2017年09月28日

デービッド・アトキンソンさんの新著(「世界一訪れたい日本のつくりかた」)を読み、レッツノートユーザーイベントでの不遜な物申しを開き直る(笑)の巻

先週、私は長年の愛機、レッツノートの非公開ユーザーイベントに参加した。
本イベントに参加するのは今回で二度目だが、今回はレッツノートの競合優位の一つの、即日修理を旨とする「秋葉原LUMIX & Let's note修理工房」の中の人が登場なさるとのことなので、不肖のレッツらー(=レッツノート愛用者)として理解を深めたかったのである。

感心し、かつ、レッツノートへの愛と信頼が高まったことがある。
それは、レッツノートのモニター画面が思いの外割れ難く、丈夫なのを肌理解してのことである。
中の人のプレゼンに「画面の公開『破壊』&『即修理』」というのがあったのだが、私は参加者全員の前で画面を敢えて割る幸運(?・笑)に恵まれた。
結局、割れた(=内部断線した)のだが、指でかなり強く押そうと、ボールペンを挟んで画面を閉じようと、なかなかどうして割れず、最終手段的に彼らの修理用のドライバーを挟んで畳んで閉じ、ようやく「ピキッ」っと割れたのであった。

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なぜ、かくもレッツノートの画面は割れ難いのか。
このことには修理工房の中の人も、パナソニック(※以下「パナ」と表記)本社の中の人も驚くばかりで、真相は不明だが、どうやら表面の弾性が絶妙で、一般ユーズの不正圧力を絶妙にいなすようにうかがえた。
私にとってノートパソコンは「出先での頼れる相棒」であり、あり得るヒューマンミスにかくも事前対応しているレッツノートは「レッツノートさまさま」である。

本イベントでは、サポートの現場長の方と直接話をする機会にも恵まれた。
私は、レッツらーとしては甚だヘタレではあるが、先の感心もあり、これからも当分レッツらーでありたく、不遜かつ五月蠅がられる(笑)のを承知のうえ、その方にいくつか物申した。

その一つは、かつて電話サポートで経験したことだが、「それは[マイクロソフト]にお問い合わせください」の類は、問い合わせの回答のオチとしてはアンチ・ユーザー目線&ニーズで、改善が望ましい、ということである。
このオチでは、問題に困り果てて問い合わせをしてきたユーザーが救われないから、もっと言えば、ユーザーのニーズが満たされないから、である。

たしかに、製造主のパナが本来サポートすべきは、レッツノートというモノ、即ち「ハード」である。
「ハード」以外の問題、および、元凶は、それをリリースしている企業のサポート領域であり、パナの回答のオチは必ずしも不正(確)ではない。
しかし、問い合わせをしてきたユーザーの「ニーズ」は何か。
そもそもなぜユーザーは、「敢えて」問い合わせをするのか。
詰まる所、「問題の解決」である。
よって、このオチはとりわけ非シニアユーザーからすると「投げっぱなしのジャーマン」にうかがえて然るべきで、レッツノートという「ハード」に付随すべき「サービス」としては空疎かつ無責任に感じるものである。

私が本イベントでパナの中の人に物申したのは、今回で二度目である。
いい加減出入り禁止になるかも、と当日は後悔したのだが(笑)、後日開き直ることにした。
これで出禁になるなら上等だ、と。(笑)
なぜか。
小西美術工藝社の社長で、日本の観光マーケティングの一家言者でもあるデービッド・アトキンソンさんの新著(「世界一訪れたい日本のつくりかた」)を読み、私の主張も満更的外れではない、と勇気づけられた、もとい(笑)、確信できた、からである。
P251
第六章 儲けの9割は「ホテル」で決まる
日本のホテルに寄せられる苦情

一方、そのような国際基準に合わせることに懐疑的な方たちとは別に、国際競争力を上げるということ自体を勘違いしている方もいます。
具体的に言うと、それは「日本のホテルはハードは世界レベルなのだから価格を世界レベルに引き上げればいいのだ」という安直な考え方といえましょう。
この勘違いはかなり危険です。
これまで著書や講演で主張してきたように、日本のホテルなどで見かけるユーザー目線に欠けた「おもてなし」は、外国人観光客にあまり評判が良くありません。このインターネット時代、そのようなネガティブな苦情は、世界の誰にでも簡単に見られてしまいます。
日本の魅力を世界に発信しようという取り組みの足を引っ張ることになってしまうのです。

世界に誇る日本の「おもてなし」にそんなに苦情が寄せられているはずがないと言う方もいらっしゃると思いますので、以下ではいくつか事例を示したいと思います。
ポイントはおもてなしのよし悪しを決めるのは供給側ではなく客側である」の一言に尽きます。

(中略)

(トリップアドバイザーの)第3位は「ザ・リッツ・カールトン」です
「5つ星ホテル」ですので、京都のなかでもかなりグレードの高いホテルです。こちらのレビューは879件で、5点未満は728件。2点は13件。1点が15件ありましたが、こちらも興味深いのはうち日本人が12件を占めていたということです。
3件の外国人観光客たちの指摘は、ショッピングをするためのいい店を教えてもらったが、行ってみたら休日で、時間を無駄にさせられたというものや、食事の提案が無難すぎたなど、ソフト面への苦情でしたお店の提案に責任をもっておらず、料理もその人のニーズに応えようとしていないのです。

(中略)

「4つ星ホテル」になるともっと厳しい声もあります。
たとえば「星のや 京都」の価格はかなり高額ですが、ランキングは第71位となっています。星のやはかなり個性的なスタイルですから、意見が分かれるのはある意味当然ですが、226件のレビューのうち5点満点は120件しかありませんし、2点は14件、1点は7件となっています。やはり、「感動した」という人は設備に言及していることが多いのに対し、クレームとして書かれているのはスタッフへの不満なのです。
これらの低い評価をまとめると、スタッフは非常に親切だけれども、さまざまなことを頼んでも、ホテル館内の直接的なサービス以外はやってくれないという苦情が多いことに気づきます

