2013年08月23日
「半沢直樹」を第五話まで一気見し、「『半沢直樹というオナニー』が市民権を得た」と思えてならないの巻
私が初めて好きになった芸能人は、キャンディーズと山口百恵さんです。(笑)
どちらを先に好きになったかは定かでありませんが、キャンディーズの一番思い出深いシーンが1976年放送開始の「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」でのコントで、百恵さんのそれが1975年放送開始の「赤い疑惑」での船上死(※厳密には意識不明化ですが。笑)であるのを勘案するに、タッチの差で百恵さんを先に好きになった可能性が高いです。(笑)
「赤い疑惑」に出演していた当時、百恵さんは高校生で、見ていた私は小学生でした。
このドラマは決して子ども向けの内容ではなく、また、放送時間帯も夜間でしたが、チャンネル権者(笑)である年長家族から「子どもは見るな」とか「もう寝なさい」と視聴を妨害されることはありませんでした。
なぜでしょう。
一因は、私の百恵さんの好物ぶり(笑)が家族内で周知されていたからでしょう。
しかし、それより(笑)主因は、彼ら自身がこのドラマにハマっていたからでしょう。(笑)
当時、百恵さんは正に時代の寵児で、篠山紀信さんに「時代と寝た女」と称されました。
ビデオ録画が家庭に普及していないこの時分、「時代」の主要構成員である彼らからすると、子どもの「傍から視聴」を妨害するより、自分の「集中視聴」(笑)に全力投入するのが遥かに賢明だったに違いありません。
なぜ、百恵さんは、否、「山口百恵」というエンタメコンテンツは、時代と寝ることができたのでしょう。
私は、以前、百恵さんと同世代の、公私に渡る友人のTさんにこの旨質問したことがあり、以下の旨の回答を授かりました。
「先ず、アイドルとしては非常識に、セックスを連想させる歌を次々リリースし、当時の自分の様な(笑)、セックスやその情報に飢えている若者の股間(笑)とハートを鷲掴みにした。
そして、その確固たる若者マーケットでの実績を踏み台にして、これまたアイドルとしては非常識に、ステレオタイプな日本女性と真逆の、主体的かつ挑発的な女性を歌った歌を次々リリースし、前代未聞のツッパリ系(媚びない)アイドルへ、果ては国民的大歌手へ大きくステップアップしていった」。
たしかに、百恵さんがデビュー5枚目のシングルで歌った「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ(『ひと夏の経験』)」というフレーズは、当時、小学生の私からすると意味不明でしたが(笑)、とりわけTさんの様な高校生に加え、大学生や若い社会人と言った健康的な若者(笑)からすると、日頃の正に欲求不満(笑)の癒しになったに違いありません。
また、百恵さんが成熟期に歌った「馬鹿にしないでよ/そっちのせいよ(『プレイバックPart2』)」や「はっきりカタをつけてよ/やってやれないわ(『絶体絶命』)」や「あなたの○○○が欲しいのです(『美・サイレント』)」というフレーズは、当時、高度経済成長の陰で不本意に三つ指をつかされていた女性や非既得権者からすると、同じく日頃の欲求不満の癒しになったに違いありません。
「『山口百恵というオナニー(=自慰&欲求不満解消事)』が市民権を得た」。
私は、「山口百恵」というエンタメコンテンツが時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えます。
このお盆、私は、ある高視聴率ドラマを初回から最新回(第五話)まで一気見し、通底する思いを抱きました。
ある高視聴率ドラマとは、そう、「半沢直樹」です。
「『半沢直樹というオナニー』が市民権を得た」。
私は、「半沢直樹」がキオスクでコラボパンが売り出されるまで(笑)時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えてなりません。
どちらを先に好きになったかは定かでありませんが、キャンディーズの一番思い出深いシーンが1976年放送開始の「見ごろ、食べごろ、笑いごろ」でのコントで、百恵さんのそれが1975年放送開始の「赤い疑惑」での船上死(※厳密には意識不明化ですが。笑)であるのを勘案するに、タッチの差で百恵さんを先に好きになった可能性が高いです。(笑)
「赤い疑惑」に出演していた当時、百恵さんは高校生で、見ていた私は小学生でした。
このドラマは決して子ども向けの内容ではなく、また、放送時間帯も夜間でしたが、チャンネル権者(笑)である年長家族から「子どもは見るな」とか「もう寝なさい」と視聴を妨害されることはありませんでした。
なぜでしょう。
