2019年07月03日
某ファンドの「勉強会」へ約10年ぶりに参加し、残念に思うと同時に、近年ホルダーの頭数が頭打ちになっているのを合点するの巻
最近、会う人に先ず言われるのは、「お元気ですか?」である。
それも、会うのが久しぶりの場合、ダントツのトップ(?・笑)である。
彼らはなぜ、私の不調を推量するのか。
聞けば、私が本ブログをめっきり新規投稿しないからである。
自業自得(?・笑)である。
弁解する訳ではないが、本ブログは、私の経営する会社のPRであり、また、新聞で言う「社説」である。
弊社からすると「提供可能価値の欠片」、そして、潜在顧客からすると「獲得期待価値のサンプル」であり、矢鱈なものは書けない。
しかして、弊社代表の私は、何かに出くわし、触発され、ブログを書き始めるものの、日常の煩雑と本性の無精にかまけ、「下書き」を増やす一方、という訳である。(苦笑)
弁解はこれくらいにして(笑)、かれこれ2年間「下書き」に塩漬けしていた分を、気合いで(笑)新規投稿したい。
というのも、近日、かれこれ10年以上無沙汰のUさんと再会することになり、参考にしていただきたい内容だからである。
勿論、Uさんではないあなたさまも、読んで損はない(であろう。笑)からして、是非読了いただきたい。
2017年4月、某ファンドの「勉強会」へ約10年ぶりに参加した。
一番の理由は、そのファンドの創業者で、「恩人」でもある彼に、10年越しの「野暮用」(苦笑)があったからである。
また、純粋に一ホルダーとして久しぶりに彼、および、会社の実情を肌理解したかったから。
それも、できれば「肯定的に」肌理解(→安心)したかったから、でもある。
前者の「野暮用」はさておき(笑)、後者の「願い事」は叶ったのか。
結論から言うと、彼や会社の実情は肌理解できたが、「肯定的に」はできなかった。
挙句、会社とファンドの今後を案じ、アレコレ考えさせられた。
私はなぜ、会社とファンドの今後を案じたのか。
結論を紐解く前に、私がこのファンドの「勉強会」へ参加するようになった経緯と「ほぼ常連」(笑)的に参加していた約3年間の所感、ならびに、「勉強会」の当時認識、を述懐したい
それも、会うのが久しぶりの場合、ダントツのトップ(?・笑)である。
彼らはなぜ、私の不調を推量するのか。
聞けば、私が本ブログをめっきり新規投稿しないからである。
自業自得(?・笑)である。
弁解する訳ではないが、本ブログは、私の経営する会社のPRであり、また、新聞で言う「社説」である。
弊社からすると「提供可能価値の欠片」、そして、潜在顧客からすると「獲得期待価値のサンプル」であり、矢鱈なものは書けない。
しかして、弊社代表の私は、何かに出くわし、触発され、ブログを書き始めるものの、日常の煩雑と本性の無精にかまけ、「下書き」を増やす一方、という訳である。(苦笑)
弁解はこれくらいにして(笑)、かれこれ2年間「下書き」に塩漬けしていた分を、気合いで(笑)新規投稿したい。
というのも、近日、かれこれ10年以上無沙汰のUさんと再会することになり、参考にしていただきたい内容だからである。
勿論、Uさんではないあなたさまも、読んで損はない(であろう。笑)からして、是非読了いただきたい。
2017年4月、某ファンドの「勉強会」へ約10年ぶりに参加した。
一番の理由は、そのファンドの創業者で、「恩人」でもある彼に、10年越しの「野暮用」(苦笑)があったからである。
また、純粋に一ホルダーとして久しぶりに彼、および、会社の実情を肌理解したかったから。
それも、できれば「肯定的に」肌理解(→安心)したかったから、でもある。
前者の「野暮用」はさておき(笑)、後者の「願い事」は叶ったのか。
結論から言うと、彼や会社の実情は肌理解できたが、「肯定的に」はできなかった。
挙句、会社とファンドの今後を案じ、アレコレ考えさせられた。
私はなぜ、会社とファンドの今後を案じたのか。
