、本来、グッドウィルの業績を向上させ、グッドウィルの時価総額を高めることにのみ集中すべきでした。(→時価総額が高まれば、買収防衛にもなる)
しかし、折口さんは、「守りに入らない」旨の経営方針を掲げていながら、「守りに入ること」に他ならない、経営者の持ち株比率向上による買収防衛策を実施してしまいました。
私は、この意思決定により、グッドウィルという企業は折口商店という個人商店へ堕し、お客さま、取引先企業、社員の信頼を失ってしまった、と考えました。

正直なところ、私は、「経営の要諦を理解する(=to know and understand)こと」と「経営の要諦を会得する(=to understand and do)こと」の間に大きな隔たりがあるのはわかっていましたが、「経営の要諦を会得すること」と「会得した経営の要諦を不断に実行すること」の間にかくも大きな隔たりがあるとは、わかっていませんでした。
なぜなら、先述の通り、そもそも経営の要諦を会得すること自体が非常に難しいからです。
私は、経営も、ゴルフと同様(笑)、要諦を会得できないのはさておき、要諦を会得してからが勝負であること、そして、人間の性(さが)から無意識の内に要諦を逸脱している、又は、そのようにお客さま、取引先企業、社員の目に映っている自分を客体化&認知し、致命傷になり得る意思決定が修正できる自律/他律システムを不断に構築&活用しなければいけないこと、を痛感しました。

余談ですが、私は、本書を読み、折口さんに対する印象が変わりました。
価値観は異なりますが、思考&行動習性に共感を覚えたからです。

人は過ちを犯す生き物です。
私も、いつも過ちを犯してばかりいます。(笑)
「人間万事塞翁が馬」を座右の銘とする折口さんには、為すべきことをした後、是非ビジネスシーンへ舞い戻っていただき、蔓延している閉塞感を打破いただきたい、と思います。


★印象に残った箇所

P21
最終的には、私には一銭の報酬も支払われなくなった。それが数ヶ月続き、私はやめざるを得なくなった。そこで戦おうとしても、私には弁護士費用すらなかった。強いものが弱いものを食う。弱肉強食とはまさにこのことだと思い知ったのだ
私は徒手空拳、たった一人で野に立たされていた。三十歳でジュリアナを起こし、商社をやめてからまだ一年もたっていない。まさしく天国から地獄へ急直下であった。残ったのは、ジュリアナを立ち上げるときに方々からかき集めた借金だけだった。
(略)
それからしばらく、振り返るのも辛いほどのどん底の生活が続いた。食うために、法に触れないことであれば何でもやった。
しかし、そんななかでも、起業家魂は消えなかった。
「浮上のチャンスは必ずやってくる。絶対にあきらめないぞ。今度チャンスがめぐってきたら、もっとでかいことをやってやる」

P26
失意のなかで試行錯誤を繰り返しながら、私は「もう一度ディスコをやるしかない」という結論に至った。
(略)
私にはもう一つ、計算があった。ジュリアナ東京を追われた折口が、それを凌駕する大きなディスコをつくり、不死鳥のように蘇る。それは世の中に強いインパクトを与えるはずだと考えた。
「折口、ここにあり」
新しいディスコをつくり、私は世間に自分の存在を思い切り示したかった。それができない限り、これ以上ビッグになれないと思った。

P34
無から有を生じさせる。つまり、ないものつくるのがベンチャー企業である。ジュリアナのどん底から、次のステップであるヴェルファーレを始めるとき、まったくのゼロから出発した。何もないところから土地を探し、四十億のカネを引っ張って集め、企画料をもらって借金を返済した。
普通に考えれば常軌を逸しているが、不可能を可能にしたのは、夢以外の何ものでもなかった。
起業家に必要な条件は何かと問われたら、私はまず第一に「夢を持っていること」をあげる。自分はこういう事業をやりたい、その事業で成功してやろう、会社をどんどん大きくして将来的には上場しよう。そういった夢を持たない限り、起業家としてまず成功しない。夢があるからこそ、頭を使い、肉体を酷使してがんばることができるのだ。

P35
もちろん、夢をもっているだけでは起業は実現しない。その夢を実現するには何をどうすればよいのか。現実を見据えた「構想力」が求められるのだ。これが起業家に求められる第二の条件である。
たとえば、あなたが手がけようとしている商品やサービスのマーケットはどの程度の規模だろうか、将来性はあるだろうか。投資に対してどれだけの利益を見込めるだろうか。利益の成長性はどうだろうか。

P40
勝ち残るためには、最低限、次の三つの条件が必要だ。
第一に「ハングリー精神」である。
(略)
皮肉なことに、守りに入った段階で、売上は伸びなくなるどころか、落ち込んでいく。10億円からゼロに戻ってしまうことさえある。事業とはかくも厳しいものであり、持続し、成長するためにはハングリー精神は欠かせない。
(略)
勝ち残るための第二の条件は「ハードワーキング」である。
(略)
事業を起こせば、夜も眠れないような辛く厳しい時期が必ずある。だが、そういうときでも休まず働かなければならない。それが実践できない限り、勝ち残っていけないのである。
第三の条件は「スピード」である。
起業後の急成長は、いろいろな面でメリットをもたらす。まず一つには、圧倒的な市場制圧力を持つことができる。
(略)
このように順調に成長しているのは、スタートすると同時に、支店数や従業員数を一気に増やすことを目標にし、また実行してきたからだ。その結果、圧倒的な市場制圧力を手にすることができた。グッドウィルの事業を模倣しようと考える会社もあったが、それらを振り切って先頭を走り続けることができた。あまりのスピードに、彼らはついてこれなかったのだ。
スピーディな事業展開は、対金融機関という点でも有利に働く。グッドウィルにおいても、一年間で支店を1から10以上にまでふやしたその成長力を高く評価してくれた。当然、その評価は融資額に反映され、おかげでグッドウィルは、きわめてスムーズに資金の調達ができている。
株式市場においても、スピードは高く評価される。公開前から話題を呼び、いわゆるスターター銘柄の仲間入りができる(当然スピードだけが要素ではないが・・・)。そして、値がさ株になれば、それだけ多くの資金を手にすることができるわけで、事業をさらに大きく発展させることが可能になる。