一因は、私の百恵さんの好物ぶり(笑)が家族内で周知されていたからでしょう。
しかし、それより(笑)主因は、彼ら自身がこのドラマにハマっていたからでしょう。(笑)
当時、百恵さんは正に時代の寵児で、篠山紀信さんに「時代と寝た女」と称されました。
ビデオ録画が家庭に普及していないこの時分、「時代」の主要構成員である彼らからすると、子どもの「傍から視聴」を妨害するより、自分の「集中視聴」(笑)に全力投入するのが遥かに賢明だったに違いありません。
なぜ、百恵さんは、否、「山口百恵」というエンタメコンテンツは、時代と寝ることができたのでしょう。
私は、以前、百恵さんと同世代の、公私に渡る友人のTさんにこの旨質問したことがあり、以下の旨の回答を授かりました。
「先ず、アイドルとしては非常識に、セックスを連想させる歌を次々リリースし、当時の自分の様な(笑)、セックスやその情報に飢えている若者の股間(笑)とハートを鷲掴みにした。
そして、その確固たる若者マーケットでの実績を踏み台にして、これまたアイドルとしては非常識に、ステレオタイプな日本女性と真逆の、主体的かつ挑発的な女性を歌った歌を次々リリースし、前代未聞のツッパリ系(媚びない)アイドルへ、果ては国民的大歌手へ大きくステップアップしていった」。
たしかに、百恵さんがデビュー5枚目のシングルで歌った「あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ(『ひと夏の経験』)」というフレーズは、当時、小学生の私からすると意味不明でしたが(笑)、とりわけTさんの様な高校生に加え、大学生や若い社会人と言った健康的な若者(笑)からすると、日頃の正に欲求不満(笑)の癒しになったに違いありません。
また、百恵さんが成熟期に歌った「馬鹿にしないでよ/そっちのせいよ(『プレイバックPart2』)」や「はっきりカタをつけてよ/やってやれないわ(『絶体絶命』)」や「あなたの○○○が欲しいのです(『美・サイレント』)」というフレーズは、当時、高度経済成長の陰で不本意に三つ指をつかされていた女性や非既得権者からすると、同じく日頃の欲求不満の癒しになったに違いありません。
「『山口百恵というオナニー(=自慰&欲求不満解消事)』が市民権を得た」。
私は、「山口百恵」というエンタメコンテンツが時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えます。
このお盆、私は、ある高視聴率ドラマを初回から最新回(第五話)まで一気見し、通底する思いを抱きました。
ある高視聴率ドラマとは、そう、「半沢直樹」です。
「『半沢直樹というオナニー』が市民権を得た」。
私は、「半沢直樹」がキオスクでコラボパンが売り出されるまで(笑)時代と寝ることができたのは、こういうことだった様に思えてなりません。
故あって頭取を目指すデキる野心的バンカー、東京中央銀行西大阪支店半沢直樹融資課長は、「全責任を負うから」との上司の浅野支店長の言葉に逆らえず、十分な与信ができぬまま。商圏内の大手新規顧客である西大阪スチールへ5億円の融資を実行します。
しかし、それは、旧知の仲の同社社長の東田と浅野が互いに私腹を肥やすべく結託した罠で、間も無く同社は計画倒産します。
何も知らない半沢は、「部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は部下の責任」というサラリーマン社会の黄金の(笑)不文律に則り、浅野と本部の両方から責任を問われ、関連会社出向という「バンカーの死」に等しい降格人事を迫られます。
絶体絶命のピンチの中、半沢は、生育過程で培った逆境での強さと負けん気の強さ、更に、優れたリーダーシップと豊かな思いやりで社内外に味方を得、間一髪の所で東田の隠匿個人資産を突き止め、5億の全額回収に成功します。
半沢は、浅野に約束していた土下座謝罪を命じると共に、東田との共犯を公にしない交換条件として自分と部下の希望昇格人事の画策を命じます。
半沢は、本店営業部次長に着任して頭取へ一歩近づき、浅野は、半沢の代わりにマニラ工場へ出向して「バンカーの死」を受容しました。
日本の労働市場は非流動的かつ閉鎖的であり、日本のサラリーマンの最大のリスクは「立場を追われること」です。
彼らの多くは仕事をする為ではなく、このリスクを回避する為に日々痛勤し、「失われた20年」の終わりが見えない今、それは最高潮に達しています。
