2004年10月08日

母を偲ぶ

107f87d2.jpg入院先の病院で母が急悼した。
享年は68歳。
今はただ、母の成仏を願うほか望みはない。
「母の病状が急変した」との知らせが病院からあったのは、昨日の午後11時半のことだった。
急いで兄を助手席に乗せ、車で病院へかけつけた。

病床で手当てを受けている母と再会した。
瞳孔が完全に開いた顔を見て、私はかつてない怖れを感じた。
「心臓は動いているがこれは本人の生命力によるものではない」、と担当医師から説明を受けた。
それから10分ほどして、母は帰らぬ身となった。

瞬間、私は泣き崩れてしまった。
親を看取るのが子の務めであるものの、私は冷静を保てなかった。
ただ、ただ、悲しかった。

霊安室に運ばれるまでの間、私はずっと母の傍に居た。

看護士さんが母の体を拭いて下さっているのを見て、母が最後いかに辛かったか、うかがい知ることができた。

看護士さんが去ってから、母の体を手で撫でた。
まだ体温が感じられた。
私は心臓が再び鼓動することを切望した。
その望みは叶わなかった。

母の体に触れるのは久しぶりだった。
かすかに残るぬくもりは、私に次の思いを呼び起こした。

「私は親不孝者だ。」

私には当然父が居る。
だが、故あって、私は父から与えられた愛情を知らない。
私と兄は母一人に育てられた。

母はここ数年、入退院を繰り返していた。
本人や親戚の話によれば、元々母は丈夫で健康だったらしい。
嫁いだ家と東京の水が、よほど母には合わなかったのだろう。

私が幼稚園と大学へ通っている時母は乳がんで左右の乳房を切除した。
後で聞いた話だが、切除以外にも選択肢はあったらしい。
にも関わらず、切除を決断したのは、再発を懸念したからだ。
それは、父親不在の家に生まれた私と兄を守る為だった。
女性の象徴である乳房を無くすことがどれほど辛いものか男の私には到底理解できない。
ただ、母はそういう人だった。

母一人で育てられたにも関わらず、私と兄は大学へ行かせてもらえた。
これまた後で聞いた話だが、その為に母はかなりの苦労をしたらしい。
母にとって、私と兄を育てることが全てであったのは間違いない。
しかし、その為に、自らの肉体を差し出すばかりか、欲求をも抑えていた。
母が新しい服を買ったのは、私が社会人になってからのことだ。
母の私と兄への献身は、脱帽と感謝する以外ない。

こんな母に対して私は一体何をしてあげられたのだろうか。
実のところ、大したことは何もしていないのだ。
私が自らを「親不孝者」と呵責するのはこの為だ。

母の容態が厳しくなった時、ここのところ公私共に大変お世話になっているクライアント企業のTさんに、今後いかにすべきか相談にのっていただいた。
というのも、Tさんはビジネスマンしては勿論のこと、人間としても大いに尊敬できることに加え、お若くしてご両親を亡くしておられるからだ。
Tさんは私にこう仰った。

「(親と)もっと色々話したり、一緒に行動すれば良かったと思っています。」

この言葉を頂いた時、母はまだ生きていたが、「きっとそうだろう」と思えた。
母を亡くした今、この思いはより一層理解できるばかりか、強くなっている。

とは言え、今私が母に直接してあげられることは何も無い。
そんな私が辿り着いた結論は、遠くに居る母に、”私と兄を産んで良かった”、”自分(母)はこの世に生まれてきて本当に良かった”、と思ってもらえるよう、私が充実した人生をおくり、それを見せてあげることしかない、ということだ。

私は今まで殆ど”自分の為”だけに生きてきた。
それは決して誤りではなかったと思っているが、この先、少なくとも自分が納得できる間、”母の為”にも生きてみたい。



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この記事へのコメント
残念でしたね。
私の両親はどちらとも健在ですが、あまり話をしていません。今度帰省したらいろいろ話をしてみようと思いました。

私の父親はどうも出不精なようで、母からは「旅行に出たいのに、、、、」ひざの少し悪いいまや障害者となってしまった母からは父への不満ばかりを聞きます。
私も両親には病院通いだけでなく残りの人生を楽しむよう勧めていますが、どうもあまり聞いてもらえないようです。父も軽い脳梗塞をしてから出歩くのが大変なのかもしれません。
今度帰省したらあちこち連れ出そうと思います。両親と離れて暮らしているとたまに会うと老けたなぁといつも思います。話をしてみていろんな思いを知りたいと思いました。Horiさんも社長になられ、おめでとうございます。今後の活躍を期待しています。
活躍され充実した人生を送り子孫を残し、お母様の在りし日のことを伝える事がお母様の供養にもなるのではないでしょうか?
Posted by ishigami at 2004年11月05日 20:21