P52
ただ、あえて起業家に向いている資質は何かと問われたら、一つだけあげておきたいことがある。それはコンプレックス、悔しさ、惨めさなど負の感情だ。
正確にいえば、これは資質とはいえないが、家族環境など自分ではどうしようもない何かの影響によって、負の感情が生まれる場合が多いことを考えると、資質といいきってもいいと思う。
(略)
目標を達成するには根本土壌を必要とするというのが私の持論である。悔しさ。コンプレックス、惨めさなどの負の感情は、じつは成功するために必要な精神的なエネルギーを育む豊かな土壌なのだ。
もちろん、みながみな、過去に負の感情を心の奥底に持っているわけではないし、それを持っていなくても成功している人はいる。だが、負の感情を持っている人のほうが、「必ず成功してみせる」「何がなんでもやり抜く」と思う心が強く働くので、逆境に立たされたときに、簡単にあきらめてしまうこともないのではないか。

P59
さて、少年工科学校時代のことをここで書いたのは、当時の体験が私の人生に、非常に大きな影響をもたらしているからだ。ビジネス上、どんな苦境に立たされても、あのときの恐怖やつらさに比べたら「たいしたことはない」と心から思える。そして、その思いがあったからこそ、数々の試練を乗り越えてこれたのだ。
加えて、この体験で「不合理」を受け入れる訓練ができたことも大きかった。三十分後には泥で汚れると分かっている靴やバックルを、顔が映えるほどにぴかぴかに磨かなければならない不合理さ、たたんだ毛布の角が少しずれているだけで、毛布を投げ捨てられてしまう不合理さ。どんな不合理で理不尽に思えるものでも、素直に受け入れなければならなかった(ただし、これらは軍隊の長年の経験で、周到な準備がいかに大切かということを体にたたき込む意味があるということも、あとで理解はできた)。
後述するように、私は合理的主義者である。そうなったのは、当時の体験を通じて、「合理性」の尊さを身をもって知ったからかもしれない。
じつは、自衛官の訓練のようなものでなくても、一般の社会で似たようなことは多々起こる。自分の意思に反したことをやらなければならないこともあるし、理不尽な命令だと思っても従わなければならないこともある。
私は、不合理であることが分かっていながら受け入れざるを得ない状況に置かれることで、何が不合理であるかが分かり、本当に合理的な方法は何かを導き出す力を養うことができたと思っている。

P77
ヴェルファーレの閉店から一年半後。私は株式会社ヴェルファーレを退社した。そのときの肩書きは副社長だった。じつは途中で代表取締役から降格されたのである。
(略)
何もないところからヴェルファーレをつくり上げたと自負していた私にとって、降格は正直なところ非常にショックだった。
しかし、考えてみれば、私が甘かった。自分で企画し、立ち上げたとはいえ、資金を出したわけではない。オーナーがいたからこそ、四十億もかけたディスコの社長になれたのだということを私ははっきり自覚していなかった。
(略)
降格によって、私は資本主義の冷徹さを思い知らされ、激しく動揺したが、すぐに辞表をたたきつけることはしなかった。こんな気持ちのままにすべてを投げ出してしまったら、これ以上の飛躍は望めないと思ったからである。ヴェルファーレは私の今後にとって、まだまだ十分に活用できる魅力的な資源だった。
(略)
私と同じ立場に立ったら、あなたはどうするだろうか。自らのプライドを守るために、その場でやめるという選択をする。そう決断する人が多いかも知れない。
けれども、それはいさぎよいことでも、男らしいことでもない。「成功したい」という意欲が少ないだけなのだ。
自分にとって一番大事なのは表面的なプライドではなく、成功である。絶対に成功すると強く思っているのなら、そこで投げ出したりはしない。
自分のなかの怒りや悔しさをコントロールして、どうすれば勝てるのかを冷静に考える。だから、私はいったん「名」よりも「実」をとる道を選んだのだ。

P80
結果論だが、ヴェルファーレの運営に関する全権限を与えられ、思うようにやらせてもらっていたら、グッドウィルを設立するパワーは生まれなかったかも知れない。私のことだから、会社はつくったかも知れないが、今ほど徹底的な意欲をもってばく進するパワーは生まれてこなかっただろう。
悔しさが爆発的なエネルギーを生み出し、「やってやる!」という意欲をさらに奮い立たせてくれたのだ。
ジュリアナ東京、ヴェルファーレという二つの体験でつくづく思うのは、「人間万事、塞翁が馬」ということである。
(略)
ジュリアナ東京では、たしかに私は負けたが、その勝敗にいつまでもこだわるようなことはしなかった。塞翁が馬といえるような状況にもっていけたのも、ジュリアナ東京という局地戦にとらわれず、広い世界を視野に入れていたことが大きかったと思う。

P85
欲望が行動を起こさせる。これはすべてにおいていえることだ。自分はどうしても起業家になりたい。それならば金が必要だ。では、どうやって金を得ようかと考える。欲望が強ければ、必死になって金を得ようと努力するだろう。
そこで、プライドだとか、主義だとかを持ち出して金の工面に及び腰になるとしたら、起業したいという欲望はさほど強いものではないということだ。起業はまず無理だろう。起業できたとしても、継続させることはおそらくできない。

P87
挫折してもまた次の欲望がわいてくる。これは本質的に私が負けず嫌いなせいもあるだろう。私はつねに進歩していたいと思う。自分よりも優れた人間を見ると、「自分は負けている」と素直に思い、がんばろうとする。

P87
敬愛してやまない起業家の一人に京セラの稲盛和夫会長がいる。
稲盛会長の著作はすべて読ませていただいたが、そのなかに書かれていた「経営哲学一二ヵ条」のなかで、一番単純だが、一番感銘を受けた言葉がある。それは「誰にも負けない努力をしなさい」というものだ。
(略)
だれにも負けないということは、たとえば1000人のライバル起業家がいるとしたら、自分以外の999人には負けない努力をするということである。
「成功するぞ」という意志のもと、誰にも負けない努力を積むことによって、得点は必ず上がっていく。途中で挫折したり、負けたりするのは、努力が足りないからに過ぎない。努力はしているのかも知れないが、それはだれにも負けない努力ではない。それが稲盛氏の言いたいことなのだと、私は解釈している。
では、私自身、だれにも負けない努力をしているかどうかだが、これは私もつねに自問していることである。だからこそ稲盛氏の言葉は真に含蓄のある言葉だと思っているわけだが、一ついえるのは、自分の役職や働いている立場によって、努力の「質」が変わってくるということである。
汗水たらして倒れるまで土木作業をやって人間を鍛えるという分かりやすい「努力」もあるが、それだけが努力ではない。経営者という立場であれば、絶対に勝ち残るために、つねにありとあらゆることを考える。それが自宅の風呂の中だったりすることもある。その場合、外から見れば努力を怠ってのんびりと風呂に入っていると映るかも知れないが、その人にとって最良の方法なのであれば、それでよいのだ。
地位が上がり、立場が変わってきても、マンガのスポーツ根性シリーズ的な「見える努力」を努力と思いたがる向きもあるが、私はそのやり方が合理的だとは思わない。要は、自分の職務を自覚し、その成果を最も効果的に引き出すための、「誰にも負けない努力」が大事なのではないか。