結論を紐解く前に、私がこのファンドの「勉強会」へ参加するようになった経緯と「ほぼ常連」(笑)的に参加していた約3年間の所感、ならびに、「勉強会」の当時認識、を述懐したい
先ず、私がこのファンドの「勉強会」に参加し始めたのは、たしか2004年頃。
私は当時、起業準備中、かつ、既にこのファンドのホルダーだったが、ある集いで創業者の彼に直接会うことができた。
法人成りを目前に疑問や不安を抱えていた私は、集いが散開した後、彼にその一部の解を直接問うてみた。
自分がホルダーであるとは言わずに。
彼の回答は、私に自信、遂には確信を与えるものだった。
また、彼は良くも悪くも率直に質問をする初対面の私を意気に感じたのか、「よければ来なさい」と、月に一度非公開で実施しているという「勉強会」に招いてくれた。
社会的看板も、肩書もない、正にどこの馬の骨ともわからない私を、である。
私は感激し、帰宅後即、彼宛礼状を書いた。
かくして、私は「勉強会」に参加するようになり、彼と知見を交わし、信頼を築いた、という訳である。
当時の「勉強会」は「サロン」だった。
たしかに、主催者は彼で、彼のオフィスで催されていた(※当初は貸会議室で催されていたらしい)が、商品の売り込みが皆無であることに加え、「講師」-「聴講者」の関係性、更には、そうした関係性による「上下」や「ワンウェイ」のコミュニケーションも皆無で、参加者の立場と発言権は対等だった。
しかして、彼も登壇機会は限定的で、基本後ろで議論を見守るばかりだった。
「主催者」も名ばかりで、場所と機会(と終了後のビール。笑)の「提供者」が実だった。
プログラムは、約1時間×2でコマ割りされ、登壇者とテーマが設けられたが、それは事前に「手を上げた」参加者とそのアイデアだった。
具体的な進行は、先ず登壇者が10分程度、議題である自身の直近の問題意識、および、その具体事例をプレゼン。
その後、それを刺身のツマに(笑)50分程度、問題の原因と解を参加者全員で多角的、かつ、時に脱線し(笑)論じ抜くのが基本だった。
私は当時、起業準備中、かつ、既にこのファンドのホルダーだったが、ある集いで創業者の彼に直接会うことができた。
法人成りを目前に疑問や不安を抱えていた私は、集いが散開した後、彼にその一部の解を直接問うてみた。
自分がホルダーであるとは言わずに。
彼の回答は、私に自信、遂には確信を与えるものだった。
また、彼は良くも悪くも率直に質問をする初対面の私を意気に感じたのか、「よければ来なさい」と、月に一度非公開で実施しているという「勉強会」に招いてくれた。
社会的看板も、肩書もない、正にどこの馬の骨ともわからない私を、である。
私は感激し、帰宅後即、彼宛礼状を書いた。
かくして、私は「勉強会」に参加するようになり、彼と知見を交わし、信頼を築いた、という訳である。
当時の「勉強会」は「サロン」だった。
たしかに、主催者は彼で、彼のオフィスで催されていた(※当初は貸会議室で催されていたらしい)が、商品の売り込みが皆無であることに加え、「講師」-「聴講者」の関係性、更には、そうした関係性による「上下」や「ワンウェイ」のコミュニケーションも皆無で、参加者の立場と発言権は対等だった。
しかして、彼も登壇機会は限定的で、基本後ろで議論を見守るばかりだった。
「主催者」も名ばかりで、場所と機会(と終了後のビール。笑)の「提供者」が実だった。
プログラムは、約1時間×2でコマ割りされ、登壇者とテーマが設けられたが、それは事前に「手を上げた」参加者とそのアイデアだった。
具体的な進行は、先ず登壇者が10分程度、議題である自身の直近の問題意識、および、その具体事例をプレゼン。
その後、それを刺身のツマに(笑)50分程度、問題の原因と解を参加者全員で多角的、かつ、時に脱線し(笑)論じ抜くのが基本だった。
参加者は、今で言う「ダイバーシティ」溢れるメンツで、職種も肩書も性別も十人十色だった。
彼の会社の社員も居たが、全員彼を慕う「意識の高い」有志だった。
