2009年12月01日
六義園の多種多様に染まっている紅葉を観て、人の多様性が尊重&活用された社会の素晴らしさをイメージするの巻
一昨日、私は、六義園(東京文京区)へ行き、紅葉を観てきました。
紅葉を観に名所を訪れたのは京都以来久しぶりでしたが、非常に有意義でした。
というのも、多種多様に染まっている紅葉群を観て、思いがけず、人の多様性が尊重&活用された社会の素晴らしさをイメージすることができたからです。
たしかに、燃えるように赤く染まっている紅葉樹は、それはそれで大変美しく、見応えがありました。
けれど、多種多様に染まっている紅葉群は、唯一無ニの、繊細で、奥深い美しさがあり、見応えがもっとありました。
紅葉を観に名所を訪れたのは京都以来久しぶりでしたが、非常に有意義でした。
というのも、多種多様に染まっている紅葉群を観て、思いがけず、人の多様性が尊重&活用された社会の素晴らしさをイメージすることができたからです。
たしかに、燃えるように赤く染まっている紅葉樹は、それはそれで大変美しく、見応えがありました。
けれど、多種多様に染まっている紅葉群は、唯一無ニの、繊細で、奥深い美しさがあり、見応えがもっとありました。
人の多様性を尊重&活用し損ねる元凶は「過剰な自己愛」にある、と私は考えます。
「益川流『のりしろ』思考」(著/益川敏英さん)を読んだ際の記事でも述べましたが、傲慢さの本質である「過剰な自己愛」が異質な人や考えから自分を反射的に守ってしまう、という考えです。
私は、先の記事において、自己愛の誘惑を断ち切るには勇気が要る旨のたまいました。
他にも要るものがあるなら、その一つは、人の多様性が尊重&活用された社会の素晴らしさをイメージできる好機と願望かもしれません。
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「益川流『のりしろ』思考」(著/益川敏英さん)を読んだ際の記事でも述べましたが、傲慢さの本質である「過剰な自己愛」が異質な人や考えから自分を反射的に守ってしまう、という考えです。
私は、先の記事において、自己愛の誘惑を断ち切るには勇気が要る旨のたまいました。
他にも要るものがあるなら、その一つは、人の多様性が尊重&活用された社会の素晴らしさをイメージできる好機と願望かもしれません。
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