P91
人間は、一生懸命に努力するだけでは進歩しない。進歩のためにどうしても必要なのが「反省」である。言葉で言ってしまえば簡単だが、これがなかなかできるものではない。
自分の行いを振り返る行為そのものは、だれもが無意識のうちにやっている。失敗したときには「まいったなあ、あの一言がまずかった」などと思う、あの心の動きである。
だが、そうやってフィーリングで振り返るだけでは、進歩しない。自分がとった行動なり口にした言葉を客観的に分析し、何がまずくて失敗したのかをきちんと吟味するのである。
大きな失敗については、だれでもそのような作業をしていると思う。問題は、日々のちょっとした失敗をどう処理しているかということだ。
私の場合でいえば、ジュリアナ東京を追われたことについて、経営権を持っておくべきだったとか、契約書を交わしておくべきだったというのが、大きな失敗に対する反省である。これに対して、人に会って話しをしたあとで、「あのとき、話題はよかったが、しゃべり方がまずかった。もっと違ったしゃべり方をすれば、相手に違った印象を与えることができた」などと振り返るのが、小さな失敗に対する反省である。
失敗体験のみならず、成功体験についても同じような作業をしておくとよい。どちらかというと、こちらのほうがフィーリングに流れやすい。だれだって成功すればうれしい。「我ながらうまくいった」「成功してよかった」などと舞い上がってしまうからだ。そのときに、何を考えるかで、あなたの将来が違ってくる。成功は何によってもたらされたのか、より大きな成功をもたらすためには何が足りないのか・・・と、論理的に分析するのである。
そして、反省結果は、頭のなかにきちんと焼きつけておく。そうすることで、着実にステップアップしていく。要は、馬齢を重ねるな、ということだ。
もっと分かりやすくいうと、私は、「長年やっている」ということだけではその人を認めない。どんなに長い期間を費やしても、進歩しないままの人は大勢いるからだ。

P106
大衆を相手にした大きなビジネスを始めるときには、まず最初に、そのビジネスの本質を見極めることが必要だ。たとえば食堂・レストランの本質は何かといえば、料理の味である。そこにおいて実力がなければ、すなわち味がよくなければ、いくら立地がよくても、雰囲気がよくても成功することはない。
分かりやすい例をもう一つあげよう。「アパガード」という歯磨き粉がヒットしているが、それは「芸能人は歯が命」という宣伝戦略だけがよかったからではなく、商品そのものが歯磨き粉の本質を徹底的に追求したものであったからだ。
人々が歯磨き粉を使うときに一番期待するのは、歯を白くすることだ。虫歯を予防する目的もあるが、こちらのほうは目に見えるかたちでは結果が出ないので、強力な訴求力にはならない。
「歯を白くする」という本質に重点をおいて商品を開発し、宣伝においてもそこを徹底的にアピールしたことが功を奏したのがアパガードであり、また実際に、使えば白くなるという実力を持っていた。だからヒットしたのである。
ディスコにも本質というものがある。ジュリアナ東京が成功したのは、仕掛けが成功したからとか、宣伝戦略が功を奏したからなどとよくいわれたが、それは当たっていない。本質の部分に実力を持たせたからこそ成功したのだ。
では、ディスコの本質とは何かというと、「毎日最高に盛り上がっている祭り」である。人がディスコに行きたいと思うのは、そこに行けば大勢の人がいて盛り上がっていて、そのなかで自分もまた踊ったり騒いだりできるからだ。
ディスコが冬の時代を迎えたのは、流行りすたりからではなく、この本質を見誤っていたことが大きい。そでまでのディスコは、「最高にすばらしい音楽を聞きにいくディスコ」「業界人、芸能人、一流人が集まるディスコ」といった、本質から外れた部分にコンセプトを置いていた。
それが間違いなのだ。すばらしい音楽を聞きたいだけならばライブハウスに行けばいいし、一流人という階級意識を満足させたいならば赤坂の料亭や銀座の高級クラブへ行けばよい。そうしたことは、人々がディスコに求めていることとは違う。

P109
本質をおさえたならば、あとはその本質の部分に実力を持たせればよい。ディスコの場合なら、祭りを最高に盛り上げるためのおぜん立てをしてやるのだ。
大型ディスコを成功させるには、次の五大要素を満たしていなければならない。
(1)立地がよい
(2)大きさがほどよい
(3)音響、証明などの設備が高水準
(4)優れたオペレーション
(5)強いマーケティング
(1)〜(3)については、条件を満たしているディスコは他にもあったが、ジュリアナは二重丸であった。
(略)
(4)と(5)は、ジュリアナが圧倒的な強さを見せた領域だ。祭りを最高に盛り上げるためには、とくに充実させなければならないと考え、力を入れたからだ。
具体的には、次の条件を念頭に置いていた。
(1)人がたくさん入っている
(2)音楽がいい
(3)きれいな女の子、かっこいい男の子がいる
(4)ドリンクや食べ物がおいしい
(5)ホスピタリティがいい(接客サービスが行き届き、居心地がいい)
このうち、私が最も重きを置いたのが(1)の「人がたくさん入っている」だった。祭りを盛り上げるために真っ先に必要な条件であると考えたからだ。
週末は客でいっぱいだが、月曜、火曜はガラガラというのが、これまでのディスコの常識だった。だが私は、この常識を打ち破ることはそれほど難しくないと思った。実力さえあれば、何曜日だろうと人は来る。楽しく騒ぎたい人たちの心理を考えれば、そこに行けば楽しいと分かっていれば曜日に関係なく「行きたい」と思うはずなのだ。お祭りの場をつくってやれば、人は集まり、そしてますます祭りが盛り上がる・・・。要は、その循環をつくってしまえばいいのである。
そこで考えついたのが、平日用のインビテーションカード(招待券)を配布することだった。名簿を買ってきてデータベースをつくり、カードを送った。リターン効率を考えてターゲットを絞り、集中的に送った。メインターゲットは都内の企業に勤める二十台前半のサラリーマンとOLだったが、広い層を集めるために、生命保険の外交員へまとめて送り、景品として配ってもらうようにもした。さらに、大企業間でネットワークをつくり、遊び好きな人間をキーパーソンにしてカードをまとめて渡すこともした。
恒常的なインビテーションカードは一流ディスコで初の試みということもあって、いぶかる人たちも多かった。いわく、「そんなものを配ると、流行っていないと思われてしまう」というわけだが、そんな心配は無用だった。なぜならば、行ってみれば人がたくさんきていて盛り上がっていれば、「流行っていない」とは誰も思わないからだ。現場に行ったときの現実の有り様が、非常に大事なのだ。
もちろんその多くは、インビテーションカードを持ってきている人たちだが、なかに入ってしまえば、カードで来ている人がどのくらいいるかなど、だれにもわからない。
「ただの客ばかりでは、収益が上がらない」ともいわれたが、これも短絡的過ぎる。「そこに行けば楽しい」というディスコとしての実力さえあれば、「また来よう」
と思う。そうやって有料客がふえていく。それに招待客がただなのは入場料だけで、なかでの飲食代は確実に落としてくれる。言うほど赤字にはならないのだ。
ジュリアナ東京ではスタート時、月曜でも一日あたり800人の客が入っていた。うち、入場料を払ってきている客は100人程度だったが、その後、有料者の比率がどんどんふえていき、10ヵ月後には、インビテーションカードによる入場者はゼロとなった。