然るに、浅野に融資実行を強要された挙句に不渡りの責任を転嫁され、「バンカーの死」を迫られた半沢が、「クソ上司め、覚えていやがれ」とか「やられたら、やり返す。倍返しだ」と非常識に息巻き、浅野子飼いの小木曽人事次長の執拗な不正査問を返り討ちにし、東田の野望と社会復帰を断ち、「約束守ってもらおうか。5億回収したら、土下座してくれるんだったよな」と浅野に深々と土下座させたのは、かつてなく「(権威&保身主義の)上司に楯突けない」、「不実なお客を拒めない」、「不条理事を断れない」、正に被害者&被虐待者意識の塊と化した彼らからすると、何よりの欲求不満の癒しになったに違いありません。
やはり、時代と寝れるエンタメコンテンツ、即ち、大衆に広く深く支持される娯楽とは、一筋の可能性や希望ではなく、当代の普遍の「不」を、端的に言えば、「欲求不満」を非常識かつ痛快に解消する癒しなのです。
私は、半沢が浅野に土下座を命じるシーンを見た時、「課長島耕作」で島が、社長を追われた苫米地と鉢合わせし、思わず謝ってしまったシーンを思い出すと共に、時代の変遷を再認識しました。
たしかに、島は、苫米地を社長から失脚させましたが、それは、苫米地が先に、自派閥への参加を拒否した、無派閥主義の島を私的にクビにして(=解雇して)しまったからであり、本来、島が苫米地に謝る道理はありません。
しかし、それでも島は、不意に苫米地の消沈した顔を確認すると、つい「申し訳ありませんでした」と謝罪してしまいました。
島が初芝電産の社長になった様に、半沢もいずれは東京中央銀行の頭取になるのでしょう。(笑)
半沢がその過程で敵役に「倍返しだ」と宣言し続けるのか、或いは、時に「申し訳ありませんでした」と不合理に謝罪するのか、それは「その時代のみぞ知る」に違いありません。
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しかし、それは、旧知の仲の同社社長の東田と浅野が互いに私腹を肥やすべく結託した罠で、間も無く同社は計画倒産します。
何も知らない半沢は、「部下の手柄は上司のもの。上司の失敗は部下の責任」というサラリーマン社会の黄金の(笑)不文律に則り、浅野と本部の両方から責任を問われ、関連会社出向という「バンカーの死」に等しい降格人事を迫られます。
絶体絶命のピンチの中、半沢は、生育過程で培った逆境での強さと負けん気の強さ、更に、優れたリーダーシップと豊かな思いやりで社内外に味方を得、間一髪の所で東田の隠匿個人資産を突き止め、5億の全額回収に成功します。
半沢は、浅野に約束していた土下座謝罪を命じると共に、東田との共犯を公にしない交換条件として自分と部下の希望昇格人事の画策を命じます。
半沢は、本店営業部次長に着任して頭取へ一歩近づき、浅野は、半沢の代わりにマニラ工場へ出向して「バンカーの死」を受容しました。
日本の労働市場は非流動的かつ閉鎖的であり、日本のサラリーマンの最大のリスクは「立場を追われること」です。
彼らの多くは仕事をする為ではなく、このリスクを回避する為に日々痛勤し、「失われた20年」の終わりが見えない今、それは最高潮に達しています。
然るに、浅野に融資実行を強要された挙句に不渡りの責任を転嫁され、「バンカーの死」を迫られた半沢が、「クソ上司め、覚えていやがれ」とか「やられたら、やり返す。倍返しだ」と非常識に息巻き、浅野子飼いの小木曽人事次長の執拗な不正査問を返り討ちにし、東田の野望と社会復帰を断ち、「約束守ってもらおうか。5億回収したら、土下座してくれるんだったよな」と浅野に深々と土下座させたのは、かつてなく「(権威&保身主義の)上司に楯突けない」、「不実なお客を拒めない」、「不条理事を断れない」、正に被害者&被虐待者意識の塊と化した彼らからすると、何よりの欲求不満の癒しになったに違いありません。
やはり、時代と寝れるエンタメコンテンツ、即ち、大衆に広く深く支持される娯楽とは、一筋の可能性や希望ではなく、当代の普遍の「不」を、端的に言えば、「欲求不満」を非常識かつ痛快に解消する癒しなのです。
私は、半沢が浅野に土下座を命じるシーンを見た時、「課長島耕作」で島が、社長を追われた苫米地と鉢合わせし、思わず謝ってしまったシーンを思い出すと共に、時代の変遷を再認識しました。
たしかに、島は、苫米地を社長から失脚させましたが、それは、苫米地が先に、自派閥への参加を拒否した、無派閥主義の島を私的にクビにして(=解雇して)しまったからであり、本来、島が苫米地に謝る道理はありません。
しかし、それでも島は、不意に苫米地の消沈した顔を確認すると、つい「申し訳ありませんでした」と謝罪してしまいました。
島が初芝電産の社長になった様に、半沢もいずれは東京中央銀行の頭取になるのでしょう。(笑)
半沢がその過程で敵役に「倍返しだ」と宣言し続けるのか、或いは、時に「申し訳ありませんでした」と不合理に謝罪するのか、それは「その時代のみぞ知る」に違いありません。
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