2010年05月26日

「音楽は自由にする(著:坂本龍一さん)」を読み、言語化への無茶な期待を改めるの巻

私がこうして未知の人向けに自分の考えを言語化するようになり、8年になります。
すっかり慣れたかと思いきや、そんなことはつゆもありません。
今なお、「自分が本当に言いたいことはこんなんじゃないんだよな」とか「これじゃ読者からすると意味不明だよ」など心の中でつぶやきながら、一行書いてはまた消す、の繰り返しをしています。(笑)

原因は何でしょう。
これまで私は、文章力の低さのせいにばかりしていました。
しかし、過日、坂本龍一さんの著書「音楽は自由にする」の以下の箇所を読み、少なくともあと一つあることに気づきました。
P17
音楽の限界、音楽の力

たとえば、今レバノンで戦争をしていますが、戦争で肉親が死んだとします。
あるレバノン人の青年が、イスラエルの空爆で愛する妹を失ってしまう。
そしてその青年が、悲痛な思いを、音楽にする。
でもそれは、彼が音楽にしている時点で、どうしても音楽のことになってしまって、妹の死そのものからは遠ざかっていく。

きっと文章でもそうでしょう。
何かを文章にする時点で、文章としての良さ、文章としての美しさ、文章としての力、そういう、文章の世界に入っていかざるを得ない。
音楽もそれと同じで、妹の死に本当に悲痛な思いを持っているにもかかわらず、音楽を作っている限りにおいては、音楽という世界の問題に入っていってしまう。
それは、現実の妹の死というものとは全然違うレベルのことで、そこには乗り越えられない距離がある。

ただその一方で、ある青年の妹の死というのは、その青年の記憶がなくなってしまえば歴史の闇に葬られてしまいかねないけれど、歌になることで、民族や世代の共有物として残っていく可能性があります。
個的な体験から剥離することで、音楽という世界の実存を得ることで、時間や場所の枠を超えて共有されていく、そういう力を持ちうる。

表現というのは結局、他者と共有できるような形でないと成立しないものです。
だからどうしても、抽象化というか、共同化というか、そういう過程が必要になる。
すると、個的な体験、痛みや喜びは抜け落ちていかざるを得ない。
そこには絶対的な限界があり、どうにもならない欠損感がある。
でも、そういう限界と引き換えに、まったく別の国、別の世界の人が一緒に同じように理解できる何かへの通路ができる。
言語も、音楽も、文化も、そういうものなんじゃないかと思います。

音楽は自由にする
坂本龍一
新潮社
2009-02-26


あと一つの原因とは、言語化への無茶な期待です。
「適切な論理構成と表現から成る文章さえ書ければ、思考は全て言葉にできる」。
こうした期待を私は言語化へ長らく抱いていましたが、これは無茶に他ならないのです。

なぜでしょう。
坂本さんがおっしゃるように、表現は、自分の感情や考えを他者と共有することであり、実行過程においてそれらを部分的に欠損させてしまうのが性質上免れないからです。

言語化は、言うまでもなく表現の一つです。
言語化に内在する絶対的な限界を認知せず、先述の期待を抱きながら自分の考えを言語化するのは、これまた無茶に他ならないのです。

そもそも、私がこうして未知の人向けに自分の考えを言語化する目的は、自己の客観視と社会への報恩にあります。
何より重要なのは、自分の考えが論理矛盾を起こしていないか確認できることと、自分の考えが少しでも社会の役に立てることです。
これらと比較すると、自分の考えが100パーセント言語化できることは大して重要ではなく、それを期待するあまり言語化がいつまでも不慣れでは、本末転倒です。

私は、言語化への無茶な期待を早急に改める所存です。
本件を諭してくださった坂本さんには、この場を借りてお礼を申し上げたいと思います。(敬礼)



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この記事へのコメント
堀さん、こんばんは。

表現することで何かがそぎ落とされ、その代わりに他者と共有できるようになる、というのは確かに表現者にとってはジレンマですね。
(そのギリギリの境界線を追求していくところに醍醐味を感じたりもしますが)

あと、表現者にとってスキルも大事ですが、私は、堀さんのように目に見えぬ読者に対する真摯な態度こそが重要だと思いますよ。
最近、独りよがりの文章が増えていないか、と大いに自戒の意味も込めて、気付かされたのでコメントさせて頂きました。
ありがとうございます。
Posted by snowtop at 2010年05月26日 21:51
snowtopさん

こんにちは、堀です。
いつもコメントをありがとうございます。(礼)

> (醍醐味を感じたりもしますが)
snowtopさんのご解釈&推量、正にビンゴです。(笑)
「だから書き続けられる」という部分も少なくありません!

> 堀さんのように目に見えぬ読者に対する真摯な態度こそが重要
snowtopさんのお心遣い、感謝感激です。(感涙)
どういったところをご覧になりそう感じていただけたかはわかるよしもありませんが、大変励みになります!

> 最近、独りよがりの文章が増えていないか、と大いに自戒の意味も込めて、気付かされた
snowtopさんの殊勝さ、素晴らしいです。
snowtopさんの読書感想レポは、主観と客観が絶妙に組み合わされた、私の愛読文章の一つですよ!
Posted by 堀 公夫 at 2010年05月27日 05:43