2009年12月29日
ゴリラの家族や子孫に対する思考&行動習性が私たち現代人にとってもはや無くしてしまったものや無くし始めているものであるのを知るの巻
猿は人の祖先です。
けれども、一概に猿とはいえ、思考&行動習性が人に近い猿とそうでない猿があるようです。
たとえば、チンパンジーは、他者と目を合わせながらコミュニケートするのを嫌う(←「威嚇」と感じる)など比較的遠く、ゴリラは、他者と目を合わせながらコミュニケートするのを好むなど比較的近いようです。
「思考&行動習性が比較的人に近いゴリラは、出産前後、いかに思考し、いかに行動するのか」。
過日、私は、この視点から、上野動物園で赤ちゃんゴリラが誕生するドキュメント番組(NHK「特報首都圏」12月11日放映分「モモコの赤ちゃん/上野ゴリラ誕生物語」)を見ました。
本番組はノーマークでしたが、かなり見入ってしまいました。(笑)
「ゴリラの家族や子孫に対する思考&行動習性は、私たち現代人にとって、もはや無くしてしまったものや無くし始めているものである」。
私は、本番組を見て、こう強く感じました。
ついては、番組の該当箇所をレビューし、私見を述べたいと思います。
けれども、一概に猿とはいえ、思考&行動習性が人に近い猿とそうでない猿があるようです。
たとえば、チンパンジーは、他者と目を合わせながらコミュニケートするのを嫌う(←「威嚇」と感じる)など比較的遠く、ゴリラは、他者と目を合わせながらコミュニケートするのを好むなど比較的近いようです。
「思考&行動習性が比較的人に近いゴリラは、出産前後、いかに思考し、いかに行動するのか」。
過日、私は、この視点から、上野動物園で赤ちゃんゴリラが誕生するドキュメント番組(NHK「特報首都圏」12月11日放映分「モモコの赤ちゃん/上野ゴリラ誕生物語」)を見ました。
本番組はノーマークでしたが、かなり見入ってしまいました。(笑)
「モモコの赤ちゃん/上野ゴリラ誕生物語」
世界で絶滅が危惧(きぐ)されるゴリラ。繁殖が熱望されるなか、東京・上野動物園で9年ぶりにゴリラが誕生した。千葉やオーストラリアから借り受けたゴリラを群れで飼育し、ようやく繁殖に結びつけたのだ。ゴリラの出産は人間とよく似ていて、厳しい体重管理が必要。また、予定日を大幅に過ぎても出産の兆候がなく、最悪の事態を想定しての飼育が続いた。ゴリラの赤ちゃん誕生までの4か月間に密着した。
※NHK「特報首都圏」のHPから転載
「ゴリラの家族や子孫に対する思考&行動習性は、私たち現代人にとって、もはや無くしてしまったものや無くし始めているものである」。
私は、本番組を見て、こう強く感じました。
ついては、番組の該当箇所をレビューし、私見を述べたいと思います。
メスゴリラのモモコは、オスゴリラのハオコとの間に子供を宿しました。
出産へ向け、モモコは個室に隔離されました。
出産予定日は過ぎましたが、モモコのお腹に陣痛が来ました。
隔離されているモモコの身に何が起きているか、夫のハオコは本来知り得ません。
しかし、ハオコは、なぜかそれを知り得、終始壁向こうで落ち着かない素振りを見せ、自分の子供が無事に生まれるのを案じていました。
モモコは初産でした。
でも、赤ちゃんゴリラが自分の体から生まれ出ようとするのを察知し、足で支える準備を始めました。
赤ちゃんゴリラが下に落ちないようにするためでした。
赤ちゃんゴリラが生まれました。
モモコは、赤ちゃんの口の中に指を入れ、羊水を口から出し、呼吸を確保しました。
また、モモコは、全身を舌で舐め回し、赤ちゃんの体を綺麗にしました。
ハオコは、動物園の飼育意向により、当座、赤ちゃんゴリラやモモコと別居することになりました。
ハオコは、ドラミング(=胸を両手で交互に叩く行為)で、赤ちゃんゴリラやモモコに会えない辛さ、悲しさ、苛立ちを晴らしました。
このように、メス/母のモモコとオス/父のハオコは、いついかなる時でも、家族や子孫をかけがえのない存在として大事に思い、でき得る対応やコミュニケーションを実行していました。
私は、強く感動するも、先述のように、ゴリラの家族や子孫に対する思考&行動習性が、私たち現代人にとって原始的であるものの、もはや無くしてしまったものや無くし始めているものであるように感じました。
私のこの直感がソコソコ(笑)正しいとすれば、それはなぜなのでしょうか。
親友のYさんと話し合って出てきた最たる理由は、「文明の過度な進歩」です。
つまり、機械化、省力化、分業といったものが過度に進み、人が生きていく上でこれまで心身を使って「やらなくてはいけなかったこと」とか「やって当然だったこと」の多くが「やらなくても済むこと」とか「やらなくても特段困らないこと」に変容してしまったため、家族や子孫に対する原始的な思考や行動習性も変容or消失してしまったのではないか、ということです。
たしかに、文明の進歩は、私たちに幸をもたらします。
今私たちが仕事に専念できるのは、ひとつは医療技術が進歩したり、専門の医療技術者が居てくださるお陰です。
しかし、文明の進歩は、注意が必要です。
とりわけ注意すべきは、過度に進ませないことです。
なぜなら、私たちが人生で為すべきことは、つまるところ、家族や子孫を繁栄させることだからです。
文明を進歩させた挙句、心身を使って「やらなくてはいけなかったこと」や「やって当然だったこと」を減らし過ぎてしまい、家族や子孫に対する原始的な思考&行動習性を変容or消失させ、家族や子孫の絆を弱めてしまうのは、本末転倒であるはずです。
誤解を恐れずに言えば、今、私たちは、家族や子孫に対する原始的な思考&行動習性を取り戻すまで、文明の進歩を休止させ、かつ、過ぎている分を戻すべきなのではないでしょうか。
そして、「いついかなる時でも、家族や子孫をかけがえのない存在として大事に思い、でき得る対応やコミュニケーションを実行する」という心身を使って「やらなくてはいけないこと」と「やって当然なこと」をやり切ることで、家族や子孫の絆を再構築するべきなのではないでしょうか。
私のこの考えもソコソコ(笑)正しいとすれば、その実現へ向け、私たちは何をすべきなのでしょう。
とりわけ大事なのは、慣れ親しんだ楽さ/便利さを放棄し、目先の不利益(減益)/不便さを甘受する勇気と胆力を養うことです。
心身を使って「やらなくてはいけないこと」と「やって当然なこと」をやり切るには、そろばんや理屈を超えられる内面が欠かせません。
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