(後略)

ハード一流サービス二流の日本のホテル

このように京都のホテルのレビューから浮かび上がるのは、ホテル事業者が考えるソフトと、観光客側のソフトに対する価値観に大きなギャップがあることです。
ハード面がいくら素晴らしくても「一流ホテル」とは評価されません。また、スタッフがどれほど頭を下げ、親切であっても、ホテルに直接的に関わるマニュアル通りのサービスしかなければ「一流ホテル」ではないのです。「5つ星ホテル」の基準を見ても、それは明らかです。
「一流ホテル」を頻繁に利用するような「上客」にとって「一流ホテル」というのは、ホテルとしての設備やホテル館内で宿泊者が受けられるサービスが充実していることは当然として、ショッピングの案内から明日行くレストラン、アクティビティエンターテインメントなどの提案やコーディネートまで含めた「ホテル館外のサービス」がどれだけ充実しているかが重要なポイントになります。「あらゆるニーズに対応する」ことが基準なのです。

このギャップを象徴するのが、昨年、伊勢志摩にできたホテル「アマネム」です。
世界の富裕層から支持されるアマングループのホテルで、「アマネム」も価格的にはかなりの高級ホテルですが、レビューはやはり高くありません。トリップアドバイザ−では、伊勢志摩のホテルは83軒レビューされていますが、そのうちの第10位という評価となっています。
27件のレビューのうち5点未満は15件のみ、2点と3点は2つずつで、やはり京都の「5つ星ホテル」や「4つ星ホテル」と同じような指摘が目立ちます。
エンターテインメントが充実しておらず、食事も毎日同じようなもので驚きがなく、観光案内や昼間の楽しみの提案がないか、あってもレベルが低いというのです。つまり、ハードは素晴らしく一流、値段も一流だが、ソフト面に不満を感じる人が多いのです。

世界一訪れたい日本のつくりかた
デービッド・アトキンソン
東洋経済新報社
2017-07-07



上記の内容に限らず、アトキンソンさんの指摘&主張は、我々日本人には必ずしも耳障りが良くない、というか、ひと言悪い(笑)、が、基本尤もである。
「ハード」を「モノ」だけでなく、「機能」、「スペック」、「仕様」、「技術」等々に置換してみて一目瞭然なのは、日本で「ハード一流、サービス二流」なのはホテルに限った話では全くない、ということである。

アトキンソンさんは具体的に、「ホテル館外の『サービス』は、凡そ[時間が命]の観光客的には無責任かつ空疎で、とりわけ非日常の異国文化体験を爆買いしに来ている世界の観光上客のニーズを満たしていない(→大金を落としてもらい損ねている&リピート訪日してもらい損ねている)」旨断じておられるが、なぜ日本は「ハード」に対し、かくも「サービス」が低品質なのか。
なぜ、日本のホテルは、そして、パナは、顧客に「投げっぱなしジャーマン」にうかがえる「サービス」を普通に提供してしまうのか。

原因は重層的だが、経験から直感するに、「サービス」を提供する主体としての企業の経営、および、そのシステム(仕組み)、の問題、そして、経営者と社員の「顧客満足の概念(共通理解)」の問題、が大きい。
要するに、前者の問題は、「サービス」の提供の目的である顧客満足の達成度を適宜かつ適切に検証&評価し、サポート部門、および、全社に適宜かつ適切にフィードバックすること、場合によっては褒賞、人事評価すること、の実行の有無、ないし、品質の高低、の問題である。
後者の問題は、そもそも顧客のニーズ、および、満足とは何か、顧客のいかなる定性的、および(又は)、定量的状態を満足と評価すべきか、が明確になっているか、全社的にコンセンサスが取れているか、の問題である。

先述の通り私はサポート部門、および、「サービス」に対する顧客のニーズは「問題の解決」だと確信しているが、これはサポート部門や「サービス」に限らず、「ハード」にも通じる話である。
顧客が真に望むのは、豪華なホテルそのものではなく、豪華な「その」ホテルに泊まることで得られる何らかの体験価値、そして、それが高確率で果たす目に見える、ないし、目に見えない、問題の解決である。
同様に、レッツらーが真に望むのは、高性能かつ丈夫なレッツノートそのものではなく、やはりレッツノートだからこそ果たし得る目に見える、ないし、目に見えない、問題の解決である。

こうした顧客の「問題の解決」を図るのは、無論容易ではない。
しかし、だからこそ、5つ星のザ・リッツ・カールトンも、レッツノートも「お高い」のである。
「ハード」と価格を引き上げるのであれば、付随する「サービス」も同等に引き上げねば不合理であり、極論、サギである。
サギの烙印を覆すコストは、顧客満足を得るコストと比べ遥かに「お高い」。
ザ・リッツ・カールトンとパナに限らず、「ハード一流、サービス二流」に少なからず覚えのある企業経営者は、先述の二問題を胸に手を当てて考えてみるべきである。
というか、レッツらーとして少なくともパナには、是非考えて欲しい。(礼・笑)

そして、アトキンソンさんの言うように、ビザ発給が緩和され、東京オリンピックのカウントダウンが始まった今こそ、ザ・リッツ・カールトンほか日本の全ての「お高い」ホテルも、今すぐ考えてみるべきだろう。
さもなくば、世界の(潜在)観光上客から「所詮サービス『もどき』、かつ、黒船効果狙い&自国民相手の似非一流ホテル」と見限られ、世界的に周知されるのがオチに違いない。



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