P113
ジュリアナ東京において、無料客が多かった数ヶ月は、いわば「無駄」を我慢した期間である。この我慢がなければ、成功することはなかっただろう。
(略)
ジュリアナ東京の「我慢」は、じつはすでに他の事業で試され、成功している戦略だった。
(略)
宅配便も似ている。ヤマト運輸が宅急便を始める前は、ものを送る手段は郵便しかなかった。先方に届くのも遅く、郵便局に出して数日から一週間かかった。ものを送るのは時間も手間もかかるものだったのである。だから人々は、めったなことではものを送ることはせず、せいぜい盆暮れに送る程度だった。
それが、宅急便の出現によって一変した。郵便局に持ち込まなくても、近くの商店に持っていけばいい。コンビニに持っていけば、二十四時間受け付けてくれる。しかも、どんなに遠くても翌日か翌々日には配達してくれる。そうと分かったら、送りたいものはいくらでもある。これは便利だということになり、手軽にものを送ることが人々の間で習慣化されることになったのである。
宅急便が大きな成功をおさめるまでには、やはり無駄を我慢する期間があった。地域によっては、一個の小さな荷物を翌日届けるのに数千円のコストがかかる場合もある。取扱高がある程度の規模になるまでは、そこの部分の赤字を抱えながら我慢しなければならなかったようだ。
ただし、ここでおさえておかなければならないのは、無駄の中身である。商品なりサービスが、人々が求めるものでなければ、無駄は文字どおりの無駄で終わる。
いつでもどこでも買い物ができる、迅速にどこにでも荷物を送ることができるといういのは、受け皿さえあれば一気に噴出するであろうベーシックなニーズがある。つまり、その期間さえクリアすれば間違いなく成功する事業だったといえる。ジュリアナ東京は生活必需品ではないが、若者が必ず持っている「楽しく騒ぎたい」というベーシックな欲求を満たすものであり、楽しい環境をつねに提供し続けることができればヒットは間違いなかった。無駄を我慢できるのも、そうした確信があればこそなのだ。
言い換えれば、説得商品ではなかったということだ。説得しなければ購買意欲をわき立たせることができないのが説得商品である。先物取引などもその一例で、生活に必要なものではないし、それを買えば必ずあとで儲かるという保証はない。だから営業マンは、必死に説得し、お客の考えを変えさせなければならない。
これに対して、コンビニや宅配便、そしてディスコは、人々が望むかたちでそこにポンと置いてやればいい。「いつでもどうぞ、あなたが求めるサービスを用意してお待ちしています」と言えばいいのである。
見た瞬間、聞いた瞬間に、だれもが便利や魅力を感じる商品やサービス。起業を狙うときは、そのことをポイントの一つにするとよい。

P117
実力があったにもかかわらず、ジュリアナ東京はなぜ終わってしまったのか。
(略)
ディスコは非常に微妙な生き物である。「盛り上がっている祭り」という本質を維持するためには、大変な努力が求められる。ちょうと、海洋の生態系のようなものだ。
(略)
ジュリアナ東京も最初は、絶妙なバランスを維持していた。
(略)
「イメージは高いが敷居は低い」
それがジュリアナ東京だった。
ところが、一年ほどしてこのバランスが崩れ始めた。マスコミの取材攻勢が始まり、経営者がそれをコントロールしきれなかったのである。
マスコミはインパクトのある映像を求める。それが「パンチラのお立ち台ギャル」という切り口だった。お立ち台で踊る女性が、最初から露出度の高いコスチュームだったわけではない。カメラをしたから上に向ければ、壇上の女性の下着が映るのは当然なのだが、その映像をどんどん流したものだから、ジュリアナに行けばパンチラギャルが見られる、と勘違いする人間が増殖してしまった。するとそれに呼応するかのように、お立ち台で露出して目立とうとする女の子が増殖する。それがあの、お立ち台ギャル騒ぎの内幕だったのだ。プランクトンの大量発生である。
それまでお立ち台で楽しく踊っていた普通の女の子たちが、「恥ずかしくて行けない」と思うようになり、姿を消した。ダンスフロアには、お立ち台ギャルを見るためだけにやってきた男たちがあふれた、人目を気にする一般人が姿を消した。
「イメージは高いが敷居が低い」ディスコは、「イメージが低く敷居が高い、行きづらい」ディスコへと変わった。
ジュリアナ東京の凋落は、仕掛けたのはマスコミだが、マスコミのコントロールを怠った経営者の責任も重いと思う。マスコミが面白おかしく取り上げれば客がふえる。収益も上がる。そのことに目を奪われていて、微妙な変化に気がつかなかったのだろう。

