2011年07月01日
天に帰ったミンから感動と気づきを授かる
昨日の6月30日木曜1時52分、妻の実家の雌猫ミンが天に帰りました。
当日の7時頃、妻から以下の訃報がありました。
私は、以下リプライしましたが、非常識にも、この訃報に感動しました。
当日の7時頃、妻から以下の訃報がありました。
昨晩1時52分、ミンチャン天に召されました
私の呼びかけに応えようとして、起き上がろうとしたり、しっぽで反応示そうと、わずかに動いてみせたりしてくれました。
そのあと力尽きて、両親と私に見守られ亡くなりました。
19才10ヶ月は人でいうと100才超えだそうです。
いつも日だまりにいるあの娘の存在を、つい捜してしまいます。
癒されてましたからね。
寂しくなります。
両親が元気ないのが気になります。
私は、以下リプライしましたが、非常識にも、この訃報に感動しました。
早々に訃報をありがとうございます。
そうですか、昨晩、ミンは天に帰りましたか。
遠くはないかなとは思っていましたが、三日前の月曜に容態が悪化して今日なので、正直急な印象があります。
しかし、これまで何度も申し上げましたが、私の両親もそんな感じでしたので、命が潰えるというのは、そういうものなのかもしれません。
今際の際に相手にどう応えてもらえるかで、これまでの自分の生き様が決まります。
ミンは、今際の際、あなたの呼びかけに、正に最後の力を振り絞って応えてくれたとのこと。
よかったですね。
嬉しかったですね。
不肖私、ミンに最後に感謝すると共に、冥福を祈りたいと思います。
ミンもサリーと同様、葬儀を執り行うのでしょうか。
いずれにせよ、名残は尽きないでしょうから、納得のいくお別れをなさってください(合掌)。
ミンは、一足先に天に帰った雌犬のサリーと比べ、猫のせいか、同じ雌でも遥かに無愛想でした。
呼んでも無反応だったり、抱き上げると逃げられることしばしばでした。
私は非飼い主なのでそんなものとしても(笑)、妻は飼い主なのでどうかと思っていました。
ただ、ミンは、妻にも、両親にも、しかと恩義を感じていました。
ミンは、今際の際に、正に「最後の力を振り絞って」、それを妻や両親に意思表示してくれました。
妻も、両親も、恩義を与えるつもりで、恩義に感謝して欲しくて、ミンを飼っていた、ミンを世話していたわけではないはずです。
しかし、ミンの今際の際でのこの感謝の意思表示に、彼らの胸中は数多の楽しい思い出が蘇り、数多の労苦の思い出が水に流されたはずです。
私は感動しました。
同時に、私は、この訃報に自らの浅はかさを気づかされました。
先述の通り、ミンは無愛想でした。
サリーは、食べ物をあげれば、私でも愛想良くしてくれたのですが、ミンは、妻が食べ物をあげても、限りがありました。
私は、次第に「無愛想な、なつかないペットはペットに非ず!」と考えるようになり、妻の実家に戻っても、構うのは専らサリーになりました。
ただ、これは、ミンに対してはもちろん、サリーに対しても、甚だ不遜かつ邪まな考えでした。
たしかに、ミンも、サリーもペット(=人間に飼われている生き物)です。
けれど、だからといって、「人間の求めには何時何処でも何でも応じるべきだ」というのは、とどのつまり、人間の不遜かつ邪まな考えです。
それも、日頃、手間も愛情を注いでいない不肖のダメ夫の求めであれば、なおのことです。(笑)
人間は、とかく勘違いし易い生き物です。
とりわけ、施しをする立場になると、ペットに対してだけでなく、人間に対しても、愛想の類を一方的に求めがちです。
ミンは、それが誤り、過ちであるのを、今際の際に、最後の力で教諭してくれました。
私は、自らの浅はかさに改めて気づかされました。
先ほど、妻から続報がありました。
ミンは、昨日火葬され、小さくなって帰宅したとのことです。
私は、次回妻の実家に戻った折、霊前のミンに深謝したいと思います。(合掌)
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