2018年10月10日

お初の刃研ぎ職人から「包丁の切れ味の多様性」、挙句、「方法論や思考の真の多様性」の気づきを授かるの巻

妻と、毎年恒例の(笑)かっぱ橋道具祭りへ行き、毎年恒例の包丁研ぎをした。
いつもの刃物店は今受付できないとのことで、良さそげな店を新規開拓(笑)した。

妻の見つけたその店は、かの新潟、燕市が本社だった。
担当者も、「お祭りなので本社から応援に来た」と、どちらかと言うとぶっきら棒な、職人然とした方だったが、研いでくださっている最中、妻の日頃の質問にも迷惑がらず、真摯にこたえてくださった。
回答の中には感覚主義の、理解困難な内容(←表現)も少なくなかったが、妻のココロを尊重する姿勢が傍目から見て取れた。
成る程、昔気質の職人も、近年かくも顧客インターフェースを大事にするものかと、天晴に感じた。

彼から授かった気づきはもう一つあった。
彼の研ぎ上げた包丁を夜早速使ったのだが、これをして「切れ味」と言うのだろうか、当然「よく切れる」訳だが、「よく切れる」感がいつもの店で研いでもらった時とかなり違うのである。
いつもの店のそれが、「スパツ、スパツ」と、兎に角「軽く」よく切れるそれに尽きるのに対し、彼の手によるそれは、「スッ、スッ」と、第一感「適度に重く」、そして「しっとり、しっかり」よく切れるそれなのである。
素人の勘ぐりだが、物理的によく切れること以上に、包丁本体の重みや切り手の力(量)加減の反映性を大事にし、敢えて矢鱈よく切れないようにしているようなのである。
たしかに、彼は「刃が長持ちするよう研いだ」とおっしゃっていたが、彼の考える「長持ちする刃」とはかくなるコンセプト、および、そのための方法論で研ぎ上げられた刃を言うのではないか。
成る程、包丁研ぎ一つにもかくも多様な方法論、挙句、コンセプトがあるものかと、改めて天晴に感じると共に、妻との晩餐をいつも以上に美味しく感じた。(笑)

近年「多様性」、それも、「マイナリティ」のそれを尊重、肯定評価すべきとの論調が高まっているのは承知、かつ、基本御意だが、真に尊重、肯定評価すべき多様性とは彼の包丁研ぎのようなものだろう。
コンセプト、挙句、レーゾンデートルの不明な方法論、思考は、いかに多様的であれ、まだ「ドラフト」、「卵」である。
人様に尊重、肯定評価を求めるより、先ず自ら脱稿、孵卵すべきである。



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