2019年08月02日

「予測する脳・発達する脳」なる講演会に参加し、人を「助ける」人を育む肝について考えさせられるの巻

過日、東大IRCN主催の「予測する脳・発達する脳」なる講演会に参加した。
中でも、長井志江教授の「予測脳の発達:ロボットを創ることでヒトを理解する」、および、終了後の個別質疑応答は予想外に参考になり、かつ、考えさせられた。


ついては、以下、誤解を怖れず(笑)咀嚼&備忘録したい。
【1】人の脳は絶えず「予測」をしている。

【2】他方、現実は必ずしも「予測」と合致しない(誤差がある)。

【3】人はこの誤差が我慢困難で、解消(埋める)、ないし、最小化を試みるものである。

【4】その証明実験として、人とチンパンジーにそれぞれ一部欠損している絵画を見せると、人は欠損している(と「予測」から逆算認識した)箇所を「描き足す」行動を取り、チンパンジーは既存箇所を「描き増す」行動を取った。

【5】「人の脳は経験を通して得た知識や信念(内部モデル)をもとに感覚信号を予測し、予測誤差を最小化するように内部モデルを更新したり、運動を生成する」という訳である。

【6】だから、我々は、レモンを食べ、酸っぱそうな顔をしている人を見ると、唾液が過剰分泌されるものだが、これは「レモンは酸っぱい」という「経験」と「知識」、および、それに基づく「レモンを食べている彼(or彼女)も酸っぱい」との「予測」に誤差を自己生成させない道理、および、対処行動である。

【7】プロ棋士も錯覚をする(悪手を指す)ものだが、これは候補手(※次に指す手)や想定局面に関する「経験」と「知識」、および、それに基づく「この手or局面も良いor悪い」との「予測」に誤差を自己生成させない道理、および、対処行動である。

【8】我々は困っている人(他者)を「助ける」ものだが、これは「困りごと」や「困っている人」に遭遇した「経験」と挙句獲得(or更新)した「知識(認定基準)」、および、それらに基づく「本当は彼(or彼女)もこうしたいのにできず、困っている」との「予測」に誤差を自己生成させない道理、および、対処行動である。

【9】【8】を例示するとこうなる。歩道(or車道端)でタイヤを見、うなだれているスポーツ自転車乗りが居るとする。彼(or彼女)を「助ける」か否か。これは先ず以下の「経験」、および、「知識」の有無に依存する。
[1]自動車に限らず、自転車のタイヤもパンクする。
[2]自転車はパンクすると走れず、役に立たなくなる(当初の目的を果たせなくなる)。
[3]パンクは自転車店員でなくても、道具と経験があれば自己修繕可能である。
[4]パンクを自己修繕できない自転車乗りは少なくない。
[5]パンクを自己修繕できない自転車乗りは、最寄りに自転車店がなければ、或いは、修繕可能な他者がレスキューしなければ、自転車を引きずって帰宅するか、その場でうなだれるかの二択である。

【10】次に、上記[1]-[5]に因る以下の「予測」の可否、および、忠実度(随伴度)に依存する。
[1]タイヤを見てうなだれている彼は、あの自転車のオーナーである。
[2]オーナーがタイヤを見、うなだれているというのは、あの自転車はパンクし、修繕され得ず、立ち往生している、ということである。
[3]自分は今パンク修繕の道具と経験(実力)を持ち合わせており、あの自転車、および、彼をレスキュー可能である。

【11】つまり、なぜ人は人を「助ける」のか。【8】-【10】が示唆するのは、人は「予測」に忠実、かつ、合理的であるよう無意識かつ利己的に行動選択するものだから、ということである。翻って言えば、人は持てる「経験」と「知識」が自然生成した「予測」の拒絶、排除に現世利益度外視で抵抗、躊躇を覚えるものだから、ということである。人が人を「助ける」のは、人のためではなく自分のためであり、根本動機は、外発的ではなく内発的である。

【12】では、人が人を「助ける」質量は何に依存するのか。人をよく「助ける」人、人をうまく「助ける」人は、そうでない人と何が違うのか。根本は「予測」の基盤材料足る「経験」と「知識」の有無、および、質量だが、顕著は「予測脳の敏感(⇔鈍感)さ」である。先の「本当は彼もこうしたいのにできず、困っている」との「予測」が機敏な人は、人をよく、また、うまく「助ける」可能性が高い。

【13】では、予測脳の敏感さは何に依存するのか。「本当は彼もこうしたいのにできず、困っている」との「予測」が機敏な人は、そうでない人と何が違うのか。結局は経験値であり、分解すれば、成功体験と自己強化学習の質量である。要するに、機敏に「予測」し、人を「助ける」ことを良かれ悪しかれ学習している人は、「予測」の精度と再実行のインセンティブを高めている可能性が高い、ということである。道理で、子どもが電車で杖をついて立っている老人に席を譲り、当人と同伴の親からあり難がられると「席譲り名人」に成る訳である。

【14】そもそも、なぜ脳は「予測」するのか。また、したがるのか。仮説の一つは、「人は長生きしたいものだから」である。人の根源欲求は「長生き」、即ち、「生の最大化」である。人は概して「ケチ」で「モノグサ」だが、それは「コストセーブ」や「リソース消費の最小化」の性(さが)が根源欲求である「生の最大化」に有効で、「予測」も同様という訳である。要するに、他者や物事が「予測」通りに動けば、自分の行動、および、そのコストも「予想」通り、かつ、平準化(出力均等化)され、「生の最大化」が促される、という訳である。道理で、高速道路で周囲車両の動きを絶えず「予測」し、アクセル開度(エンジン回転数)を一定化すると、燃料消費が効率化され、小遣いが節約できる訳である。

私がとりわけ考えさせられたことは、以下の三つである。

一つ目は、人は皆確信犯である、ということである。
【7】で咀嚼した通り、概して過ちの近因は錯覚だが、根因は「予測」、ならびに、それを構成する「経験値」、「決めつけ」、「『引くに引けない』自己愛」なのである。
個人の可能な「正確な意思決定」は、そもそも限定的なのである。

二つ目は、「情けは人のためならず」は読んで字の如し、ということである。
【11】で咀嚼した通り、人が人(他者)を「助ける」のは先ず、人のためではなく自分のため、もっと言えば、良かれ悪しかれ「予測」した自分を断固即肯定したいがため、なのである。
人を「助ける」ことは、そもそも利己的、かつ、自尊的なのである。

三つ目は、人を「助ける」人を育みたくば、或いは、増やしたくば、「敏感な予測脳」の持ち主を増やすべく、自分の「経験値」を積極的に抽象化→シェアし、かつ、「シェアされること」、即ち、「自らアップデートすること」が最有力、かつ、先決である、ということである。
生き残る可能性の高い企業は基本、人をよく、うまく「助ける」人に富むが、それは、【12】、【13】の咀嚼に従えば、各種業績評価システムが「助け合い」の価値観と具体(※社内プロセス)を確立、担保していること以上に、経営者が持てる「経験値」を積極的に抽象化→シェアし、かつ、「シェアされていること」、即ち、「自分のバイアス化した『経験値』を社員の『経験値』で修正→アップデートしていること」の恵みなのである。
「助け合う」組織は、「学び合う」組織なのである。
「我以外皆我師」も読んで字の如し、である。(笑)



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