2019年10月05日

「ベテラン」小林健二九段の第60期王位戦第六局の「解説」に大満足するの巻

私は近年、将棋棋戦をめっきりスルーするようになった。
観戦(ニコ生視聴)するのは、ゴルフで言う「メジャー」の、所謂「タイトル戦」だけになった。
前者の近因は、所謂(?)「三浦弘行九段スマホカンニング濡れ衣事件」における日本将棋連盟の残念な幕引きで、後者の根因は将棋と棋士への変わらぬ関心と畏敬である。
しかして、昨日、周回遅れ甚だしく(笑)、豊島将之王位へ木村一基九段が挑戦する第60期王位戦第六局を観戦し終えたのだが、小林健二九段の「解説」が予想外に素晴らしく、久しぶりに大満足した。


小林は昭和22年生まれ、自身曰く「下から三番目」の現役最古参棋士である。
棋士は通例、40歳辺りから「ベテラン」と言われる。
将棋は「頭脳の格闘技」であり、プロの世界は完全実力主義である。
当然、「ベテラン」は一般の会社員と同様、凡そ「頭脳」、とりわけ「『読み』の深さ&正確さ」、「集中力」、「情報収集力」、「記憶力」、「根気」で「若手」に負けるが、ハンデはない。
シンプルに「今勝った者が偉い」という、フェアかつ弱肉強食の世界である。
森下卓九段は実体験をもとに「棋士23歳最強説」を唱えるが、こうした苛烈な世界で「ベテラン」が「盛りを過ぎている」、「トーナメントプロとしては終わっている」のは凡そ事実である。
しかして、私は小林の近年の対局棋譜を観ていないが、還暦を過ぎた小林も「トーナメントプロとしては終わっている」に違いない。
そして、他の「ベテラン」と同様、「レッスンプロ」として勤しむ、即ち、「普及」や「指導」という名の、将棋マーケットの底辺拡大&質的向上に傾注する、か、今回のように「盛り」の棋士の対局を「解説」するか以外、PUFFYの言う(笑)「これが私の生きる道」はないに違いない。
これが私の生きる道
PUFFY
エピックレコードジャパン
1996-10-07


しかし、小林の話は一旦置くが、「ベテラン」が今、「盛り」の棋士の対局を「解説」するのは、それも、本局のような「タイトル戦」、即ち、「盛りも盛り」のトップ棋士の対局を「解説」するのは、容易ではない。
というか、不遜ながら高校時分に初段の腕前の私(笑)的には、基本無理である。
なぜか。
近因は、コンピュータ将棋(ソフト)の開拓&扇動のもと、とりわけトップ棋士が学習&選好する「複雑の極地かつ何でもアリの」最新現代将棋の心得の浅さだが、根因は、心得の基盤「OS(オペレーティングシステム)」のレガシーさである。
要するに、「ベテラン」は、水面下を含む最新現代将棋の情報が質量共に不足しているばかりか、そもそも将棋のWindowsが7、ややもすると、XPのままで、情報を収集するも本質的かつ正確に読み込めない、読み解けない、実行できない、別途独自言語化できない、という訳である。
「ベテラン」が「昔とった杵柄」の具体やプロトコル(≒将棋で言う「筋(すじ)」)に拘泥し、持続的な更新を怠った挙句、最新現代マーケットからズレ、「若手」に「○○部長はマジ昭和だな」とディスられるは(苦笑)、一線から降ろされる、というのは、一般の会社員、企業ではアルアルだが、将棋の世界も御多分に洩れない、という訳である。

しかし、話をまた小林に戻すが、冒頭で述べた通り、小林の解説は素晴らしかった。
「ベテラン」も「ベテラン」、もはや「大御所」であるがゆえ、正に予想外に。
なぜか。
そもそも、将棋の「解説」のあるべきコンセプトは何か。
プロならではの深く、理解困難な指し手の「意味」と「企図」とその妥当性(是非)、および、現局面の優劣と今後の進捗を読み(解き)、素人&視聴者目線で披露、理解促進することである。
この点において、小林は本当に素晴らしかった。
要所の局面で自身の「人間(プロ)」ならではの「読み」を、「独り言」や「内輪話(研究会トーク)」ではなく、あくまで素人&視聴者目線で解り易く有力「候補手」毎切り分け「説明」し、都度直後、コンピュータ将棋ソフトで必ず検証したからである。

たしかに、小林も「ベテラン」よろしく、相当の「ネタ」、「与太話」を、更には、豊川孝弘七段に比肩する「ダジャレ王」ぶりを披露した。
正直、「(王様が)86に上がれば『玉置浩二(→安全地帯→「安全化する」の意)』なんですけどね」とのダジャレは、破顔の一手であった。(笑)
しかし、メインの「解説」が素晴らしく、それらは「刺身のツマ」の本分を見事果たした。

なぜ、小林はかくも素晴らしく「解説」できるのか。
近因は、かつてコーヒーのCMコピーに「違いのわかる男」というのがあったが、正に「指し手のわかるファン」の創造こそ、「レッスンプロ」の本分、本懐であると、「ベテラン」よろしく心得ているからだろう。
そして、根因は、「ベテラン」でありながら自身の「杵柄」のレガシーさ、端的に言えば「弱さ」から目を背けず、アンラーニングを厭わず、持続的な更新と「強くなること」を、挙句、将棋と自分を、諦めていないからだろう。
そうである。
プロフェッショナルの自分の寿命を決めるのは、あくまで自分である。
将棋の世界に限らず、小林は「ベテラン」の鑑である。

「解説」の一番の鑑は私的には渡辺明三冠だが、小林も負けていない。
もはや完全「下手の横好き」の私、小林と谷口由紀女流二段の「解説ゴールデンコンビ」を念願する次第である。(笑)




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