2010年07月15日

「なぜ、政治家は自分の誤りを認めないのか」について考えるの巻

「なぜ、政治家は自分の誤りを認めないのか」。
これは、先週、twitter上で@haradaさん@QooCocaColaさんと以下問答した議題です。

【1】@haradaさん
政治家は「誤りを認めて素直に謝る」ということを学んだ方が良い。「居直り強盗」みたいな政治家が目につくのが気になる。そんな人たちに日本の将来は託したくない。
http://twitter.com/harada/status/18042489419

【2】@kimiohori(私)
同感ですが、そもそもなぜ政治家は「誤りを認めること」が不得手なんでしょうかね。人間なら誰でも間違うのに。
http://twitter.com/kimiohori/status/18066946044

【3】@haradaさん
マイナス評価だと考えているのではないでしょうか。もしくは本気で誤りではないと思い込んでいるとか。
http://twitter.com/harada/status/18069492289

【4】@QooCocaColaさん
謝ると、発言に責任感が無い!嘘をついた!話がブレてる!って必要以上に叩くからでしょ?オレらがwww
http://twitter.com/QooCocaCola/status/18072666553

@haradaさんのお答えの「自己評価が下がることへの恐れ」と@QooCocaColaさんのお答えの「過度ないしナンセンスな批判(フルボッコ)からの免れ」は、各々アタリだと思いました。
たしかに、政治家の多くは職業政治家で、有権者から肯定的に評価され続けなければならず、各々はその妨げになります。
ただ、私は他にも答えがあるような気がして、@haradaさんと@QooCocaColaさんへの返信を今日まで先送りにしてきました。(すみません)

「なぜ、政治家は自分の誤りを認めないのか」。
私の答えは、「有権者から敬愛、信頼されている実感が無いから」です。
そもそも、仕事を全うする上で誤りをおかすことは不可避です。
仕事の中での誤りは、政治家に限らず、誰でも必ずおかすものです。
なので、仕事の中で誤りをおかしたことに気づいたら、以下のプロセスに基づき、説明責任を果たせばいいのです。

<1>利害関係者に、選択した判断又は行動が誤りであることを報告する。
(※内容/結果に応じ詫びる)

<2>誤りである理由を合理的に説明する。

<3>誤りの判断又は行動を選択したことによる損失を説明する。
(※内容/結果に応じ詫びる)

<4>代替可能な正しい判断又は行動を明示する。

<5>↑が正しい理由を合理的に説明する。

<6>↑を選択することによる損失回復を説明する。

故意や違法なものを除いて、仕事の中の誤りは、あくまで仕事の中で誤りをおかしただけであって、罪をおかした訳ではありません。
仕事の誤りは、利害関係者に、謝罪ではなく、説明責任を果たすことで済む話です。

しかし、政治家は、仕事である政治活動の中で誤りをおかしても、説明責任を果たしません。
なぜでしょうか。

私の考えは、「『説明責任を果たしても、果たしたと認めてもらえない』と考えているから」です。
「有権者は、どうせ、政治家である自分を敬愛、信頼していない。
だから、説明責任を果たしたところで、どうせ、悪意に取られる。
そして、あること、ないこと、色々言われる。
とどのつまりは、『責任を取って辞めろ!』と大合唱されるのがオチ」。
政治家はこう考え、誤りをおかしても認めず、@haradaさんがおっしゃるように「居直り強盗」然の態度を決め込むのではないでしょうか。

政治家が自分の誤りについて説明責任を果たさないと、現況の好転が遅々とし、国家の、ひいては私たちの成長が危ぶまれます。
政治家が自分の誤りについて説明責任を果たさないのは、本人を除いて「百害あって一利なし」であり、解決が必要です。
政治家に自分の誤りについて説明責任を果たしてもらうために、彼らを選出する私たち有権者は、どうしたらいいのでしょうか。

私の考えは、「選出責任を果たす」です。
私たちが暮らす日本は、選挙に基づく間接民主制を採用しています。
私たちは、積極的か消極的かはさておき、代表者として政治家を選出しています。
であるからして、私たちは、選出責任を果たす義務、具体的には、選出した政治家を敬い(侮辱しない)、愛し(嫌いにならない)、信じる(疑わない)、そして、問題が予見/発生したら批判ではなく意見しなければいけないのではないでしょうか。
政治家に「説明」という責任を全うすることを求めるなら、私たち有権者も、「選出」という責任を全うする必要があるのではないでしょうか。
人が生来持つネガティブな感情や性質を煽るだけのマスメディアに盲従/同調し、彼らをフルボッコにしたところで、私たちの選出責任は果たせませんし、何より現況は好転しません。

日本の現況が「待った無し」であるのは、ご存知の通りです。
今、私たち日本人がするべきは、どちらが先に自らの責任を全うするかを議論することではなく、まず自分の責任を全うすることではないでしょうか。



<関連記事>
福田康夫首相の辞任記者会見を見て批判と意見について再考するの巻
「なぜあの人はあやまちを認めないのか(著:エリオット・アロンソン/キャロル・タヴリス)」を読むの巻


▼その他記事検索
カスタム検索

トップページご挨拶会社概要(筆者と会社)年別投稿記事/2010年

この記事へのトラックバックURL

この記事へのコメント
どこかでも聞いたことのある議論ですよね。
立場は違えど、世の社長さん、上司さん(政治家)も、部下(有権者)から同じように思われていることでしょうね。
Posted by ヤッシー at 2010年07月16日 08:39
ヤッシーさん

こんにちは、堀です。
いつもコメントをありがとうございます。

> 立場は違えど、世の社長さん
社長の場合は、部下(社員)が選んでいるのではない(→社員には選出責任が生じない)ので、事情が少し変わってきます。
ただ、「敬愛、信頼されている実感が無い」という点については、政治家と何も変わらないと思います。
政治家、有権者、社長、社員。
それぞれの立場なりの事情や考えがあるのはわかりますが、いずれのせよ自分の立場の責任だけは全うしたいものです。
Posted by 堀 公夫 at 2010年07月17日 06:46