(略)
微妙な変化に気づき軌道修正しながら、だれもが楽しめる「最高に盛り上がっている祭り」という本質を維持することができれば、いつまでも続いたはずである。

P133
グッドウィルは出だしから好調だった。需要があっても、供給がなければビジネスにならない。そこで、若者を集めるために三つの「売り」を考えたのだが、それが見事に当たったのだ。
好きなときに仕事ができる、働いたその日に現金で報酬が得られる、違う仕事ができる(いつも同じ仕事ではないから飽きない)・・・。この三つの条件がそろえば、強いフックをもって若者を集められるということは、ディスコの和解従業員と接していくなかで私も知っていた。

P135
求人側のニーズと求職側のニーズのマッチングがなければ、グッドウィルは成功しなかったが、急成長できたのには、他にも要因があったと思う。
一つには「軽作業」への特化があげられる。
(略)
それと、これは意外なことと思われるかもしれないが、「昔ながらの事業」であったことも大きかったと私は考えている。
(略)
「画期的な事業」は、成功すれば大当たりとなるが、成功率はきわめて低い。歴史をみても分かるだろう。それまでには存在しなかった事業、産業で、成功をおさめたケースはそうそうあるものではない。
これに対して「昔ながらの事業」は成功率は高い
(略)
もちろん、昔ながらの事業を昔ながらの方法で展開するのではん進歩がない。そこに通信やコンピュータなどの新技術を駆使してシステムを組み込むことによって、事業を発展させるのだ。
(略)
それともう一つ。第一章で情報通信産業を例にあげ、マーケットの規模が大きく、成長の見込める分野を選ぶべきだと述べたが、補足が必要だろう。
情報通信分野はたしかに将来有望だが、大資本もベンチャー企業もひしめきあっており、競争はかなり激しい。インターネットやマルチメディアで儲けようとしても、なかなか思うようには成功しないだろう。
そういうなかで十分に勝負できる自信があなたにあるのならば、情報通信分野で起業するのは大いにけっこうである。成功すれば莫大な収益を得られることは間違いないからだ。しかし、確固たる技術なり自信がないのであれば、いきなりそこに投資するのは危険ではないだろうか。
そこで、情報通信技術を利用する事業、応用する事業を考えてみてはどうだろうか。起業を成功させるには、そのほうが確実性が高く、近道ではないか。コンピュータのデータベースを駆使したグッドウィルもその一例だが、昔ながらの事業とコンピュータのシステムをドッキングさせることによって実現する「新ビジネス」は、他にもいろいろ考えられると思う。

P139
ブームを仕掛けるには、「今、何をすればうけるか」の判断が的確でなければならない。
(略)
それは、発明の「ひらめき」とは違う。「これが正しい」という瞬時の判断能力だ。たとえば社員が「この機械を買いたい」と言ってきたとき、イエスと答えるかノーと答えるか。
この程度の判断能力は、どんな経営者にもあるはずだが、もっと高次元の判断能力が求められたときに、経営者としての能力の差が出る。あるプロジェクトを進めるべきか、やめるべきか。
(略)
「勘と読み」といてもいいかもしれない。やるかやらないか、押すか引くか。有利か不利か。一つ一つの局面で、咄嗟に判断する力、その判断のもとになる「勘」と「読み」の鋭さは、経営者が備えなければならない最も重要な資質だろう。
(略)
「では、どうすれば、そのような勘と読みが培われるのか」
そう質問されることも多いが、答えは単純明快である。どんな小さな経験も無駄にせず、一つ一つ学習していけばよい。その蓄積が自分だけのデータベースとなり、見たり、聞いたりするたびにそのデータベースのなかから、的確な判断が瞬時に検索されるようになるのである。
私の場合も、蓄積が少ないときには、勘も読みもたいしたことはなかった。サラリーマン時代からの数々の経験がなければ、グッドウィル事業のスピード展開を発想するにはいたらなかっただろう。
(略)
学生時代から「でっかいことをやりたい」と思い続けてきた私だが、ビッグな仕事ばかりをしてきたわけではない。ジュリアナから離れ、生活費を稼ぐにも四苦八苦していた時代には、細かい仕事もよろず屋的にずいぶんとこなした。今思えば、あのころの学習内容は、これまでの人生のなかで最も濃密で充実したものだった。
たとえば、「性格診断機」で食べていた時代がある。百円玉を入れると画面に質問が現れ、それに答えることで性格診断ができるというお遊び用の小さな機械である。
その機械の販売広告を見たとき、「これはすごい」と思った。
スペースをとらない小さな機械だし、しかも定価が二十万円程度という安さ。にもかかわらず、適職、相性など興味をそそる診断項目が七十もつまっている。結果は画面に現れるから、紙を入れる手間や費用もいらない。ただ置けば、現金が入ってくるのだ。
(略)
さっそく、十二台を買って営業に回った。本来エンドユーザー用に打たれた広告であったが、私はのっけから社長にかけ合って時分のビジネスにしたいと説き、まとめ買いによる大幅ディスカウントを得た。
ターゲットはゲームセンターとゴルフ練習場だ。場所代なしで置いてもらう代わりに、収益の六割を私の取り分とし、施設側に四割を渡すという契約にした。
集金は週に一回、高速道路が空いている日曜日に車で回ることにしていた。機械からじゃらじゃらと百円玉を出して袋に入れる。借金生活でどん底だったということもあって、そのときの百円玉のうれしい重さは今でも忘れることができない
(略)
しかし、それよりも、性格診断機を売ったときに得た「カッコいいもの、大きなものを売ろうと考えてはいけない。つまらなそうに見える小さな商品が、案外高い収益を上げるのだ」という教訓が大きかった
だからこそ「軽作業専門の人材アウトソーシング」などという、地味なビジネスにチャンスの糸口を見つけることができたのだと思う。

P148
では、どのようにすれば人脈をつくれるのか。
(略)
助けが必要になったときに力となり、必要に応じて強力体制を組める「信頼関係」がそこに成立してこそ「真に役立つ人脈」といえる。
私はそうした人間関係を築くための第一の条件は「相手の興味を見抜く」ことであり、「嫌われないこと」であると思う。「そんなことでいいのか」とあなどってはならない。どんな話や態度を愉快と思うか、不愉快と思うかは人によって違う。性格の違いもあるだろうし、立場もあるだろう。その人その人がどんな話題を好み、どんな思考回路を持っているかをつかんだうえで、話題や態度を個別に変えていく必要がある。
たとえば、私が講演に行ったとき、集まっている聴衆の層によって話の内容を変える。これから起業しようとする人間、あるいは起業したばかりの人間が集まっているときは、起業時をうまく切り抜けるタクティクスや、創業時の苦労話をすると、みな喜び、目をらんらんと輝かせる。
一方、老舗中堅企業のベテラン経営者が集まっているときは、彼らでは感覚がつかみにくい若者文化についてとか、流行についての分析の話をすると喜ばれる。
(略)
現在の私は、目の前の人間が何を考え、何を望んでいるかを短時間のうちにかなり見抜ける自信がある。だが、最初からそのような芸当ができたわけではない。そうなるまでには、一人ひとりの人間を観察し、分析するという作業の繰り返しが必要だった。

