2014年02月20日
ショートで16位に終わった浅田真央選手の、フリーでの善戦と集大成の延期を祈念するの巻
女子フィギアスケートの浅田真央選手が、ソチオリンピック個人ショートプログラムで、まさかの16位に終わった。
私がフィギアスケート観戦をたしなむようになったのは、妻と結婚する少し前の、荒川静香選手がトリノで金メダルを獲得した時分からで、「にわか」フィギアスケートファンに分類されるだろうが(笑)、浅田選手のフリープログラムでの善戦と集大成の延期を祈念し、この結果に対する所感と思考の核を取り急ぎ記したい。
先ず、非難や後出しジャンケン呼ばわりを覚悟して言うが、私は、浅田選手がソチオリンピックでメダルを獲得するのは厳しいと思っていた。
というのも、浅田選手は、前回のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得した後、自身の代名詞、或いは、自我の最たると言うべきトリプルアクセルを封印してフォーム大改造に取り組み始めてからというもの、基本的にずっと安定感と精彩を欠いていたからだ。
本件は、私に限らず、フィギアスケート観戦を趣味にしている人なら、相応に同感いただけよう。
ただ、私は、「にわか」ファンではあるが、更に、本件の根本原因を「勝負と自我のジレンマ」と推断していた。
本事項は、「『勝負に勝つこと』と『フィギアスケートを好きで居続けること』のジレンマ」とか、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いがつけられないで居ること」と言い換えた方がわかり易いかもしれない。
要するに、何事も勝負を分かつのは凡そ加点よりも減点、つまり、ミスであり、勝つには合理と確率を最優先し、ミス無くプレイするのが賢明に違いないが、浅田選手の様なトップレベルプレイヤーからすると、元々プレイそのものが誰かから強いられて始めたことではなく、自分から好きで始めたことであり、かつ、技術と実力をハイレベルに会得してしまっている為、合理と確率を最優先してプレイすることがあざとく、詰まらなく、自己実現から遠のく様に見えてしまい、自我との折り合いがいよいよつけられない、ということだ。
浅田選手が高得点かつ高難度のジャンプに固執し、演技構成から外さず、対する金妍兒(キム・ヨナ)選手は固執せず、演技構成に含めないが、それは本事項に起因していよう。
本事項は、フィギアスケートに限らず、いずれの世界のトップレベルプレイヤーも陥りがちだ。
例えば、イチローが近年ヒットに恵まれない主因も、独特のハイレベル・バットコントロール技術に固執し、打ちにいかなくてもいい、否、打ちにいくべきではない球を益々打ちにいっているからだ。
ちなみに、イチローは、少し前インタビュー番組(「プロフェッショナル」)で、「自分が今野球をプレイしている動機は、野球が楽しくて楽しくて仕方なかった幼い時分のそれとは別物で、今の自分は、幼い子どもに『楽しいよ!』と野球を素直に勧めることができない」と吐露していたが、これは今の浅田選手も同感だろう。
イチローと浅田選手の苦闘から改めて気づかされることの一つは、動機の純粋性は両刃である、ということだ。
要するに、特定の物事を始め、そして、続ける(専心する)動機の根本は、「好きだから!」や「自分らしいから!」といった純粋なモノで良いし、また、純粋であって然るべきだが、それだけでは長く勝ち続けられない、ということだ。
動機の純粋性は、純度が高ければ高いほど、技術の向上や勝利の経験、つまり、初期の成功体験を強く後押しするが、同時に先述の「勝負と自我のジレンマ」を招き易く、却って新技術の開発や勝利の持続的な経験、つまり、長期的な成功体験を妨げる可能性がある。
イチローと浅田選手の動機は高純度に違いない。
「成功体験はアダになり易い」と言うが、両者は今、不意かつ不本意なアダに対峙しているのかもしれない。
トップレベルプレイヤーが「勝負と自我のジレンマ」に打ち克つのに、何か術は無いものか。
私は、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いがつけられないで居る」という原点に立ち返り、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いをつけること」こそ王道と確信している。
では、具体的にどうしたら、「勝負に勝つ為のプレイ」と「自分らしい、自分であるが為のプレイ」の折り合いをつけられるものか。
浅田選手にはとりわけ良い好例、ヒントがある。