参加には唯一、先達の紹介が必要だった。
これらが、問題の原因と解を全員で多角的に論じ抜くのに著効したのは勿論だが、今思うに、各種経験値の高い彼が山ほどあったであろう「イイタイコト」をこらえた(に違いない)ことも大きい。
各人が、他者の問題という「他人事」を「自分事」化し、自ら「思い込みをリセット」し、「気づき」、「課題と解決行動の案出」を果たすには、「主体性を再発見、再発揮」するには、挙句、「勉強会」のゴールに違いない「『論語と算盤』を心得た社会人」に成るには、蛇足である、と自戒して。
私はなぜ、「勉強会」の常連メンバー化したのか。
今改めて思うに、先ず、彼の「狙い」(笑)通り、「主体性を再発見、再発揮」する好機会と認識したからである。
「『論語と算盤』を心得た社会人」に成れたかは神のみぞ知る、だが。(笑)
次に、個人が「主体性を再発見、再発揮」するのに必要なのは、講師や先生といった所謂「上」のヒト(他者)ではなく、自分と明らかに異なる思考、価値観の有志である、と。
また、そんな彼らと徹底的にツーウェイコミュニケートでき、かつ、「それはそれでアリ」と得心できる機会である、と認識したからである。
以上が、私がこのファンドの「勉強会」に参加するようになった経緯と常連化のプロセス、および、当時の所感であり、私が彼を「恩人」認識する根因、そして、彼の会社とファンドの今後を案じた根因である。
そう、今回の「勉強会」は、本質、および、先述の彼の「狙い」において、かつてと余りにかい離していたのである。
たしかに、今回の「勉強会」はそもそも「サロン」ではない。
「講師」-「聴講者」が基本形態の公開、参加希望制であり、プログラムも違えば、進行も当然違う。
所謂「セミナー」である。
とはいえ、「恩人」の彼、および、彼の会社とその社員が企画運営する以上、こうした方法論はさておき、私は信じていた。
終了後、「主体性を再発見、再発揮」する好機会と再認識できることを。
彼の会社の社員も居たが、全員彼を慕う「意識の高い」有志だった。
参加には唯一、先達の紹介が必要だった。
これらが、問題の原因と解を全員で多角的に論じ抜くのに著効したのは勿論だが、今思うに、各種経験値の高い彼が山ほどあったであろう「イイタイコト」をこらえた(に違いない)ことも大きい。
各人が、他者の問題という「他人事」を「自分事」化し、自ら「思い込みをリセット」し、「気づき」、「課題と解決行動の案出」を果たすには、「主体性を再発見、再発揮」するには、挙句、「勉強会」のゴールに違いない「『論語と算盤』を心得た社会人」に成るには、蛇足である、と自戒して。
私はなぜ、「勉強会」の常連メンバー化したのか。
今改めて思うに、先ず、彼の「狙い」(笑)通り、「主体性を再発見、再発揮」する好機会と認識したからである。
「『論語と算盤』を心得た社会人」に成れたかは神のみぞ知る、だが。(笑)
次に、個人が「主体性を再発見、再発揮」するのに必要なのは、講師や先生といった所謂「上」のヒト(他者)ではなく、自分と明らかに異なる思考、価値観の有志である、と。
また、そんな彼らと徹底的にツーウェイコミュニケートでき、かつ、「それはそれでアリ」と得心できる機会である、と認識したからである。
以上が、私がこのファンドの「勉強会」に参加するようになった経緯と常連化のプロセス、および、当時の所感であり、私が彼を「恩人」認識する根因、そして、彼の会社とファンドの今後を案じた根因である。
そう、今回の「勉強会」は、本質、および、先述の彼の「狙い」において、かつてと余りにかい離していたのである。
たしかに、今回の「勉強会」はそもそも「サロン」ではない。
「講師」-「聴講者」が基本形態の公開、参加希望制であり、プログラムも違えば、進行も当然違う。
所謂「セミナー」である。
とはいえ、「恩人」の彼、および、彼の会社とその社員が企画運営する以上、こうした方法論はさておき、私は信じていた。