P152
最初は苦痛だらけと思えたが、そのうちに、大勢の人間と一緒に閉じ込められている寮生活でしか味わえない楽しみを見出すことができた。それが人間を観察し、分析する「人間学」だったのだ。
人間はどういうときに悲しみ、どういうときに喜ぶのか・・・。人間はどんなことをされたときに怒り、どういうことをすれば許してもらえるのか・・・。他者とどういうふうに接すれば自分を受け入れてもらえるのか・・・。
これが実に面白かった。私は本質的に、人の好き嫌いはないほうだが、人間観察を続けていくうちに、ますます感情で人を評価しなくなっていった。
たとえばみんなに嫌われていじめられる仲間がいても、私だけは嫌いにならなかったので、いじめられている側につくことが多かった。そうすると、彼らは私だけには心を開いてくれる。話をしてみれば、嫌われるような人間ではないと分かる。思っていることを表現するのが下手なだけであり、劣等感だらけに見えても実は自慢できるものを持っていることも分かる。
(略)
人生のステージが変われば、出会う人も変わる。学ぶべきことは尽きることがない。「人付き合いは苦手だ」「人を見る目がない」という方がおられたら、さっそく本日から人間学を始めることをおすすめする。

P154
起業したい人、あるいは起業したばかりの人にとって、「実業界の大物」との出会いは千載一遇のチャンスである。
(略)
だが、会うところまでこぎつけたとしても、その「大物」を人脈に取り込むのは容易ではない。
(略)
「距離を縮める」には、関心を引くのが手っ取り早い。では、「大物」が「若造」に何を求めているのかといえば、じつは、「若造」が「大物」に求めていることと同じなのだ。こちらが会いたいと思うのは、有り体にいってしまえばメリットがあるからだ。
「大物」も同様である。会ってくれるのはメリットがあるからだ。逆にいえば、相手がメリットを感じてくれるような話や態度をすればよいということになる。
それは、必ずしも、ビジネスに直接結びつくものでなければならないというわけではない。「若い経営者の考えを知っておきたい」「若い発想を吸収したい」でもいい。あるいは、「こいつと会っていると若いころの自分を思い出してなつかしくなる」とか、「明るい気持ちになれる」でもいい。
たとえポジションが天と地ほどの違いがあっても、互いに事業家どうしである。忙しいなか、単に友達になろうと思って会う人はいない。ビジネス上の損得計算がどちらにもあってのことだ。だから、「相手を利用しようと思っているこちらの下心が見透かされてしまうのでは」といった心配は無用である。
「ときには利用させてもらうこともある」という本心をし腰は見せたほうがいい場合すらある。
「利用」というと、言い方が悪いかもしれないが、大きな存在に対して小さな存在がとるごく自然な態度、すなわち「あなたの大きさで、長い目で私を見てかわいがってください」という気持ちで接すればよいのである。

P171
チームワークを乱す一番の原因は「誤解」である。そして、誤解は、スキンシップの欠如から生まれることが多い。噂や憶測で、互いの腹を探り合うようになるからだ。
定期的に顔を合わせて話すようにすれば、誤解は生じにくい。
私の場合は、CEO(最高経営責任者)という立場上、各役員(現在七名)との意思疎通にはとくに気を配っている。従業員の数が増え、いずれ何千人という規模になったら、私自身が末端までスキンシップするのは不可能である。だから今から、役職者がそれぞれ、一階層下の従業員との密なる意思疎通につとめ、それ末端社員まで間違いなく伝わるシステムをつくっている。
たとえば当社の社長である佐藤修は、COO(最高執行責任者)でもあり、十六名の支店長と月二回、七〜八時間にもわたる詳細かつ密度の濃いミーティングを重ね、社内の意思統一を図っている。

P174
なお、誤解のないように申し上げておくと、実力主義といっても冷徹な人事とイコールではないということだ。短期的な損得勘定に立った会社のご都合主義で行っているわけではないのだ。
ここでもまた、
ここでもまた、本人たちの業務に取り組むマインドが重要なポイントとなる。たとえば、マインドを強く入れてがんばったし、実績を出していたのだが、たまたま病気でダウンして業績が伸びなかったとか、時期的に運が悪く受注に結びつかなかった場合など、そう簡単に減給などしない。
これまで述べてきた私の持論からすれば、そうした不運もまた「自己責任」ともいえるのだが、しかし反面、経営とはすべてそれで片づけてしまうほど冷たいものであってはならないと思っている。
ハートのない経営をしていると、会社が窮地に立たされたとき、一致団結して乗り越えようという力が生まれてこない。それどころか、社員たちはクモの子を散らすように逃げていってしまうだろう。矛盾するように思われるかも知れないが、経営にはハートが必要であり、経営者の価値を決めるのも最後はハートなのだ。

P183
ジュリアナ東京を企画し、資金を用意し、何から何まで私がやった。本来ならば、月々、1,000万円近い報酬を手にしてもおかしくはない立場にあった。ところが、実際はどうだったかというと、利権争いが始まってからは、私の手元にはびた一文入ることはなかった。私への報酬は、100万でも50万でもない、ゼロだった。
1,000万円かゼロか。天と地のこの差は、ひとえに私が、法的権利を何も有していなかったためだ。株も持たず、契約書も交わさなかったのは、先にも述べたように、ジュリアナ東京がオープンしてしばらくは、日商岩井に籍をおいたままだったからだ。
(略)
私は、けっして全面的に人を信じるほとおめでたい人間ではなかったが、そのときは、「まさか」という思いが強く、非常に大きなショックをうけた。今思えば、高い授業料を払って勉強させてもらったと思っている。
とはいえ、ジュリアナ東京にかかわった人たちが、特別に劣悪非道だったわけではない。これがビジネスというものであり、資本主義社会のなかで日常茶飯事に繰り広げられている過酷なゲームなのだ。サラリーマンをやっているとその部分が見えない。サラリーマンがかかわっている「ビジネス」は、全体のごく一部でしかない。
もし起業家を目指すなら、第一に、そのことを肝に銘じていただきたい。そして具体的には、スポンサーがいたとしても、可能な限り自分でも株を持って経営権を獲得しておく。自己の存在にかかわる大事なことは、法的効力のある契約書をきちんと交わしておくべきである
(略)
ビジネスの世界では、「男と男の約束」ほど、あてにならないものはない。