私は過日偶然、荒川静香選手がトリノで金メダルを獲得したドキュメント番組(「NHKアーカイブス『荒川静香 金メダルへの道』」)を見たのだが、何と荒川選手はこのジレンマを、イナバウアーを復活させることでブレークスルーしていたのだ。
私がフィギアスケート観戦をたしなむようになったのは、妻と結婚する少し前の、荒川静香選手がトリノで金メダルを獲得した時分からで、「にわか」フィギアスケートファンに分類されるだろうが(笑)、浅田選手のフリープログラムでの善戦と集大成の延期を祈念し、この結果に対する所感と思考の核を取り急ぎ記したい。
先ず、非難や後出しジャンケン呼ばわりを覚悟して言うが、私は、浅田選手がソチオリンピックでメダルを獲得するのは厳しいと思っていた。
というのも、浅田選手は、前回のバンクーバーオリンピックで銀メダルを獲得した後、自身の代名詞、或いは、自我の最たると言うべきトリプルアクセルを封印してフォーム大改造に取り組み始めてからというもの、基本的にずっと安定感と精彩を欠いていたからだ。
本件は、私に限らず、フィギアスケート観戦を趣味にしている人なら、相応に同感いただけよう。
ただ、私は、「にわか」ファンではあるが、更に、本件の根本原因を「勝負と自我のジレンマ」と推断していた。
本事項は、「『勝負に勝つこと』と『フィギアスケートを好きで居続けること』のジレンマ」とか、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いがつけられないで居ること」と言い換えた方がわかり易いかもしれない。
要するに、何事も勝負を分かつのは凡そ加点よりも減点、つまり、ミスであり、勝つには合理と確率を最優先し、ミス無くプレイするのが賢明に違いないが、浅田選手の様なトップレベルプレイヤーからすると、元々プレイそのものが誰かから強いられて始めたことではなく、自分から好きで始めたことであり、かつ、技術と実力をハイレベルに会得してしまっている為、合理と確率を最優先してプレイすることがあざとく、詰まらなく、自己実現から遠のく様に見えてしまい、自我との折り合いがいよいよつけられない、ということだ。
浅田選手が高得点かつ高難度のジャンプに固執し、演技構成から外さず、対する金妍兒(キム・ヨナ)選手は固執せず、演技構成に含めないが、それは本事項に起因していよう。
本事項は、フィギアスケートに限らず、いずれの世界のトップレベルプレイヤーも陥りがちだ。
例えば、イチローが近年ヒットに恵まれない主因も、独特のハイレベル・バットコントロール技術に固執し、打ちにいかなくてもいい、否、打ちにいくべきではない球を益々打ちにいっているからだ。
ちなみに、イチローは、少し前インタビュー番組(「プロフェッショナル」)で、「自分が今野球をプレイしている動機は、野球が楽しくて楽しくて仕方なかった幼い時分のそれとは別物で、今の自分は、幼い子どもに『楽しいよ!』と野球を素直に勧めることができない」と吐露していたが、これは今の浅田選手も同感だろう。
イチローと浅田選手の苦闘から改めて気づかされることの一つは、動機の純粋性は両刃である、ということだ。
要するに、特定の物事を始め、そして、続ける(専心する)動機の根本は、「好きだから!」や「自分らしいから!」といった純粋なモノで良いし、また、純粋であって然るべきだが、それだけでは長く勝ち続けられない、ということだ。
動機の純粋性は、純度が高ければ高いほど、技術の向上や勝利の経験、つまり、初期の成功体験を強く後押しするが、同時に先述の「勝負と自我のジレンマ」を招き易く、却って新技術の開発や勝利の持続的な経験、つまり、長期的な成功体験を妨げる可能性がある。
イチローと浅田選手の動機は高純度に違いない。
「成功体験はアダになり易い」と言うが、両者は今、不意かつ不本意なアダに対峙しているのかもしれない。
トップレベルプレイヤーが「勝負と自我のジレンマ」に打ち克つのに、何か術は無いものか。
私は、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いがつけられないで居る」という原点に立ち返り、「『勝負に勝つ為のプレイ』と『自分らしい、自分であるが為のプレイ』の折り合いをつけること」こそ王道と確信している。
では、具体的にどうしたら、「勝負に勝つ為のプレイ」と「自分らしい、自分であるが為のプレイ」の折り合いをつけられるものか。
浅田選手にはとりわけ良い好例、ヒントがある。
私は過日偶然、荒川静香選手がトリノで金メダルを獲得したドキュメント番組(「NHKアーカイブス『荒川静香 金メダルへの道』」)を見たのだが、何と荒川選手はこのジレンマを、イナバウアーを復活させることでブレークスルーしていたのだ。