終了後、「主体性を再発見、再発揮」する好機会と再認識できることを。
また、「『論語と算盤』を心得た社会人」にまた一歩近づけた自覚に恵まれることを。
しかし、これらは見事裏切られ、会社とファンドの今後を案じた、という訳である。
私がこの会社のファンドを依然買い増しているのは、彼への恩義からだけではない。
パフォーマンスが飛び抜けて良くはないが(笑)相対的には悪くないことに加え、かつての「勉強会」に見た創業者の「狙い」、挙句、「志」に共感し、かつ、そんな彼を支える「顔の見える」「心ある」古参社員を依然数名知っているからである。
だから、尚の事、裏切られた感があり、会社とファンドの今後を案じてしまった、という訳である。
文末を前に一つだけ例示すると、質疑応答で以下、自身の「狙い」、「志」を疑われかねない彼のコメントがあった、
「(質問者の思考、行動をかんがみるに、ファンドという金融商品の本質、ならびに、その独自の価値と効用を)まだ分かってないな、と思う」。
私は、残念に思うと同時に、近年ホルダーの頭数が頭打ちになっているのを合点した。
是非、彼と社員には、自分たちのファンドをホルダーが選び、買い、持ち続けている理由を再認識し、努めて合理的に応えて欲しい。
私が長く持ち続けているこのファンドが、「弱者食い物ビジネス」の一商材呼ばわりされないためにも。
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しかし、これらは見事裏切られ、会社とファンドの今後を案じた、という訳である。
私がこの会社のファンドを依然買い増しているのは、彼への恩義からだけではない。
パフォーマンスが飛び抜けて良くはないが(笑)相対的には悪くないことに加え、かつての「勉強会」に見た創業者の「狙い」、挙句、「志」に共感し、かつ、そんな彼を支える「顔の見える」「心ある」古参社員を依然数名知っているからである。
だから、尚の事、裏切られた感があり、会社とファンドの今後を案じてしまった、という訳である。
文末を前に一つだけ例示すると、質疑応答で以下、自身の「狙い」、「志」を疑われかねない彼のコメントがあった、
「(質問者の思考、行動をかんがみるに、ファンドという金融商品の本質、ならびに、その独自の価値と効用を)まだ分かってないな、と思う」。
私は、残念に思うと同時に、近年ホルダーの頭数が頭打ちになっているのを合点した。
この道ウン十年のプロ中のプロと、ファンド、否、金融商品そのものに未熟な一般日本人とを比較すれば、後者が「分かっていない」のは当然だからである。
それを、彼ほどのプロ中のプロが、かつての「勉強会」の参加者のような、信頼関係を構築している人に対してならいざ知らず、そうではない限りなく初見の人に対し、こうした物言いをするのは、プロ中のプロとしてあるまじき行為、心がけで、ひと言無礼、かつ、あたかも売り手と買い手の立場、情報の非対称性を利用した「弱者食い物ビジネス」の教祖だからである。
無論、彼も事情はあろうが、自身の「志」とかつての自戒はどこへ行ったのか。
それを、彼ほどのプロ中のプロが、かつての「勉強会」の参加者のような、信頼関係を構築している人に対してならいざ知らず、そうではない限りなく初見の人に対し、こうした物言いをするのは、プロ中のプロとしてあるまじき行為、心がけで、ひと言無礼、かつ、あたかも売り手と買い手の立場、情報の非対称性を利用した「弱者食い物ビジネス」の教祖だからである。
無論、彼も事情はあろうが、自身の「志」とかつての自戒はどこへ行ったのか。
是非、彼と社員には、自分たちのファンドをホルダーが選び、買い、持ち続けている理由を再認識し、努めて合理的に応えて欲しい。
私が長く持ち続けているこのファンドが、「弱者食い物ビジネス」の一商材呼ばわりされないためにも。
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