P186
しかし、同時に、人を心から信じる勇気が必要であることも学んだ
過去に痛い目にあったからといって、組むにふさわしい相手を信じることができず、人間不信になってしまうのは、致命的なマイナスだ。なぜなら、会社運営は一人ではできないからだ。
私は本当に信じられると思う相手に対しては、「その人間にだったら裏切られて無一文になってもいい」と覚悟を決めることにしている。そのような人間に巡り合える確率は何万人に一人かも知れないが、必ずいるものだ。
グッドウィルの社長である佐藤修との出会いは前述したが、彼こそ私のとってそういう存在なのである。

P189
嫉妬心は女にも男にもある。女性のほうがストレートに表現するから、嫉妬心が強いように見えるだけだ。
(略)
自分より下にいるか、自分と並んでいる相手に対しては、日本人は非常に寛容である。しかし、横並びを飛び出したヒーローに対しては、非常に手厳しい。ちょっとでもすきを見せようものならば、待ってましたとばかりにバッシングする。
仮に、ビル・ゲイツが日本人ならば、今のようなポジションを築けただろうか。
(略)
ちなみに私は、幸か不幸か人を嫉妬したことがない。信じていただけないかもしれないが、自分より成功している人に憧れることや、前向きな競争心を抱くことはあっても嫉妬したことはないのだ。そのことによって、結果的にはずいぶん得をしてきたという思いがある。だから、私は社員に、「嫉妬心を捨てろ」と説いている。そんなものはくだらないもので、人のことをうらやましいと思ったら「なにくそ、やったるぞ!」と奮起して、さらに上をつかめばいいのである。

P195
起業を志す人のなかには、プライドの高い人が少なくない。
(略)
ただ、ここで勘違いしてほしくないのは、プライドにも、いろいろあるということだ。私がいうのは、心のなかのプライドである。それは、たとえすべてを失うようなことがあっても、けっして捨ててはいけないものだと思う。
これに対して、「人に頼みごとができない」「自分の誤りを認めない」「人に金を借りることができない」という類のプライドもある。
これは、大企業出身者にありがちなプライドだ。大企業をやめて起業する場合、じつはこのあたりが一番のハードルになると私は思う。
経営者の敗北は、資金繰りにあきらめたときに決定的なものとなる。簡単にいってしまえば、追いつめられたときに、金をどれだけ借りてこれるかが勝負であり、借金することができなくなれば資金繰りは破綻し、会社の命は終わる。
私は、金融機関や投資家からの借金が7千万円まで膨れ上がった時期がある。ヴェルファーレがオープンし、企画料の名目で手に入れた報酬で返済することができたが、それまでは、文字どおりの借金地獄だった。
銀行や公的機関からは上限一杯借りているから、これ以上は借りられない。ノンバンク、消費者金融からも借り、それでも足りなくて、高利のローン会社にも手を出した。
(略)
あなたにそれができるだろうか。こうした経験は、私だけではない。今華々しく活躍している起業家のなかにも、似たような経験をしたことがある人が少なからずいるはずだ。

P200
どうしても返せないと思ったときには、それこそ表面的なプライドはいっさい捨て、実家や親戚、古い友人を回る。そして絶対にあきらめてはいけない。借金はあきらめさえしなければ、必ず返せるものなのだ。

P202
公開後も同じで、会社の収益が上がれば株価が上がり、株を持つ社員はいっそう得することになる。もちろん大株主であるオーナー経営者も、株価が上がれば株式分割も進み、時価総額がふえて、得することになる。
したがって、かりに、自分よりも経営者として適任である人物が現れたならば、その人物を経営者にしたほうが、結果として自分に利益をもたらす、などということも起こり得る。
アメリカではよくあるケースだ。
(略)
これが公開企業、上場企業の論理なのだが、日本ではまだまだ浸透しているとはいえないようだ。
オーナー経営者のなかには、会社が大きくなっても「俺の会社」という意識が抜けず、なんでも自分で決めなければ気が済まないというタイプがいる。そういう人は自分の座を危うくするような有能な人材はシャットアウトするというやり方をとる。
(略)
優秀な人材が力をつけてきても負けないように自らを磨き、相手が追ってきても追いつかれないように、さらなる飛躍をめざす。そして自分以上の人材が育ってきたら、経営者の椅子を譲ることも考慮に入れる。それが経営者としてとるべき態度ではないだろうか。

P207
また、来年(※1998年)の11月に店頭公開を予定していることについても、「なぜそんなに早く公開したいんだ。何をそんなに焦っているのか」と言われることもある。
しかし、私は、焦っているわけではないし、無理をしているわけでもない。急いでいるだけだ。そしてもちろん、急ぐには合理的な理由がある。
設立からこれまで、グッドウィルはいわばサラブレッドとして育ってきた。大手のベンチャーキャピタルからの投資をうけ、売上も従業員数も倍々にふえてきている。手前味噌ながら、私の経歴もある。そこに、設立から公開までの期間が、独立系で我が国最短、という急成長会社の折り紙がつけば、話題性は抜群である。
しかもフィールドは、今後情報通信分野と並び、最も成長する分野(2010年の段階で12兆円の市場規模)である人材ビジネスである。できることならば、ソフトバンク、光通信、プラザクリエイトのようなスター銘柄になりたいと思っている。
派手なデビューそのものを狙っているわけではないし、目立つことそのこと自体が目的なのではない。初めからスター銘柄としてデビューし、値がさ株そてい時価総額をふやし続ける。そして、最後まで勝つべくして勝っていきたい。
マラソンの勝負を思い浮かべてみてほしい。42.195キロという長い距離だが、最初から先頭集団に入っていなければ勝ち抜くことはできない。もちろん先頭集団にいても優勝するとは限らない。
(略)
しかし少なくとも、第二集団にいる人が優勝する可能性は99.9%あり得ない。
お分かりいただけるだろうか。仮に、メダルを取ることを企業社会でいえば、大企業となって最後まで勝ち残ることだとする。そうなるために私は、最初から先頭集団のなかで走っていなければならないと思うのである。
(略)
だから、もっとゆっくりじっくりやりなさい、というわけである。たしかに正論であり、ビジネスのある局面ではその考えでいったほうがいい場合もあるだろう。だが、この正論はけっして普遍的に通用するものではなく、「起業」に関してもあてはまるとは思えない。
最終的に先頭集団を振り切って優勝するランナーは、かろやかな笑顔でゴールのテープを切る場合が多い。バテているのはむしろ、二番手以降の負けたランナーたちではないか。先頭集団を走るのは、端から見るほど疲れるものでも苦しいものでもないと思う。
それにこう見えても、私は本来、慎重にものごとを考えるほうだ。危険な冬山を無防備に登るようなことはしない。突き詰めれば、「成功したい」という欲望が、飛び抜けて強いからだ。私の行動はすべて、そこに帰着する。