事のてん末はこうだ。
荒川選手は、トリノへ行く三ヶ月前、コーチをタチアナ・タラソワさんからニコライ・モロゾフさんに変える決断をした。
この決断は、「今の自分には、同じリンク上で、手取り足取り直接指導されれることが最善かつ必要」と考えてのことだったが、間もなく、モロゾフコーチと作り上げた「100%勝つ為の演技構成」に違和感を覚えた。
すると、モロゾフコーチはそれを理解し、荒川選手に「〔・・・と・・・の演技の間の〕5秒をあげよう。この5秒に、自分ならではの、自分にしかできないプレイをするといい」と提案した。
荒川選手は驚くも、感心してこの提案を受けた。
そして、〔・・・と・・・の演技の間の〕5秒に入れるべき「自分らしい、自分であるが為のプレイ」は何か熟考し、かつての得意技のイナバウアーに思い当たった。
結果、荒川選手は、「勝負に勝つ為のプレイ」と「自分らしい、自分であるが為のプレイ」の折り合いを見事につけ、自信と矜持を胸に秘め、トリノでプレイを心底楽しんだのだった。
恐縮だが、浅田選手がこの好例からまねぶべきは、最低二つある。
一つは、「そもそもジレンマに折り合いをつけるのは、決してできないことではなく、また、決して潔くないことではない」、と心底理解することだ。
そして、もう一つは、「『勝負と自我』の折り合いをつけるには、モロゾフコーチが提唱した『バーター』の思考とロジックが精神衛生上とりわけ有効だ」、と心底理解することだ。
たしかに、今日の浅田選手を作リ上げたものの一つは、自身の「強固な意思」に違いない。
しかし、近年その強みは、どうも本来の強みよりも、背反する「強情さ」や「融通/応用のきかなさ」といった弱みに多く転化しているように思えてならない。
浅田選手は23才とまだ若い。
私は、「にわか」ファンではあるが(笑)、浅田選手の本当の集大成を是非この目で見たい。
★追記/ご参考:本ブログ記事をリンクしたfacebook上で、友だちの若林さんから頂戴したコメントと私のレス
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荒川選手は、トリノへ行く三ヶ月前、コーチをタチアナ・タラソワさんからニコライ・モロゾフさんに変える決断をした。
この決断は、「今の自分には、同じリンク上で、手取り足取り直接指導されれることが最善かつ必要」と考えてのことだったが、間もなく、モロゾフコーチと作り上げた「100%勝つ為の演技構成」に違和感を覚えた。
すると、モロゾフコーチはそれを理解し、荒川選手に「〔・・・と・・・の演技の間の〕5秒をあげよう。この5秒に、自分ならではの、自分にしかできないプレイをするといい」と提案した。
荒川選手は驚くも、感心してこの提案を受けた。
そして、〔・・・と・・・の演技の間の〕5秒に入れるべき「自分らしい、自分であるが為のプレイ」は何か熟考し、かつての得意技のイナバウアーに思い当たった。
結果、荒川選手は、「勝負に勝つ為のプレイ」と「自分らしい、自分であるが為のプレイ」の折り合いを見事につけ、自信と矜持を胸に秘め、トリノでプレイを心底楽しんだのだった。
恐縮だが、浅田選手がこの好例からまねぶべきは、最低二つある。
一つは、「そもそもジレンマに折り合いをつけるのは、決してできないことではなく、また、決して潔くないことではない」、と心底理解することだ。
そして、もう一つは、「『勝負と自我』の折り合いをつけるには、モロゾフコーチが提唱した『バーター』の思考とロジックが精神衛生上とりわけ有効だ」、と心底理解することだ。
たしかに、今日の浅田選手を作リ上げたものの一つは、自身の「強固な意思」に違いない。
しかし、近年その強みは、どうも本来の強みよりも、背反する「強情さ」や「融通/応用のきかなさ」といった弱みに多く転化しているように思えてならない。
浅田選手は23才とまだ若い。
私は、「にわか」ファンではあるが(笑)、浅田選手の本当の集大成を是非この目で見たい。
★追記/ご参考:本ブログ記事をリンクしたfacebook上で、友だちの若林さんから頂戴したコメントと私のレス
堀 公夫(教授&羽生ヲタ)@kimiohori
おはようございます。浅田真央選手がフリーで善戦どころか自己ベストスコアを叩き出し、ショートの16位を6位まで追い上げてくれました。不肖私、浅田選手の演技終了直後の涙に貰い泣きしました。浅田選手の集大成の延期を改めて祈念するばかりです。 http://t.co/iUwla0gxn5
2014/02/21 07:35:13
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