P210
最終的には、この資本主義社会のなかで大きな力を持ちたい。そうすれば、自分のやりたいことが自由にできるようになる。そのために、資本力と組織力をつけ、飽くなき起業拡大をしていく。
当然、店頭公開のあとは東証二部・一部上場も目指すが、それが実現したとしても私は満足しないだろう。年商が100億になっても1,000億を目指し、1,000億を達成しても、その上を目指す。
ではなぜ、世の中で大きな影響力を持ちたいのか。
じつをいうと、それは私自身にも明確には分からないのである。しかし、あえて答えるとすれば、資本主義社会で力をつけ、社会・世の中のために事を為し、究極的には、そのことによる自己満足を味わって人生を終えたいから、ということになるだろうか。

P212
私が体験したことは、特別でもなんでもない。
(略)
だが、じつを言うと、負の体験のすべてを書き尽くせたわけではない。それは、関係者に迷惑をかけたくないという気持ちもあったし、恨みがましい印象を与えたくないという思いもあってのことだ。
実際、恨んではいない。人生は一度しかないのだから、自分の人生を生きることに全力投球したい。他人を恨むことに心を費やすような、不毛な生き方はしたくないからだ。
しかし最後に、本音を一つ言わせていただければ、今の私があるのは「見返したい」という強い思いと無関係ではないということだ。
三十歳の若輩者が、会社を飛び出し、挑戦していった世界は、想像をはるかに超えた「厳しいおとなの世界」だった。おとなたちは、私を最初は歓迎してくれたが、自分たちの領域に入り込もうとする私に気づき、排除しようとした。
子どもは子どもらしくふるまっていれば、かわいがられるが、おとなの言うことをきかなかったり、生意気なことを言い出すと嫌われる。そして、おとなが本気になって力づくでかかってくれば、子どもはひとたまりもない。どんなにがんばっても、おとなにはかなわない。
あの当時の、私とその他関係者との関係は、今思えば、まさにそういった「おとなと子どもの関係」だったような気がする。
子どもはそのとき思った。
「ようし、早く大きくなっておとなたちを見返してやる」
そう思うことが、私の支えの一つになってきたことを否定することができない。その意味では、当時のことは私にとってかけがえのない体験だったといえるし、恨むような類のものでもないと、今では本心からそう思っている。
そして、さまざまな苦境に立ったときに「絶対に成功してやる」と強く決意したあのときの気持ちは、「死ぬまで起業家であり続けたい」と考える、今の私の原点といえるかも知れない






▼その他記事検索
カスタム検索

トップページご挨拶会社概要(筆者と会社)年別投稿記事/2009年

この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
印象に残った箇所

を読んだのですが、血液が沸騰し熱い感情になりました。
また折口さんの評判をネットで見るのと本の内容の印象は
逆ですね。

なんか絶対あきらめないでまた這い上がって来る感を感じました。








Posted by クルックル at 2009年11月19日 22:34
クルックルさん

こんにちは、堀です。
コメントをありがとうございます。(礼)

> 評判をネットで見るのと本の内容の印象は逆ですね。
ネットやマスメディアから得られる情報は完全な二次情報ですが、本人の著述から得られる情報は一次情報と考えていいと思います。
何事にも言えることですが、物事を評価/判断する際は、可能な限り一次情報に頼りたいものです。

> なんか絶対あきらめないでまた這い上がって来る感を感じました。
折口さんは、非常に優れた、非常に逞しい「OS」、即ち、「思考&行動習性」をお持ちでいらっしゃいます。
私も同感ですし、本文でも書きましたがそう希求しています。
Posted by 堀 公夫 at 2009年11月20日 07:41
3
折口さんが只者ではないのは異論ありません。
ショービジネスの失敗と復活、人材派遣、介護の分野への移行拡大は見事です。安定性を含んだ将来性に私も出資しておりました(泣)

しかし、決して小さくはない違法行為と、限りなくブラックに近い方々(別件でいまも旬な話題に・・・)との関わりがある人物を、そういった面に触れずにWebで諸々を公開してしまうのは堀様のご職業を考えると疑問を感じます。

金言が発言者の行為で価値が変わるとは思いませんが、フェアではないと感じたもので。苦言、失礼しました。
Posted by 50 at 2009年12月14日 01:33
50さん

はじめまして、堀でございます。
初コメントをありがとうございます。(礼)

私は、基本、著述は本人が創造した「事実」であり、報道は本人以外の他者が創造した「物語」だ、と考えています。
私は、仕事でもあらゆる「現場」を大事にし、常に深く関心を持っているのですが、それは「現場」が「事実」だからです。
私は、「物語」、それもとりわけ根拠が明らかでなかなったり、合理的でなかったりする「物語」には、あまり関心を持ちません。

たしかに、折口さんの「物語」には否定評価でき得るものが多くあります。
が、私からすると、それらは「事実」でなく、関心がありません。
一方、本ブログ記事で取り上げた「起業の条件」は、折口さんが創造した「事実」です。
そこで、関心を持って読み解いたところ、折口さんの中に肯定評価でき得かつ見習うに足る思考&行動習性を見つけたということであり、それ以上でもそれ以下でもありません。

私の行為が、かつて折口さんへ投資なさった50さんの気分を害してしまいましたら、謝ります。
ただ、公私共々ご多忙であるであろう50さんがあえて不肖の私に苦言を呈してくださったお心遣いには、心から感謝しております。(敬礼)
Posted by 堀 公夫 at 2009年12月14日 07:25